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2023.07.26 (Wed)

第418回 【映画紹介】「限界突破」した、METの新演出《魔笛》

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▲METの新演出版《魔笛》 (METライブビューイングHPより) ※予告編やリハーサル映像のリンクは文末に。

残念ながら7月27日で上映終了なのだが、今後、アンコール上映があるはずなので、いまのうちにご紹介しておきたい。METライブビューイング(NYメトロポリタン歌劇場の舞台映像)の、新演出版《魔笛》である。特に「舞台」「演出」に興味のある方は、必見の映像だ。
(指揮:ナタリー・シュトゥッツマン、演出:サイモン・マクバーニー/6月3日上演)

はじめに身も蓋もないことをいう。観慣れている方には釈迦に説法だろうが、時折、モーツァルトのこの《魔笛》を「オペラ」だと思っているひとがいる。だが正確には《魔笛》はジングシュピール(セリフ入りの歌芝居)、当時の「歌謡ショー」である。

しかも初演会場が一般大衆劇場だったので、いまふうにいうと、「フライハウス劇場特別興行/シカネーダー奮闘公演! 歌謡ショー《ふしぎな笛》」といったところか。

だから、《フィガロの結婚》のようなドタバタ喜劇や、ヴェルディやプッチーニのような激情ドラマを期待しても無駄なのである。ましてや、(物語がファンタジーなので)オペラ入門に最適のような解説があるが、これまたとんでもない話で、人生初のオペラ体験にこんな支離滅裂な「歌謡ショー」を選んでは、絶対にいけません。

この歌謡ショーは、興行師・劇場主・台本作家・俳優・歌手のエマヌエル・シカネーダーなる男が、ひと山当てようと目論んで、自ら台本を書いてモーツァルトに作曲させた歌芝居である。しかも自分は準主役の「鳥刺し男・パパゲーノ」役を演じ、ヒット曲を独り占めした。だからストーリーはあまり重要ではない。前半と後半で、善悪が入れ替わるドンデン返し設定にもかかわらず、まったくスリリングでもないし、驚きもない。それどころかラストは、フリーメイスンがいかにすばらしい団体であるかを自画自賛して突如終わるので、観客は呆気にとられてしまう。

ゆえにおそらく、人生初のオペラ体験が《魔笛》だった方は、まちがいなく「いい曲もいくつかあったけど、なんだか妙なお話でしたね」が一般的な感想のはずなのだ。

   *****

今回の演出はサイモン・マクバーニー。イギリスの俳優で、近年だと、映画『裏切りのサーカス』(2011)や、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015)などに出演していた。その一方、舞台演出も手がけており、《魔笛》もすでに欧州の音楽祭で経験すみだ。

で、今回のMET新演出は、現代的な解釈がどうしたとか、本来のファンタジーに帰するとか、そういう精神は皆無。1791年(初演時)の「歌謡ショー」を21世紀に再現したらどうなるかに挑んだ、(むかしのタモリが好きだった)「無思想歌謡」大会なのであった。幕間のインタビューでマクバーニーが語るには、「初演当時の劇場は、舞台と客席がもっと近かった。オーケストラもほとんど舞台上だった。そんな雰囲気を再現した」とのことだった。

よって、たとえば舞台下手袖に「黒板アーティスト」がいて、小さな黒板にチョークで、ちょっとしたキイワードやシンボルを次々と即興で落書きしては消していく。それがカメラで舞台上にデカデカと投影される(予告編映像参照)。また上手袖には「効果音ウーマン」がいて、廃材や生活用品で、鳥の羽音や水音、雷鳴などを同時に出す。むかしながらのアナログ演出である。

さらにオーケストラは、本来のピットよりずっと高い位置にあって、手前にエプロンステージ(宝塚歌劇でいう「銀橋」)が設置され、歌手とオケが混然一体となる(特にフルート奏者と鈴=グロッケンシュピール奏者は、芝居に「参加」する→リハーサル映像④参照、ラスト抱腹絶倒!)。

そのほか、舞台上には巨大な「可動板」が第2ステージのように設置され、歌手はそのうえで走ったり転んだり、たいへんな運動をさせられている。スーパー歌舞伎よろしく宙づりまで登場する(リハーサル映像⑤参照)。

あたしも《魔笛》は、映像も含めればずいぶんいろいろ観てきたが、こんなヴィジュアルは初めてだった。特にMETの場合は、《ライオン・キング》の演出でおなじみ、ジュリー・テイモア版が、長く定番だった(そもそもMETライブビューイングの第1弾が、彼女の演出による英語短縮版《魔笛》だった。2006年大晦日、歌舞伎座と南座で上映された。その後、テイモアはドイツ語完全版も手がけている)。テイモア版は絵本がそのまま動き出したような、なんでもありの楽しい演出で、どこか東洋的な雰囲気があった(原典版では、タミーノは日本から来た王子様との設定である。タミーノ=民野?)。

だがおなじ「なんでもあり」でも、今回は、さらに上をいく万能演出で、ナマ舞台の演出アイディアとしては、まさに「限界突破」したような感じである。

歌手もさすがMETで、特に「夜の女王」を、杖をつき、車椅子に乗る醜悪老女として演じたキャスリン・ルイックの歌唱・演技は、背筋をなにかが走る壮絶さ(リハーサル映像②参照)。今後、これ以上の「夜の女王」に出会えるとはとても思えなかった。巨漢スティーヴン・ミリングの「ザラストロ」も、こんな男が教祖だったらたちまち信者倍増だろうと納得させられた(リハーサル映像③参照)。

指揮は、コントラルト歌手として頂点を極めたナタリー・シュトゥッツマン。かつて彼女の《冬の旅》など、実に新鮮な思いで聴いたものだ。いまは指揮者としても成功しており、今夏、バイロイト祝祭で「史上2人目の女性歌手」として《タンホイザー》を指揮するはずである。今回の指揮はもう自家薬籠中のもので、舞台上の複雑な動きや演出とのからませ方も見事だった。

というわけで、今年度の「METライブビューイング2022~23」の10本はすべて上映終了した。あたしは7本しか観られなかったが、この最終作《魔笛》は、観ておいてほんとうによかったと思った。今後、アンコール上映があったら、何が何でも観ていただきたい、傑作映像である。

◇METライブビューイング、新演出《魔笛》の紹介は、こちら
舞台写真や予告編、リハーサル映像①~⑤が見られます(本番収録とは細部がちがいます)。

◇MET《魔笛》の旧演出(ジュリー・テイモア演出)予告編は、こちら

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2023.07.24 (Mon)

第417回【新刊紹介】芥川賞『ハンチバック』にただよう、クラシックの気配

ハンチバック
▲市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋)

本年上半期の芥川賞受賞作が発表になった。すでに春に文學界新人賞を受賞していた、市川沙央氏の『ハンチバック』(文藝春秋)だが、報道でご存じのとおり、この著者は「筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症および人工呼吸器使用・電動椅子当事者」である(「文學界」5月号~第128回文學界新人賞受賞者略歴より)。あたしは不覚にもこの病名を初めて知った。作品名の意味は、本文中にこうある。

せむし〔ハンチバック〕の怪物の呟きが真っ直ぐな背骨を持つ人々の呟きよりねじくれないでいられるわけもないのに。



※ユーゴーの小説『Notre-Dame de Paris』は何度も映画化されているが、そのほとんどは(ディズニーのアニメも含めて)『The Hunchback of Notre-Dame』と改題されている。


あたしは大学で出版関連の授業をもっているのだが、本作について、春ころに「芥川賞の可能性が高いと思う」と解説した。なぜなら、もちろん、文學界新人賞受賞作が芥川賞に連なることが多いせいもあるが、一読して、(おそらく、ほぼ)実話体験記にもかかわらず、冷静な客観性が全編を貫いており、重度障害への社会の無理解を訴えるとか(そういう要素もないでもないが)、その種のメッセージ性よりも、批評性のほうがはるかに勝っている。それこそが文学の役目のはずで、この作品は見事にそれを成就させているように感じたからだ。

たとえば本作の主人公は(おそらく、ほぼ作者自身)、重度障害を負いながらネット上にエロ記事を寄稿するライターなのだが、

このグループホームの土地建物は私が所有していて、他にも数棟のマンションから管理会社を通して家賃収入があった。親から相続した億単位の現金資産はあちこちの銀行に手付かずで残っている。私には相続人がいないため、死後はすべて国庫行きになる。



なんていう自己紹介的な文があって、なんとエロ・ライターでありながら、自ら所有する障害者施設で十分な収入を得ながら暮らしていることが、平然と描かれるのだ(主人公はこの施設を「イングルサイド」を名付けている。「赤毛のアン」シリーズの第7作『炉辺荘〔イングルサイド〕のアン』からの引用である)。

ところが、こういう文の直後に、

生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりとも溜飲を下げてくれるのではないか?



と“締め”の一文がつづく。こういう表現が、ほかの場面(たとえば性行為の)にもあり、リアル描写と客観批評描写が交互にあらわれる。このあたりが本作の魅力のひとつのように思う。

……と、わかったようなことを書いたが、あたしは文芸評論家でもなんでもなく、一介の雑文屋である。実は、あたし自身、もっとほかの点で、本作をおもしろく読んだのだ。それは、この作者は、かなりクラシック音楽を聴きこんでいるにちがいないと睨んだからだ。この主人公は、〈某有名私大の通信課程〉に在籍している(作者も同様)。そこで、

表彰文化論ゼミのフォーラムで近々テーマ発表の順番がくる。まだ卒業研究のテーマ決めに迷っている。ワーグナー『ニーベルングの指環』の侏儒アルベリヒに見られる反ユダヤ表象について? それとも『モナ・リザ』スプレー事件の米津知子と岩間吾郎の当事者文学をフェミニスト・ディスアビリティの視点から論じるか。



と悩んでいる(ちなみに、『モナ・リザ』スプレー事件については、作中でももう少し詳しく触れられているが、いまは紙幅でカット。興味ある方は検索するか、手塚治虫『ばるぼら』第21話「大団円」をお読みください)。

彼女はワーグナーに興味があるようで、ほかにも、

フランツ・リストは185センチの長身で、その娘のコジマも大柄な女性だったと言われている。ワーグナーと妻コジマの身長差は15センチという説がある。ワーグナー自身の身長は150センチから167センチまでの幅をもって推定されているが、小柄だったのは間違いない。指環を呪う侏儒アルベリヒは同族嫌悪の産物かもしれない。/下世話なルッキズムを核とした卒業研究なんて許されるんだろうか?



と衒学スレスレのような話題も登場する。

嘘寒い長調の会話など奏でる才能のないわれわれは短調で、いや、シェーンベルクの不協和音のように枠を外して本音を語ることができる。無調的〔atonal〕に。



などという文もある。かなりクラシックを聴きこんでいるひとだと察する。

そして、読んでいると、おそらくほとんどのひとが、最終節で戸惑うと思う。いったいここは何なのか、いや、いままで読んできた部分は何だったのか? これにかんしては、文學界新人賞選考委員も全員が迷ったようだ。なかでも中村文則氏にいたっては、はっきり〈最後の*以降がよくないと感じた。(略)掲載時には何かしら直っていればいいと願っている〉とまで断じていた(しかしたぶん、修正されずに掲載されたのだと思う)。今後、月刊「文藝春秋」に載るはずの芥川賞選考委員の選評が楽しみだが、この戸惑いの最終節にも、ちゃんと、こんな一文がある。

(略)私は史上最高に感じてる女の子の声が出せた。オペラだったらコロラトゥーラ。



市川沙央さんの『ハンチバックが聴くクラシック』を、ぜひ読んでみたい。

※引用は、すべて「文學界」5月号掲載の『ハンチバック』より。


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2023.07.19 (Wed)

第416回 【追悼】「拍手をしないでください」と”説教”した、外山雄三さん

外山雄三パシフィル
▲これが外山雄三さん、最後のステージだった

作曲家・指揮者の外山雄三さん(1931〜2023)が、7月11日に亡くなられた。享年92。いうまでもなく、日本で現役最長老のマエストロだった。

最後のステージは、5月27日、パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の第156回定期演奏会だった(東京芸術劇場)。プログラムはシューベルトの交響曲第5番と第9番《ザ・グレイト》。

あたしは、最近、縁あってPPTの定期に行っているのだが、この日は都合でどうしても行けなかった。そこで、知人(60歳代、男性)が行っていたので話を聞いたら、ある意味、壮絶なステージだったようだ。

「開演前に楽団長のあいさつがあり、“外山さんがゲネプロで体調を崩した、よって前半の5番は指揮者なしで演奏し、後半の9番で登壇していただく”——とのことでした。

5番は小編成で、コンサート・マスターを中心に、とてもきれいな演奏でした。後半の9番になり、いよいよ外山さんが登壇しました。しかし、スタッフに支えられてようやく指揮台に上がったような感じで、ほんとうに大丈夫かなと不安を覚えました。

演奏は始まりましたが、後ろ姿を見ているかぎり、なんとなくつらそうで、私は音楽にあまり集中できませんでした。

それでもなんとか第3楽章が終わり、最終楽章に入る直前、なにやらコンサート・マスターに話しかけていました。『(自分は)これから何をやればいいのか』と訊ねているような感じでした。

いよいよ最終楽章がはじまりましたが、しばらくすると、嘔吐されたのか、あるいは咽〔むせ〕たのか、口をおさえて指揮できなくなりました。すぐにスタッフが車椅子で外山さんを下がらせました。たいへん素早い対応で、おそらく舞台裏では、この事態を想定していたような気がします。

その間、演奏は、コンサート・マスターを中心にストップすることなく、つづいていました。ひとの生死にかかわる事態が起きているのに、それでも演奏しなければならないのか……と少々複雑な思いでした。仮に途中終演になっても、誰も払い戻しせよなんて、いわなかったと思います。

しかし、これもきっと想定内だったのでしょう。おそらく外山さんの希望でもあったと思います。ボロボロになっても指揮台に立った外山さんと、あんな状態でも最後まで見事に演奏をつづけたPPTの姿に、演奏家の宿命みたいなものを感じ、最後には感動を覚えました」

終演後、鳴りやまぬ拍手のなか、車椅子で外山さんがカーテン・コールに登場し、客席に頭を下げたという。ちゃんと意識もあって、意外としっかりした様子に、みんな安堵していたそうだ。

伝聞なので正確ではないかもしれないが、以上が外山雄三さんの生涯最後のステージ姿である。引退を口にすることもなく、最後まで現役だったのだ。

   *****

あたしの高校時代、親がNHK交響楽団の定期会員だという同級生がいた。2席持っているのだが、しばしば親が行けなくなると誘ってくれて、よく2人でオープン間もないNHKホールへ行った。するとかなりの確率で、指揮が外山雄三さんだった(定期だけでなく、いわゆる名曲コンサートも多かった)。

その外山さんが指揮すると、これまたかなりの確率で、アンコールが《管弦楽のためのラプソディ》だった(聴衆は、そっちを期待しているフシが感じられた)。

この曲は、1960年、N響世界一周ツアーのアンコール用に外山さんが作曲した、約7分の小品だ。本来、20分ほどの曲だったが、リハーサルで岩城宏之さんが「長すぎる」とカットした。ところが、それが吉と出てアンコール・ピースとして定着した。《あんたがたどこさ》《ソーラン節》《炭坑節》《串本節》《信濃追分》《八木節》などが次々登場する、熱狂の狂詩曲(ラプソディ)である(もしかしたら、この数年前に朝比奈隆がウィーン・トーンキュンストラーとベルリン・フィルで初演した、大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》が脳裏にあったかもしれない)。

N響世界一周
▲聴くたびに、感動で涙が出る。

このときの世界ツアーのライヴ録音がCD8枚組セットになっている。《ラプソディ》は、ワルシャワ、ローマ、ロンドンでの演奏が収録されている。指揮の岩城さんは当時28歳。ローマでは当時29歳の外山さん自身が指揮しており、聴衆が熱狂興奮している様子がおさめられている。

この世界ツアーには18歳の堤剛vc、16歳(高校生!)の中村紘子pも同行した。最年長が32歳の園田高弘p、31歳の松浦豊明pである。

戦後15年、復興なった敗戦国日本の姿を世界に発信するべく、外山さんと岩城さんをはじめとする青年たちと少年少女が、かつて自分たちを「イエロー・モンキー」と嘲笑した国へ乗り込み、全身全霊で演奏している。若き日の外山さんの大仕事だ。この感動的な録音を聴くたびに、あたしは涙を禁じえない。

ちなみに《ラプソディ》は、のちに藤田玄播氏の編曲で吹奏楽版になっており、いまでは《吹奏楽のためのラプソディ》として、日本吹奏楽界の重要レパートリーになっている。

   *****

あたしは、外山さんとは、何度か立ち話で雑談した程度の面識だが、なんとなく、町内会長の江戸っ子オヤジのような印象があった。その印象を生前の岩城宏之さんに話したら、「そりゃそうですよ、あのひとは指揮者としては、徹底的な現場たたき上げだもん」といっていた。

外山さんは東京藝術大学の作曲科を卒業後、1952年にNHK交響楽団に「打楽器練習員」として入団する。それから「指揮研究員」となり、現場でアシスタントや副指揮者として、実地で勉強しながら指揮を身につけていったのだ。岩城さんが「現場たたき上げ」と称した所以である。

   *****

外山さんでは、わすれられない“説教”がある。外山さんは、歴史ある東京国際音楽コンクール〈指揮〉の審査委員長を長くつとめていた(3年ごと開催)。その第18回(2018年)の「入賞者デビュー・コンサート」(2019年5月、東京オペラシティ)で、外山さんが、開演前にあいさつに立った。てっきり、選評を話されるのかと思ったら、意外なことをいい出した。録音していたわけではないので、正確ではないが、おおむね、こんなスピーチだった。

「海外のコンクールの聴衆は、日本よりずっと厳しい。聴いてよくなければ、平気で席を立ち、出て行ってしまいます。本日、これから、上位入賞した若者たちが指揮をします。しかしどうかみなさん、お聴きになって、よくなければ、無理に拍手などしないでください。気に入らなかったら、音を立てて出て行ってかまいません。それがかえって、彼らを育てることになるのです」

客席からは笑いがもれたが、いかにも外山さんらしい、ユーモアと厳しさが同居したスピーチだった。おそらく外山さんは、何でも拍手してほめる日本の聴衆のアマちゃんぶりに、イライラしていたのではないだろうか(岩城宏之さんも、むかし、本番中に似たようなことを客席に向かって話して物議を醸したことがある)。

なお、このとき外山さんが「無理に拍手をしないでください」とまでいった入賞者は誰だったか、みなさんご存知ですか。1位が、いまや日本クラシック界で人気絶頂の、沖浦のどかさん。2位が、この4月に東京佼成ウインドオーケストラ定期で《コッツウォルド・シンフォニー》の名演を披露した、横山奏さんですよ。

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▲ロストロポーヴィチ(チェロ)と共演する外山さん。おそらく、彼の委嘱で作曲した《チェロ協奏曲 第1番》の演奏風景。
(出典:WikimediaCommons)

□パシフィックフィルハーモニア東京のお悔やみメッセージ
外山さん指揮、N響による《管弦楽のためのラプソディ》(1983年の映像)
※オールドファンにはたまらない、懐かしい顔ぶれが勢ぞろいしています。

□《管弦楽のためのラプソディ》1960年N響世界ツアー、ワルシャワでの録音(岩城宏之指揮)は、こちら
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(非会員は冒頭30秒のみ)

16:40  |  コンサート  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.07.16 (Sun)

第415回 【吹奏楽】マスランカのコラールが「スペクタクル」化する理由

マスランカ
▲デヴィッド・マスランカ(1943~2017) (出典:Wikimedia Commons)

アメリカの作曲家、デヴィッド・マスランカ(1943~2017)が逝って、今年で6年目になる。日本風にいうと七回忌だ。
だからというわけでもないだろうが、たまたま、大学WO(ウインド・オーケストラ)によるマスランカを、2夜連続で聴いた。

   *****
国立
▲国立音楽大学ブラスオルケスタ― 第64回定期演奏会(サントリーホール)

まず、国立音楽大学ブラスオルケスターによる、《サクソフォン四重奏と吹奏楽のための協奏曲》(指揮:井手詩朗/7月11日、サントリーホール)。客演サクソフォンが、雲井雅人S、佐藤渉A、坂東邦宣T、田中靖人Bの4氏で、たいへん豪華。田中氏は、最近まで東京佼成WOのコンサートマスターをつとめ、今年度から国立音大教授に就任した。

本曲は2012年発表、3楽章構成の「コンチェルト・グロッソ」だ(マスランカ自身の解説)。Ⅰ・Ⅱがほぼ緩徐楽章なので、Ⅲに至るまで緊張を保たせるのが難しい。しかも、この四重奏は、4人がそれぞれまったく別のことを同時にやるような部分が多い。たとえば、Ⅰ冒頭では、S・Aが長い音符をゆったりと奏している下で、Bだけが10連符~9連符~12連符……とのたうち回る。これを、WOをバックにバランスよく奏するのは、たいへんなことだと察する。だがさすがにこの4人は手練れだけあり、約30分、最後まで美しく聴かせてくれた。

雲井氏はマスランカと縁が深かったことで知られている。委嘱作や献呈作も多い。ノースウエスタン大学大学院留学中の1982年には、《子供の夢の庭》世界初演にも参加していた。思いも一入〔ひとしお〕だったのではないか(アンコールの《ゴルトベルク変奏曲》アリアも、マスランカ編曲だと思う)。

   *****
藝大ウインド
▲東京藝大ウィンドオーケストラ 第95回定期演奏会(東京藝術大学奏楽堂)

翌12日は、東京藝大WOでマスランカの《交響曲第4番》(指揮:大井剛史、東京藝術大学奏楽堂)。本曲をパイプオルガン入りで聴くのは初めてだった。

これは1994年初演、単一楽章で約30分、鳴りっぱなしの大曲である。いくら藝大生とはいえ、学生にはシンドイのではと不安を抱えて臨んだ。ところが、よくここまで仕上げたものだと感動させられる演奏だった。たぶんひとえに、大井氏の指導に功がある。単なる音の洪水にせず、正確に拍をとりながら冷静に若者たちを率いていた。新奏楽堂は最大残響2.4秒のホールだが、パイプオルガンを含めたバランスもちゃんと考慮されていた。

本曲については、作曲者自身が「住み慣れたモンタナ州の大自然」がモチーフになったと述べている。よって「交響詩:モンタナ」ともいうべき味わいがある(実際、彼には《モンタナ・ミュージック》と題するシリーズがある)。そのことが伝わってくる演奏だった。

   *****
子供の夢の庭CAFUA
▲厚木西高校のCD。リマスタリング再発され、ロングセラーとなっている。

日本でマスランカの名が知られるようになったのは、神奈川県立厚木西高校吹奏楽部のライヴCD《子供の夢の庭》(1999年録音、CAFUA)あたりだったと思う。当時、指揮の中山鉄也先生と厚木西がとりあげる曲には、目が離せなかったものだ。

これはユングによる有名な「8歳の少女が見た12の不気味な夢」をモチーフにした30分強の組曲である。スペクタクル+繊細な響きの組み合わせがユニークだった。新しいタイプの作曲家があらわれたように感じたのを覚えている(あの当時、高校生が、よくもこんな曲を演奏したものだ)。

その後、2008年に東京佼成WOが《マザー・アース》を演奏(指揮:金聖響)。
コンクール全国大会への初登場は翌2009年、福岡教育大学の《我らに今日の糧を与えたまえ》だった(銀賞)。このころから、日本でも人気作曲家となった。
そして2018年、近畿大学が《交響曲第4番》(抜粋)を全国大会初演。圧倒的名演で金賞を獲得する。これにより、第4番を中心に、マスランカのほかの交響曲も注目を浴びるようになった(全10曲中、8曲が吹奏楽。ただし第10番は未完で、息子が補筆完成)。

だが、その前年2017年に、すでにマスランカは鬼籍に入っていた。考えてみれば、マスランカの人気定着は、日米でかなりの時間差があったのだ。

   *****

マスランカ作品の多くは、聖書やコラール(讃美歌)がモチーフになっている。今回聴いた2曲にも多く登場していた。バッハの引用も多い。なぜ、彼はコラールを多用するのか。
「私がコラールを使うのは、キリスト教の教えを説くためではなく、何世紀にもわたる人間の経験で育まれたメロディーの力を大地から強く感じるからなのです」と述べている(《サクソフォン四重奏と~》のスコアに寄せたコメント/拙訳)

そのせいか、彼の曲におけるコラールの引用は、すべてではないが、よく“一大スペクタクル音楽”と化す。たとえば第4番の、まるでこの世の終わりと復活が同時に襲ってきたような怒涛のクライマックスなど、慣れていない方は、なにか異常な事態が発生しているように感じるのではないだろうか。

あそこで流れる讃美歌の旋律は《詩篇旧第百番》(Old Hundredth)。吹奏楽では、C.T.スミス《ルイ・ブルジョワの讃美歌による変奏曲》でも有名な旋律だ(これまた“大スペクタクル”音楽!)。バッハも、カンタータ《主なる神よ、われらはみな汝をたたえん》 BWV 130で引用している。

ユグノー典礼用詩篇
▲通称《ジュネーヴ詩篇歌集》 (出典:Wikimedia Commons)

この讃美歌は16世紀フランスの作曲家ルイ・ブルジョワの作で、ジュネーヴで編纂された《ユグノー典礼用詩篇》(通称「ジュネーヴ詩篇歌集」)に収録されていた。ジュネーヴは、ジャン・カルヴァンによるプロテスタント宗教改革の中心地で、出版・印刷業が盛んだった。
現在、ジュネーヴにはWHOやILOをはじめ36の国際機関、約700のNGO(非政府組織)本部、約180の政府代表部などが集中している。なぜか。「スイスは中立国だから」とよく説明されるが、「いや、あそこはバチカンに対抗する“プロテスタントのローマ”だから」「ジュネーヴは、プロテスタントによる世界征服の本拠地」などと冗談でいうひともいる(当たらずとも遠からず?)。
《詩篇旧第百番》はそんな土地を背景にした、プロテスタントを代表する讃美歌なのだ。

ごまかさない
▲「プロテスタントにはついていけない」

近刊『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)は、岡田暁生氏と片山杜秀氏の対談本だが、2人ともローマ・カトリック系の学校出身だった。そのせいか、たとえばプロテスタントの“大親分”バッハの《マタイ受難曲》のような血まみれ音楽は、どうも苦手だと述べている。岡田氏は「狂気そのものと言っていい受苦を、私はバッハの《マタイ受難曲》にも感じるんですよ」、片山氏は「プロテスタントの戦闘的な、駆り立てるような、それにはちょっとついていけない」とまで述べている。

ということは、マスランカ作品でコラールが“一大スペクタクル音楽”化するのは、まさにプロテスタント精神の爆発で、カトリックのひとたちにとっては耐え難い音楽……なのかもしれない。
ああ、浄土宗でよかった。

□マスランカの曲の多くは、YOUTUBE検索ですぐに見つかります。
□ナクソス・ミュージック・ライブラリーのマスランカ作品リストは、こちら
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2023.07.16 (Sun)

第414回 【映画紹介】ジブリの新作『君たちはどう生きるか』

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スタジオジブリの新作『君たちはどう生きるか』(14日公開)を、さっそく観てきた。

1)なぜ、この作品を、事前秘匿しなければならなかったのか、まったくわからない。
2)これは『千と千尋の神隠し』の少年版で、まったく新鮮味がない。
3)いったいこれのどこが『君たちはどう生きるのか』なのか、よくわからない(新潮社の日本少国民文庫版が出てくる)。
4)一切宣伝をしなかったのだから、宣伝費ゼロなわけで、なのに、なぜその分、安くならないのか。これは消費者利益に反しており、公取委あたりに訴え出ていい案件ではないのか。
5)劇場公開しているのに、プログラムが後日販売という、これまた一般消費者無視の商法。

これを称賛しているひとたちの気が知れない。
あたしたちはカネを払っている「消費者」である。なぜ、内容不明の商品を買わされ、こんな不利益を被らなければならないのか。
ジブリと東宝には猛省を促したい。
史上最低の映画興行だと思う。
01:02  |  映画  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.07.12 (Wed)

第413回 【追悼】偉大なる「オーソドックス」、ヤンドー・イェネ逝去


ヤンドー顔
▲珍しくジャケットに顔出しした、ヤンドー・イェネ(ブラームスのピアノ協奏曲第2番ほか)

史上もっとも多くのCDを売ったクラシック・アーティストはカラヤンだと、よくいわれる。
だが、もしかしたらこのひとのほうが上かもしれない。
ヤンドー・イェネ
この7月4日、71歳で亡くなった、ハンガリーのピアニストである。
【注】ハンガリーは日本同様「姓・名」の順で表記するので、英米風だと「イェネ・ヤンドー」となる。

といっても、「あまり聞いたことないな」と思われる方も多いだろう。その一方、訃報を知って残念に感じる方も多いと思う。あたしは後者だった。

ヤンドーは、ナクソス・レーベルへの録音で知られていた。しかも、その量と範囲が尋常ではなかった。ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンについては、ピアノ・ソナタを中心に、一般に知られるほぼすべてのピアノ曲をレコーディングしている。そのほか、母国ハンガリーのリストとバルトークについても、「ピアノ曲全集」を残している。バッハやシューマン、ブラームスもある。ピアノ曲史上、最難曲とも呼ばれる、バラキレフの《イスラメイ》まで録音している!

いったい、ナクソスだけでどれだけの枚数をリリースしたのか、数えることも容易ではない。これほど広範囲にレコーディングしたピアニストは、そうはいないだろう。
ナクソスは、いまや世界シェアNo.1のクラシック・レーベルなので、おそらくヤンドーこそが、CD最大セールス・アーティストの可能性がある。

   *****

20数年前のことだが、来日したナクソスのクラウス・ハイマン会長にインタビューしたことがある。その際、初期ナクソスの主要ピアノ曲が、ほとんどヤンドーの演奏であることについて聞いた。いまとなってはおぼろげだが、ハイマン会長は、おおむねこんな説明をしてくれた記憶がある。

「私たちが1987年にナクソスをスタートさせたとき、重要なリリースとして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を考えていました。しかし、全曲を短期間にレコーディングできるピアニストは、そういません。そうしたところ、あるハンガリーの会社が、ヤンドー氏を推薦してきたのです。デモ・テープを聴いたところ、たいへん素晴らしいうえ、全曲を連続して演奏・録音することができるというので、さっそく起用したのです」

月光
▲ベートーヴェン《悲愴》《月光》《熱情》

たしかベートーヴェンの《悲愴》《月光》《熱情》をおさめた1枚が第一弾だったと思う(1987年録音)。品番も「8.550045」とかなり若いので、ナクソス最初期のリリースだったのではないだろうか。

ところが、ヤンドーは、ベートーヴェンどころではなかった。バッハでもモーツァルトでも、とにかく、ピアノ曲というピアノ曲は、なんでも演奏できてしまうのである。

「彼は世界中のコンクールで受賞しているピアニストですが、ハンガリーの著名な音楽大学の優秀な教授でもあります。そのため、ほとんどのレパートリーが身体に入っています。演奏は常に正確で美しく、多くのひとに聴かれるにふさわしいピアニストです。彼の演奏を世界中にリリースできることは、私たちの誇りです」(ハイマン会長)

その演奏は「オーソドックス」に尽きる。決して感情が先走ることはない。「独自の表現」や「個性的な解釈」もない。楽譜に忠実な、いわゆる「まじめな演奏」だ。

演奏家である以上、新しい曲に挑戦することは当たり前だ。その際、ふつうは徹底的に曲を集中して勉強し、身体に沁み込ませて「自分のもの」にする。すると、自然に独特な解釈が生まれる。それが演奏家の個性となり、我々リスナーは、その個性に期待して対価をはらう。

……と考える方は、かなりのクラシック・マニアである。世の中には、そこまでは求めないひとの方が多いのではないだろうか。グレン・グールドは素晴らしいピアニストだが、「クセが強すぎて苦手」「弾きながら歌うのはやめてほしい」と感じるひともいるはずだ。ただ、それを口に出すと、マニアに嗤われるような気がするので黙っているのではないか。

ナクソスは「クラシックの百科事典」を目指している。より多くのひとに、より多くの作曲家・楽曲を安価で伝えるレーベルだ(だからラインナップは、有名レパートリーと秘曲が同列に並ぶ)。そのためには、多くのひとに受け入れられる演奏でなければならない。

ヤンドーは、まさにそういうピアニストだった。ヤンドーから、難聴と闘うベートーヴェンの苦悩を読み取ることはできない。物足りないと言うひとも多い。しかし、ていねいな演奏なので、「音符」はわかる。すると、ベートーヴェンは「音符」にすべてを託していたことが感じられる。ヤンドーは「私はとにかく楽譜どおり正確に再現するので、あとは皆さんで読み取ってください」と言っているのだ。だから、おなじ曲を、まずヤンドーで聴いてから、ほかのピアニストで聴くと、どこに個性があるのか瞬時でわかった。

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キチンと整理していないのだが、たぶん、あたしの自室のCDの山をひっくり返すと、ナクソスのヤンドーが20枚前後、出てくると思う。

十字架
▲ハイドン《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》

中でも忘れられないのは、ハイドンの《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》だ(2013年録音)。本来が管弦楽曲だが、ハイドン自ら編曲した弦楽四重奏版が出版される際、出版社が編纂した鍵盤用スコアがあった。ハイドンが見たら、なかなかキチンとした出来だったので、公認して同時に出版されたという、珍しいヴァージョンである。通常は「ハイドン監修によるクラヴィーア版」などと称される。

このリリースが、ナクソス側のリクエストだったのか、ヤンドー自身の希望だったのかは不明だが、これまた落ち着いた、とてもいい演奏だった。管弦楽オリジナル版、弦楽四重奏版、オラトリオ版(別人編纂)ともちがい、本来が素朴な「ソナタ集」であることを再認識させてくれて、愛聴盤になった。

ゴルトベルク
▲バッハ《ゴルトベルク変奏曲》

もうひとつが、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》で、これもオーソドックスの極みのような演奏だった(2003年録音)。最後の第30変奏は、見せ場とばかりに力を入れる演奏が多いが、ヤンドーはあっさりとすませ、そっと最終アリアに入る。あれでいいのだと思う。

最後に残るのは正当なオーソドックスであり、それがいかに偉大なことか。ヤンドー・イェネは、そんなことを教えてくれるピアニストだった。

□ナクソス・ジャパンによるYOUTUBE/ヤンドー追悼チャンネル

◆以下は「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」のサービスにつき、非会員は冒頭30秒、最大15分の利用となります。
□現在、ナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴けるヤンドーの全CDリスト(コンピ盤や再編集盤なども含む)
□ナクソス・ミュージック・ライブラリーのヤンドー追悼ベスト
□《悲愴》《月光》《熱情》はこちら
□《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》はこちら
□《ゴルトベルク変奏曲》はこちら 



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2023.07.10 (Mon)

第412回 【映画紹介】国立西洋美術館は、なぜ1年半も閉館していたのか? 興味津々のドキュメント

西美チラシ
▲15日より公開 ※リンクは文末に

現在公開中の映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は、冒頭、ナチス・ドイツが、略奪した大量の美術品や文化財を移送するシーンからはじまる。
このナチスによる美術品略奪は戦時中から大問題となっており、近年も『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』(クラウディオ・ポリ監督、イタリア他、2018)と題するドキュメンタリ映画が製作されている。
これに対し、アメリカ軍は美術品救出部隊、通称「モニュメンツ・メン」を組織し、ナチスと略奪攻防戦を繰り広げた。その活躍を描いた映画が『ミケランジェロ・プロジェクト』(ジョージ・クルーニー監督、アメリカ、2014)だった。

かように「戦争」では、しばしば美術品をめぐる略奪・争奪戦が発生する。
敗戦国・日本も、似たような大問題に遭遇した。だがその結果、私たち日本人は、素晴らしい美術館に恵まれた。「国立西洋美術館」(通称〈西美〉)である。

15日より公開される映画『わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏』は、その〈西美〉内部を描く「美術館ドキュメント」である。

映画紹介の前に、ご存じの方も多いと思うが、〈西美〉の歴史について簡単に説明しておこう。というのも、この映画は、〈西美〉成立史が前提になっている部分があり、それを知っているかいないかで、面白さが少々変わってくるからだ(映画内では、それほど細かく説明されていない)。

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▲松方幸次郎 (出典:Wikimedia Commons)

明治期の総理大臣・松方正義の息子で、川崎造船社長・松方幸次郎(1866~1950)は稀代の美術コレクターだった。第一次世界大戦の前後、何度か渡欧し、大量の美術品を買い集めていた。その数、約1万点! パリ中の画廊から近代絵画が消えたと噂されるほどの勢いだった。特にクロード・モネには個人的な信頼を得て、「睡蓮」などの名品を多数購入している。

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▲松方が購入し、フランスに接収されたモネ「睡蓮」(その後、返還されて現在は〈西美〉に) (出典:Wikimedia Commons)

松方は、それらコレクションを私蔵することなく、日本で初の「西洋美術館」を設立し、ひろく公開するつもりだった。すでに麻布に土地まで確保、建物の構想も出来あがり、名称も「共楽美術館」(誰もが共に楽しめる)と決まっていた。

だが、関東大震災や昭和初期の経済恐慌で川崎造船が破綻。膨大なコレクションは売立会に出されて散逸する。つづく第二次世界大戦で、ロンドンのパンテクニカン倉庫に保管していた約950点の美術品が空襲で焼失。さらに、パリにあった約400点は「敵国人資産」として接収され、「フランスの国有財産」となってしまう。
松方の夢はやぶれた。戦後は公職追放となり、占領中の昭和25年、脳溢血で死去する(享年84)。

だが、その松方の夢を実現させようとするひとがいた。ときの総理大臣、吉田茂である。松方の死後、連合国と日本政府との間で、講和(日本独立)の交渉が本格化した。日本国全権大使となった吉田は、フランス政府に対し、「松方コレクション」の全面返還を主張した。交渉は難航したが、吉田は一歩も引かなかった。

やがてフランス政府は折れ、多くの条件付きながら返還されることになった(ただしフランスにとっては「寄贈」)。その条件のひとつが、「“フランス美術館”を設立し、寄贈美術品を保管・公開せよ」だった。
かくして約370点の美術品が返還(寄贈)されることになった。

1953(昭和28)年、日本政府は「フランス美術館準備協議会」を設置する。だが、予算はない、土地はないで、実現は困難を極めた。
前年の昭和27年には、ブリヂストン美術館が、日本初の西洋美術館として先にオープンしていた(現アーティゾン美術館)。
フランス側からは「お望み通り寄贈したのだから、早くせよ」とせっつかれる。建築設計はフランス側に配慮したのか、ル・コルビュジエに依頼した(フランス側が推挙したとの説もある)。
よく「敗戦国日本は、アメリカの言いなりだった」といわれるが、西洋美術にかんしては、フランスに主導されていたのである。

結局、政財界と美術界が一致団結して大口寄付運動が起こり、なんとか建築費は確保された。敷地は、上野寛永寺の土地を東京都が購入し、国に無償貸与する形で、上野駅公園口に確保された。

こうして1959(昭和34)年1月、悲願の“フランス美術館”が誕生した。松方コレクションを中心に、今後、西洋美術全般をカバーすることを目標に「国立西洋美術館」と名付けられた。

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2016年、〈西美〉の建物と敷地全体が、ユネスコ世界文化遺産に登録された。その際、前庭がル・コルビュジエの当初デザインどおりではないことが指摘された。そこで2020年10月から約1年半をかけて、前庭を原案どおりにする改修工事がおこなわれた。
その間、〈西美〉が全館休館となり、白い工事壁で覆われていたのをご記憶の方も多いだろう。この映画は、その間に、館内にカメラを入れて長期撮影されたドキュメントである。

しかし、前庭の改修で、なぜ「全館休館」しなければならなかったのだろうか。
映画は、その説明から始まる。
そしてカメラは、〈西美〉の内部を、実にいろいろと見せてくれる。その多くは、関係者には当たり前のことだろうが、一般の我々には新鮮な話ばかりである。

*あの巨大な美術館に、職員が何人いるか。
*なぜ、美術展の主催には、必ず新聞社や放送局が入っているのか(これについては、かなり突っ込んだ歴史解説が登場する)。
*美術品の梱包・輸送は、どこがやっているか。
*展示していない絵画は、どうやって保管されているか。
*美術品の購入にあたっては、どういう会議があるか。

こういった解説が、次々と「映像」で登場する。その背景にあるのは、上述、松方コレクションにまつわる歴史ドラマである。〈西美〉も、よくここまで晒したものだと感心した(馬渕明子前館長の英断・全面協力が大きかったと思われる)。

監督は『春画と日本人』で、永青文庫「春画展」の内幕を描いた大墻 敦〔おおがき/あつし〕。前作同様、本作も見事な編集で、「静」の美術界を「動」にかえて見せてくれる(映画の勉強をしている方には、編集のお手本になるのでは)。
美術ファン、美術展ゴーアー必見の映画だ。

ル・コルビュジエは、美術館には「劇場ホール」を設置するべきだと考えていた。だが、当初計画ではそこまでは不可能だった。その案は、のちに「東京文化会館」となって、〈西美〉の真向かいに実現する。設計は、ル・コルビュジエの弟子、前川國男だった。前川は〈西美〉設計にも協力していた。いま、上野駅公園口に向かい合って建つふたつの文化施設は、“師弟競作”なのだ。
この映画に登場する〈西美〉前庭の俯瞰映像は、その東京文化会館の階上から撮影されたものである。

□映画『わたしたちの国立西洋美術館~奇跡のコレクションの舞台裏~』公式サイトは、こちら(予告編あり)
※東京では、15日より、渋谷「シアター・イメージフォーラム」で上映。


【参考資料】
松方図録
「松方コレクション展:国立西洋美術館開館60周年記念」図録(2019年6~9月開催)
※〈西美〉の礎となった「松方コレクション」の美術展図録。通常の美術展図録は、作品・作者解説ですが、これは、作品ごとに、松方幸次郎が、いつ、どの画廊から購入し、その後どうなっていまに至ったのか、そしていかにして〈西美〉開館に至ったかに焦点をあてた、異色の解説です。〈西美〉や松方コレクションに興味のある方は必見。現在でも、〈西美〉ショップや通販で購入できます。


※そのほか、原田マハの小説『美しき愚かものたちのタブロー』(文春文庫)が、〈西美〉成立過程を描いています。


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2023.07.05 (Wed)

第411回 「レコード芸術」最終号を飾った、「最後の1枚」とは

レコ芸最終号
▲「レコード芸術」7月最終号 ※即日完売につき入手不可(電子版はあり)

あたしの子供のころ、実家にいた伯父がたいへんなクラシック・マニアで、LPレコードと「レコード芸術」バックナンバーが山ほどあった。そのため、「レコ芸」は小学生のころから眺めていた(「読んでいた」のではなく、パラパラと「眺めていた」だけ)。
本格的に読むようになったのは、中学生になってからだった。

初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは中1のときで、それは、ヨゼフ・カイルベルト指揮、バンベルク交響楽団のモーツァルト交響曲集だった(第38番《プラハ》を含む数曲)。新宿の「コタニ楽器」で買った。もちろん旧録音の再発売で、1,000円の廉価盤LPだった。
そういうレコードがあることも、伯父の「レコ芸」で知った。

   *****

社会人になると、「レコ芸」を自分のカネで買うようになった。あるとき、隣席の同僚が、あたしの机上にあった「レコ芸」をめくりながら、こう言った。
「この雑誌、なんでこんなに同じ人が何度も出てくるんだ?」
最初、なにを言っているのかわからなかったが、たしかに読みなれないひとには、不思議かもしれない。普通、週刊誌でも月刊誌でも、一人の筆者が一冊のあちこちに何度も登場することは、まずない。だが「レコ芸」は、さまざまな欄に、同一筆者が重複して登場するのだ。
同僚は「書き手の少ない、狭い世界みたいだなあ」と言った。あたしは「そんなもんだよ」などと答えて、あまり気にしなかった。

だが後年、自分自身がクラシックCD情報誌に携わることになったとき、この言葉の重さを思い知った。ほんとうに、書き手が少ないのだ。なかには「レコ芸で書いている以上、おたくでは無理」というひとがけっこういて、驚いた。
なるほど、老舗の威力とは、すごいものだと恐れ入った。

あまりに書き手が確保できないので、仕方なく、自分でも書きまくった。なるべくたくさんの筆者がいるように見せかけようと、3つほどのいいかげんなペンネームを使い分けた。
すると、後年、そのなかの一つの筆名に声がかかるようになり、いつの間にか、ライターもどきの仕事をするようになった。
だが案の定、その情報誌はうまくいかず、数年で終わってしまった。

   *****

結局「レコード芸術」は、もっとも長く買い続けた雑誌になった。本格的に読み始めた中学時代から数えると、50数年になる。
読者が独自にベスト10を選ぶ「リーダーズ・チョイス」に応募し、掲載されたこともあった。

いまはなき池袋のとんかつ名店「寿々屋」のカウンターで、「レコ芸」を読みながら熱燗をやっていたら、店主がのぞき込んで「お客さん、クラシック、お好きなんですか」と聞いてきたことがある。
「ええ。よくわかりますね」、「『レコ芸』読んでらっしゃるから」、「ご主人もクラシック、お好きなんですか?」、「僕の主食ですよ」
以後、ここのご主人とは、半ば公私を超えるお付き合いとなった。「レコ芸」のおかげだった。

その「レコ芸」が、7月号で休刊となった。即日完売だったが増刷はしないようで、すぐに中古市場で高値で取り引きされていた(電子書籍版はあり)。

休刊の理由はあたしごときにはなんともいえない。
最近は、タワーレコードのメルマガや、ナクソス・ミュージック・ライブラリー、あるいはいくつかの通販サイトから、ものすごい量の情報が届く。タワレコ店頭のリコメンド・カードも参考になる。
年齢を重ねるにつれ、レビュワーの評価(特選盤とか、推薦盤とか)も、どうでもよくなっていた。

だが、クラシック音盤の新発「全容」が一挙にわかるメディアは、もう他にない。いくら上記のような情報入手法があるとはいえ、もれている音盤もあるだろう。
その点では、少々不安をおぼえる。

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キースジャレット
▲俵さんの記事と、最後の1枚(以下参照)

クラシック音盤通で知られる、政治ジャーナリスト・俵孝太郎さんは、「レコ芸」を創刊号(1952年3月号)から買いつづけてきた。
タワレコのフリーマガジン「intoxicate」vol.164の連載コラム《クラシックな人々》第160回で、俵さんはこう書いている。

「(略)筆者は創刊当時は大学の最終学年になるころ。それから92歳の今日まで、居場所を転々としながら欠かさず書店で買い続けてきた。創刊から廃刊まで買った雑誌は、他の分野でもたぶん他になかったのではないか」


そして俵さんは、こう嘆く。

「スマホだ、パソコンだ、ネットだ、というデジタル世界とはトンと縁のない老人にとって、どんなCDがいつ出るのか、輸入盤情報を含めて五里霧中なのは甚だ困る」



あたしが週刊誌記者時代、締め切りの日曜深夜にお電話を入れて、俵さんに辛口コメントをいただくことが何回もあった。するといつも、電話の向こうで、荘重なクラシック音楽が流れていたのを思い出す。

   *****

最終号でもっとも感動した記事は、ジャズ評論家・寺島靖国さんの連載コラム《クラシック・ファンのための音のいいJAZZ CD》だった。寺島さんは、吉祥寺にあったジャズ喫茶「meg」の元オーナーである。

その最終回は〈私の連載はここまで。最後に編集者に一言〉と題されていた。詳述は避けるが、担当編集者への感謝を、ユーモアたっぷりに綴った名文だ(あたしは、シニア向けエッセイ教室の講師を長年やっていたのだが、ぜひお手本テキストにしたい!)。

この連載で寺島さんが最後に紹介したCDが、キース・ジャレットの『ブダペスト・コンサート』(ECM)だった(上の写真)。2016年7月に、ハンガリー・ブダペストの国立バルトーク・ホールで開催したコンサートのライヴだ。

ジャレットは、クラシックとジャズの二刀流で、バッハやショスタコーヴィチなどもリリースしている。このCDは彼本流のアドリブ・ピアノ・ソロで、あたしも持っていた。ジャズは詳しくないのだが、「史上もっとも売れたピアノ・アルバム」といわれる『ケルン・コンサート』(ECM/1975年録音)が大好きなので、これもときどき聴いていた。

寺島さんは、連載終了にあたって、この盤の最後にアンコールで収録されている《It‘s A Lonesome Old Town》を担当編集者に薦めている。その反応が、どういうものだったかは、当のコラムをお読みいただきたい。休刊に際して、執筆者と編集者との間に、こんなやりとりがあったと知れて、なんだかうれしくなってしまった。

さっそくあたしも、そのCDを引っぱりだして、ひさしぶりに聴いた。当然ながらキース・ジャレットの演奏はピアノ・ソロなので、歌唱はない。だが、この曲はフランク・シナトラやナット・キング・コールによって歌われたスタンダード歌曲で、本来「歌詞」がある。おおむね、こんな内容だ。

「ここは寂しい田舎町。あなたがいないので、寂しくてたまらない。どれほど恋しかったか、いまとなってはよくわかる。お願いだから、もどってきて」

「レコード芸術」の最後を飾るCDは、この1枚に尽きる。残念ながら「クラシックCD」ではなかったが。


□「レコード芸術」最終号は、こちら
□キース・ジャレット『ブダペスト・コンサート』は、こちら。 
※《It‘s A Lonesome Old Town》をiTunesで購入、一部試聴できます。
□寺島靖国さんの「ジャズ喫茶メグ記念館」は、こちら


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