2023.07.10 (Mon)
第412回 【映画紹介】国立西洋美術館は、なぜ1年半も閉館していたのか? 興味津々のドキュメント

▲15日より公開 ※リンクは文末に
現在公開中の映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は、冒頭、ナチス・ドイツが、略奪した大量の美術品や文化財を移送するシーンからはじまる。
このナチスによる美術品略奪は戦時中から大問題となっており、近年も『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』(クラウディオ・ポリ監督、イタリア他、2018)と題するドキュメンタリ映画が製作されている。
これに対し、アメリカ軍は美術品救出部隊、通称「モニュメンツ・メン」を組織し、ナチスと略奪攻防戦を繰り広げた。その活躍を描いた映画が『ミケランジェロ・プロジェクト』(ジョージ・クルーニー監督、アメリカ、2014)だった。
かように「戦争」では、しばしば美術品をめぐる略奪・争奪戦が発生する。
敗戦国・日本も、似たような大問題に遭遇した。だがその結果、私たち日本人は、素晴らしい美術館に恵まれた。「国立西洋美術館」(通称〈西美〉)である。
15日より公開される映画『わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏』は、その〈西美〉内部を描く「美術館ドキュメント」である。
映画紹介の前に、ご存じの方も多いと思うが、〈西美〉の歴史について簡単に説明しておこう。というのも、この映画は、〈西美〉成立史が前提になっている部分があり、それを知っているかいないかで、面白さが少々変わってくるからだ(映画内では、それほど細かく説明されていない)。
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▲松方幸次郎 (出典:Wikimedia Commons)
明治期の総理大臣・松方正義の息子で、川崎造船社長・松方幸次郎(1866~1950)は稀代の美術コレクターだった。第一次世界大戦の前後、何度か渡欧し、大量の美術品を買い集めていた。その数、約1万点! パリ中の画廊から近代絵画が消えたと噂されるほどの勢いだった。特にクロード・モネには個人的な信頼を得て、「睡蓮」などの名品を多数購入している。

▲松方が購入し、フランスに接収されたモネ「睡蓮」(その後、返還されて現在は〈西美〉に) (出典:Wikimedia Commons)
松方は、それらコレクションを私蔵することなく、日本で初の「西洋美術館」を設立し、ひろく公開するつもりだった。すでに麻布に土地まで確保、建物の構想も出来あがり、名称も「共楽美術館」(誰もが共に楽しめる)と決まっていた。
だが、関東大震災や昭和初期の経済恐慌で川崎造船が破綻。膨大なコレクションは売立会に出されて散逸する。つづく第二次世界大戦で、ロンドンのパンテクニカン倉庫に保管していた約950点の美術品が空襲で焼失。さらに、パリにあった約400点は「敵国人資産」として接収され、「フランスの国有財産」となってしまう。
松方の夢はやぶれた。戦後は公職追放となり、占領中の昭和25年、脳溢血で死去する(享年84)。
だが、その松方の夢を実現させようとするひとがいた。ときの総理大臣、吉田茂である。松方の死後、連合国と日本政府との間で、講和(日本独立)の交渉が本格化した。日本国全権大使となった吉田は、フランス政府に対し、「松方コレクション」の全面返還を主張した。交渉は難航したが、吉田は一歩も引かなかった。
やがてフランス政府は折れ、多くの条件付きながら返還されることになった(ただしフランスにとっては「寄贈」)。その条件のひとつが、「“フランス美術館”を設立し、寄贈美術品を保管・公開せよ」だった。
かくして約370点の美術品が返還(寄贈)されることになった。
1953(昭和28)年、日本政府は「フランス美術館準備協議会」を設置する。だが、予算はない、土地はないで、実現は困難を極めた。
前年の昭和27年には、ブリヂストン美術館が、日本初の西洋美術館として先にオープンしていた(現アーティゾン美術館)。
フランス側からは「お望み通り寄贈したのだから、早くせよ」とせっつかれる。建築設計はフランス側に配慮したのか、ル・コルビュジエに依頼した(フランス側が推挙したとの説もある)。
よく「敗戦国日本は、アメリカの言いなりだった」といわれるが、西洋美術にかんしては、フランスに主導されていたのである。
結局、政財界と美術界が一致団結して大口寄付運動が起こり、なんとか建築費は確保された。敷地は、上野寛永寺の土地を東京都が購入し、国に無償貸与する形で、上野駅公園口に確保された。
こうして1959(昭和34)年1月、悲願の“フランス美術館”が誕生した。松方コレクションを中心に、今後、西洋美術全般をカバーすることを目標に「国立西洋美術館」と名付けられた。
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2016年、〈西美〉の建物と敷地全体が、ユネスコ世界文化遺産に登録された。その際、前庭がル・コルビュジエの当初デザインどおりではないことが指摘された。そこで2020年10月から約1年半をかけて、前庭を原案どおりにする改修工事がおこなわれた。
その間、〈西美〉が全館休館となり、白い工事壁で覆われていたのをご記憶の方も多いだろう。この映画は、その間に、館内にカメラを入れて長期撮影されたドキュメントである。
しかし、前庭の改修で、なぜ「全館休館」しなければならなかったのだろうか。
映画は、その説明から始まる。
そしてカメラは、〈西美〉の内部を、実にいろいろと見せてくれる。その多くは、関係者には当たり前のことだろうが、一般の我々には新鮮な話ばかりである。
*あの巨大な美術館に、職員が何人いるか。
*なぜ、美術展の主催には、必ず新聞社や放送局が入っているのか(これについては、かなり突っ込んだ歴史解説が登場する)。
*美術品の梱包・輸送は、どこがやっているか。
*展示していない絵画は、どうやって保管されているか。
*美術品の購入にあたっては、どういう会議があるか。
こういった解説が、次々と「映像」で登場する。その背景にあるのは、上述、松方コレクションにまつわる歴史ドラマである。〈西美〉も、よくここまで晒したものだと感心した(馬渕明子前館長の英断・全面協力が大きかったと思われる)。
監督は『春画と日本人』で、永青文庫「春画展」の内幕を描いた大墻 敦〔おおがき/あつし〕。前作同様、本作も見事な編集で、「静」の美術界を「動」にかえて見せてくれる(映画の勉強をしている方には、編集のお手本になるのでは)。
美術ファン、美術展ゴーアー必見の映画だ。
ル・コルビュジエは、美術館には「劇場ホール」を設置するべきだと考えていた。だが、当初計画ではそこまでは不可能だった。その案は、のちに「東京文化会館」となって、〈西美〉の真向かいに実現する。設計は、ル・コルビュジエの弟子、前川國男だった。前川は〈西美〉設計にも協力していた。いま、上野駅公園口に向かい合って建つふたつの文化施設は、“師弟競作”なのだ。
この映画に登場する〈西美〉前庭の俯瞰映像は、その東京文化会館の階上から撮影されたものである。
□映画『わたしたちの国立西洋美術館~奇跡のコレクションの舞台裏~』公式サイトは、こちら(予告編あり)
※東京では、15日より、渋谷「シアター・イメージフォーラム」で上映。
【参考資料】

「松方コレクション展:国立西洋美術館開館60周年記念」図録(2019年6~9月開催)
※〈西美〉の礎となった「松方コレクション」の美術展図録。通常の美術展図録は、作品・作者解説ですが、これは、作品ごとに、松方幸次郎が、いつ、どの画廊から購入し、その後どうなっていまに至ったのか、そしていかにして〈西美〉開館に至ったかに焦点をあてた、異色の解説です。〈西美〉や松方コレクションに興味のある方は必見。現在でも、〈西美〉ショップや通販で購入できます。
※そのほか、原田マハの小説『美しき愚かものたちのタブロー』(文春文庫)が、〈西美〉成立過程を描いています。