2023.07.24 (Mon)
第417回【新刊紹介】芥川賞『ハンチバック』にただよう、クラシックの気配

▲市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋)
本年上半期の芥川賞受賞作が発表になった。すでに春に文學界新人賞を受賞していた、市川沙央氏の『ハンチバック』(文藝春秋)だが、報道でご存じのとおり、この著者は「筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症および人工呼吸器使用・電動椅子当事者」である(「文學界」5月号~第128回文學界新人賞受賞者略歴より)。あたしは不覚にもこの病名を初めて知った。作品名の意味は、本文中にこうある。
せむし〔ハンチバック〕の怪物の呟きが真っ直ぐな背骨を持つ人々の呟きよりねじくれないでいられるわけもないのに。
※ユーゴーの小説『Notre-Dame de Paris』は何度も映画化されているが、そのほとんどは(ディズニーのアニメも含めて)『The Hunchback of Notre-Dame』と改題されている。
あたしは大学で出版関連の授業をもっているのだが、本作について、春ころに「芥川賞の可能性が高いと思う」と解説した。なぜなら、もちろん、文學界新人賞受賞作が芥川賞に連なることが多いせいもあるが、一読して、(おそらく、ほぼ)実話体験記にもかかわらず、冷静な客観性が全編を貫いており、重度障害への社会の無理解を訴えるとか(そういう要素もないでもないが)、その種のメッセージ性よりも、批評性のほうがはるかに勝っている。それこそが文学の役目のはずで、この作品は見事にそれを成就させているように感じたからだ。
たとえば本作の主人公は(おそらく、ほぼ作者自身)、重度障害を負いながらネット上にエロ記事を寄稿するライターなのだが、
このグループホームの土地建物は私が所有していて、他にも数棟のマンションから管理会社を通して家賃収入があった。親から相続した億単位の現金資産はあちこちの銀行に手付かずで残っている。私には相続人がいないため、死後はすべて国庫行きになる。
なんていう自己紹介的な文があって、なんとエロ・ライターでありながら、自ら所有する障害者施設で十分な収入を得ながら暮らしていることが、平然と描かれるのだ(主人公はこの施設を「イングルサイド」を名付けている。「赤毛のアン」シリーズの第7作『炉辺荘〔イングルサイド〕のアン』からの引用である)。
ところが、こういう文の直後に、
生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりとも溜飲を下げてくれるのではないか?
と“締め”の一文がつづく。こういう表現が、ほかの場面(たとえば性行為の)にもあり、リアル描写と客観批評描写が交互にあらわれる。このあたりが本作の魅力のひとつのように思う。
……と、わかったようなことを書いたが、あたしは文芸評論家でもなんでもなく、一介の雑文屋である。実は、あたし自身、もっとほかの点で、本作をおもしろく読んだのだ。それは、この作者は、かなりクラシック音楽を聴きこんでいるにちがいないと睨んだからだ。この主人公は、〈某有名私大の通信課程〉に在籍している(作者も同様)。そこで、
表彰文化論ゼミのフォーラムで近々テーマ発表の順番がくる。まだ卒業研究のテーマ決めに迷っている。ワーグナー『ニーベルングの指環』の侏儒アルベリヒに見られる反ユダヤ表象について? それとも『モナ・リザ』スプレー事件の米津知子と岩間吾郎の当事者文学をフェミニスト・ディスアビリティの視点から論じるか。
と悩んでいる(ちなみに、『モナ・リザ』スプレー事件については、作中でももう少し詳しく触れられているが、いまは紙幅でカット。興味ある方は検索するか、手塚治虫『ばるぼら』第21話「大団円」をお読みください)。
彼女はワーグナーに興味があるようで、ほかにも、
フランツ・リストは185センチの長身で、その娘のコジマも大柄な女性だったと言われている。ワーグナーと妻コジマの身長差は15センチという説がある。ワーグナー自身の身長は150センチから167センチまでの幅をもって推定されているが、小柄だったのは間違いない。指環を呪う侏儒アルベリヒは同族嫌悪の産物かもしれない。/下世話なルッキズムを核とした卒業研究なんて許されるんだろうか?
と衒学スレスレのような話題も登場する。
嘘寒い長調の会話など奏でる才能のないわれわれは短調で、いや、シェーンベルクの不協和音のように枠を外して本音を語ることができる。無調的〔atonal〕に。
などという文もある。かなりクラシックを聴きこんでいるひとだと察する。
そして、読んでいると、おそらくほとんどのひとが、最終節で戸惑うと思う。いったいここは何なのか、いや、いままで読んできた部分は何だったのか? これにかんしては、文學界新人賞選考委員も全員が迷ったようだ。なかでも中村文則氏にいたっては、はっきり〈最後の*以降がよくないと感じた。(略)掲載時には何かしら直っていればいいと願っている〉とまで断じていた(しかしたぶん、修正されずに掲載されたのだと思う)。今後、月刊「文藝春秋」に載るはずの芥川賞選考委員の選評が楽しみだが、この戸惑いの最終節にも、ちゃんと、こんな一文がある。
(略)私は史上最高に感じてる女の子の声が出せた。オペラだったらコロラトゥーラ。
市川沙央さんの『ハンチバックが聴くクラシック』を、ぜひ読んでみたい。
※引用は、すべて「文學界」5月号掲載の『ハンチバック』より。