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2023.10.30 (Mon)

第428回 【コンサート告知】 ロシアとウクライナの幸福な関係~パシフィル名曲コンサート

ストールンプリンセス
▲日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション映画

9月22日に公開され、小規模ながらいまでもロングランをつづけている(10月30日現在)アニメーション映画がある。『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』(オレ・マラムシュ監督/2018年、ウクライナ)。日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション作品である。

制作はウクライナのアニメーション・スタジオ「アニマグラード」で、ここはもともとTVアニメの製作会社だった。2018年製作の本作が、初めての劇場用長編アニメーションだという。

本作が日本公開に至る過程は、すでに報道などでご存じの方も多いと思う。都内の映画配給会社に勤務していた女性、粉川なつみさん(27)が本作に惚れこみ、ウクライナの支援になればと一念発起して退職し、自ら配給会社を設立。全財産を注ぎ込み、クラウドファウンディングの助けも得て、1年をかけて買いつけた。幸いKADOKAWAが共同配給に乗り出してくれて、日本での一般公開となった。

もともとウクライナは世界的な映画人を多く輩出してきたエリアである。長年、ソ連の構成国だったので、一般には「ロシア/ソ連映画」として認識されてきたものの、実際には「ウクライナ映画」ともいうべき作品も多い。たとえば名作『誓いの休暇』(1959)や、『女狙撃兵マリュートカ』(1956)、『君たちのことはわすれない』(1977)などのグリゴーリ・チュフライ監督(1921~2001)はウクライナ生まれである。

エイゼンシュテイン、プドフキンとともに「ソ連映画界3大巨匠」の1人と称されたオレクサンドル・ドヴジェンコ監督(1894~1956)もウクライナ人だ。彼の名作無声映画『大地』(1930)は、『ズヴェニゴーラ』(1928)、『武器庫』(1929)とともに「ウクライナ三部作」と称されている。

上述のアニメ『ストールンプリンセス』は、プーシキンの物語詩『ルスランとリュドミラ』が原作である。魔術師によって拉致されたキエフ大公国(現在のウクライナ一帯)のリュドミラ姫を、騎士ルスランが救出して結ばれるまでの冒険ファンタジーだ。絵柄や全体構成はディズニーの影響が感じられるが、意外とプーシキンの原作に忠実で、登場キャラクターも独特な面白さがあった。この物語はグリンカ作曲のオペラ化のほうが有名だろう。全編にロシア特有の民族音楽的な旋律が使われており、グリンカは、前作《皇帝に捧げし命》と本作とで、“ロシア近代音楽の父”として名声を確立した。

かようにロシアとウクライナは、少なくとも芸術のうえでは、たいへん幸福な関係にあったのである。ボロディンの歌劇《イーゴリ公》もキエフ大公国が舞台である。そのほか、ピアニストでいうとホロヴィッツ、ギレリス、リヒテル。ヴァイオリニストではミルシテイン、オイストラフ、スターン、コーガン、シトコヴェツキ。これみんな、むかしは「ソ連/ロシアの音楽家」で一括りにされていたが、実は「ウクライナ出身」である。

だが、「ロシアとウクライナの幸福な関係」といえば、なんといっても、チャイコフスキーにとどめを刺す。彼は祖父の代まで姓は「チャイカ」だった。ウクライナでは一般的な名前で(日本の「佐藤」「鈴木」のような感じ?)、いまでも「チャイカ空港」「チャイカ航空」などがある。ロシアの時計やカメラにも同名製品がある。高田馬場にある老舗ロシア料理店の名前も「チャイカ」だ。意味は「かもめ」。女性初の宇宙飛行士テレシコワのコール・サイン「ヤー・チャイカ」(私はかもめ)は、チェーホフの戯曲『かもめ』からの引用だった。

チャイコフスキーの先祖「チャイカ」家はウクライナのコサック兵士の一族で、戦功で貴族っぽい名前「チャイコフスキー」への改姓を許された。彼の交響曲第2番ハ短調には《小ロシア》なる副題が付いている。この「小ロシア」とはウクライナのことである(ただし、これは「上から目線」の呼び方で、当のウクライナの人たちにすれば「侮蔑的な呼称」である)。全編にウクライナ民謡が使用されており、ほとんど「ウクライナ賛歌」のような曲である。

パシフィル

11月1日に開催される、パシフィックフィルハーモニア東京(旧「東京ニューシティ管弦楽団」)の第2回名曲シリーズはロシア名曲特集だが、期せずして、この「ロシアとウクライナの幸福な関係」を考えさせられる名曲が多く取り上げられる。先述のグリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲、ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》、歌劇《イーゴリ公》~〈ポロヴェツ人の踊り〉。そして、ウクライナ系のチャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調。ちなみにこの第4番は、同性愛者だったチャイコフスキーが無理に女性と結婚してしまったため、苦悩に襲われる、そこからの脱却を音楽にした作品である。

指揮はベテラン、汐澤安彦。東京佼成ウインドオーケストラ初代常任指揮者として、日本の吹奏楽界を開拓してきた大功労者でもある。機会があればぜひお聴きいただきたい。ウクライナ戦争はいまだ終息を見出せないようだが、せめてこのひとときだけは、本来の「ロシアとウクライナの幸福な関係」に思いを馳せたいものだ。
(敬称略)

◇パシフィックフィルハーモニア東京:第2回名曲シリーズ(指揮:汐澤安彦)は、こちら
2023年11月1日(水)19:00/東京芸術劇場 コンサートホール
※プログラムの楽曲解説を執筆しました。

◇『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』は、こちら


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2023.10.24 (Tue)

第427回 【演劇】なぜ国立劇場を建て替えるのか

校倉造り
▲正倉院の校倉造を模した、国立劇場の独特な外観(筆者撮影)

国立劇場が今月いっぱいで閉場する。

あたしは、文楽(小劇場)が多かったが、それでも歌舞伎(大劇場)、女流義太夫(演芸場)、さらには小さいながらも充実していた伝統芸能情報館(記録映像の上映室は、実に面白かった!)などに40数年通ったことになる。取材や見学で、研修所や事務所などの“舞台裏”にも、何度かおじゃました。

正倉院の校倉造〔あぜくらづくり〕を模した、あの独特な建物に近づくと、少しばかり凛とした心持になったものだ。

音羽屋公演では、いつもロビー隅に富司純子さんが見事な着物姿でおられて、映画マニアのあたしなど思わず「お竜さん!」と“大向こう”したくなった。

閉場にあたっての「思い出エッセイ」に応募したら採用され、大劇場ロビーに掲出されたのも、いい思い出だ。初代玉男、文雀、蓑助、住太夫……名人たちの舞台も脳裏に浮かぶ。

   *****

閉場の理由は、老朽化だそうである。1966年11月開場なので、満57年になる。このような立派な建築物が「50年超」で「老朽化」するものなのか、あたしはよくわからない(建て替え構想の発表は2014年で、この時点では「築47年」だった)。

だが、ちょっと気になることがある。国立劇場より古いのに、そのまま(もちろん一部修復などで)使用されている公共建築物は、いくらでもある。たとえば、東京国立博物館本館(1938年開館/重要文化財)と表慶館(1909年開館/重要文化財)、国立西洋美術館(1959年開館/世界文化遺産)、東京文化会館(1961年開館)……京都と奈良の国立博物館も明治時代の建築物のはずだ。

文化庁では、築50年以上を経た建築物を「登録有形文化財」として保護する事業を進めている。登録されれば、相続税や固定資産税なども軽減される。要するに「50年以上経った建築物はなるべく残し、地域の文化資産として生かせ」というわけだ。あたしの身近では、神楽坂の「矢来能楽堂」や、日本最古のビヤホール「銀座ライオンビル」などが「登録有形文化財」である。

国立劇場は巨大演劇施設なのだから、それら文化財と同列に論じられないことは、わかる。しかし、こんなに多くの、50年超の建築物ががんばっているのに、ほんとうに国立劇場は、たった「57年」で建て替えなければならないほどボロボロなのだろうか。

   *****

あたしは素人なりに、建て替えには2つの、別の理由があるような気がしている。一つは、国立劇場の「使命」の終焉である(ほかに育成・研修所の使命があるが、もちろんこれは今後も続けるべき事業であり、いまは詳述しない)。

国立劇場は開場にあたって「通し上演」「復活狂言」をモットーに掲げた(10月最終公演のプログラムに、作家で国立劇場評議員もつとめた竹田真砂子さんが、詳細な回想随筆を寄稿している)。

歌舞伎は、松竹の興行となってから、名場面だけをダイジェスト上演する「見取り」が中心となった。だが本来、歌舞伎は(特に院本物となれば)長時間演劇である。そこで国立劇場は、オリジナルに返って、可能な限り全編を上演する「通し上演」で松竹に“対抗”した。いわば江戸時代の歌舞伎に近い姿を伝えてきたのである。たとえば今回の歌舞伎のさよなら公演は『妹背山女庭訓』全五段の通し上演だったし、文楽は『菅原伝授手習鑑』の通しだった。

だが、「通し上演」で復活・復元するべき、それでいて現代に通じる狂言は、ほぼ出尽くしたのではないだろうか。毎年正月は、菊五郎劇団による楽しい復活狂言で、「こんな芝居があったのか」と驚かされてきた。だが、これとて現代向けに大幅改訂された、ほぼ新作といっていい内容である。

しかし「通し上演の復活は終わった」としても、そもそも名作であれば、何度おなじ演目を繰り返したっていいはずだ。あるいは、新しい興行形式を探ってもいいのではないか。菊五郎劇団をさらに進めて、いっそ新作中心にしてもいいし、もっと安い値段と短時間で、松竹よりも徹底した見取り興行にしたっていいと思うのである。

そして建物が「老朽化」したというのであれば、ほかの歴史的建造物とおなじように、修復しながら使えばいいのである。東日本大震災後、多くの建物が耐震構造の不備を指摘され、大規模修繕や閉鎖に至った。だが国立劇場は、そのまま開いているのだから、その点は大丈夫なはずだ。

   *****

国立劇場を運営する日本芸術文化振興会が発表している資料に、《国立劇場本館の建築史的評価》がある。東京工業大学の藤岡洋保・名誉教授がまとめたものだが、こんなに面白くて感動的な学術レポートは、まずない。PDFでネット公開されているので、ぜひお読みいただきたい。この建物が、いかに「建築史」的に重要であったかが、わかりやすく綴られている。【リンクは文末に】

特に、設計中心者・岩本博行氏(竹中工務店大阪本店設計部)が、奈良の正倉院に何度も通い、校倉造を研究したとの記述には心を打たれる。さらに外壁にサンドブラスト(吹付け)をかけて黒褐色にし、古木の味わいを出したのは、いま見ても「なるほど!」と相槌を打ちたくなるアイディアだ。

国立劇場全景
▲全体に黒褐色のサンドブラストが(筆者撮影)

岩本氏の談話「(現代建築に対し)古典の様式のほうが勝つと思うのです。校倉という様式にはモダンがあると思うのです。だからそのまま現代建築に再現していってもモダンが表現できると思いました」も採録されている。

これを読んでいると、「そんなに重要で素晴らしい建物なら、なぜ残そうとしないのか」といいたくなること必定である。

   *****

だがそれでも、国立劇場はなんとしても建て替えなければならないらしい。しかも二代目国立劇場は、ホテルやレストランと一緒になるという。実は、これこそが第二の、そして最大の建て替え理由だとしか思えないのだ。

振興会が発表した《国立劇場再整備基本計画》や報道などによると、建て替え後は最高74mのビルになる。現在、日比谷シャンテが72m、朝日新聞東京本社が71mなので、おおむねあんな感じのビルが、皇居をのぞむ半蔵門の斜め前、最高裁判所の真横に建つのである。そのなかはレストラン、カフェ、ショッピング・モールとなり、PFI(民間資金活用事業)の導入でホテルも併設、低層階に二代目国立劇場が入る。正面入り口前は「賑わいスペース」と称する広場になる。【基本計画リンクは文末に】

これが外国人観光客目当てであることは、いうまでもない。宿泊・食事・買い物・カブキをワンセットで、国が売り出すのだ。《基本計画》のなかでも「文化観光拠点としての機能強化」「インバウンド層の観光需要を取り込み」とはっきり記されている。つまり建て替えの理由は、「使命の終焉」「老朽化」もさることながら、実は、新たな観光拠点を都心の一等地につくることにあったのである。

あたしは不勉強で知らないのだが「ナショナル・シアター」がホテルやレストランなどの“雑居ビル”の一部に入っている国が、世界のどこかにあるのだろうか。

もっとも、再開発業者の選定は、いままで二度の落札でも成立していない。再開場は「遅くとも2029年度を目指す」とされているが、これも遅れるであろう。

余談だが、これらを推進しているのは、近年、芸術祭賞・映画賞、メディア芸術祭などを続々と廃止して京都に移転していった文化庁である。現在の長官は、ピンク・レディーで一世を風靡した作曲家の都倉俊一だ。

   *****

先のレポートの最終部分に、こんな文章がある。

《岩本は景観に配慮する建築家で、国立劇場では、モノトーンで統一していることや、高さを抑えているあたりにそれが見てとれる。人目を惹くものではなく、景観に参加する建築というのが、彼が目指した建物のあり方だった。》

岩本博行氏は、竹中工務店常務をつとめ、1991年に77歳で逝去している。国立劇場が74mの“雑居ビル”になった姿を見ずに逝ったわけだ。それを知ってホッとするのは、あたしだけだろうか。
(一部敬称略)

地下道
▲永田町駅から行くと必ず通る「地下道」(筆者撮影)

◇《国立劇場本館の建築史的評価》は、こちら
◇《国立劇場再整備基本計画》は、こちら
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2023.10.21 (Sat)

第426回 【演劇】長崎の敵を「文藝春秋」で討った? 文学座『逃げろ! 芥川』

文学座チラシ
▲文学座公演『逃げろ! 芥川』(詳細、文末に)

映画のジャンルに「ロード・ムービー」がある。「旅」は、途中でなにが起きるか予想がつかず、しかもその大半が未体験トラブルだ。ゆえにドラマにしやすいせいか、傑作が多い。『オズの魔法使い』『道』『イージー・ライダー』『俺たちに明日はない』『パリ、テキサス』『スタンド・バイ・ミー』『2001年宇宙の旅』……。

あたしの好きな3大ロード・ムービーは、『有りがたうさん』(清水宏監督/1936年)、『少年、機関車に乗る』(フドイナザーロフ監督/タジキスタン、1991年)、『長い旅』(フェルーキ監督/フランス=モロッコほか、2004年)。機会があれば、ぜひご覧いただきたい。

10月27日から上演される、文学座公演『逃げろ!芥川』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)も、一種の「旅」もので、強いていうと「鉄道旅行芝居」である。あたしは、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿した関係で、事前に台本を拝読したのだが、これがなかなか面白い芝居なので、ご紹介しておきたい。

   *****

1919(大正8)年5月、芥川龍之介と菊池寛は、親友同士、取材と遊びをかねて長崎へ旅行に出かける。大流行したスペイン風邪の余波から逃れる意味もあった。すでに芥川は『羅生門』『地獄変』などを、菊池は『父帰る』『恩讐の彼方に』などを書いており、相応の人気作家である(ただし菊池はまだ「文藝春秋」は始めていない)。

いまなら羽田~長崎は航空便で2時間だ。だが大正時代は、そうはいかない。この長い鉄道旅行中、車中にさまざまな「女性」が乗り込んでくる。彼女たちは、みな、芥川に関係のある実在女性のようで、かつ、彼の作中人物のようでもある。芥川は、彼女たちから「逃れる」ために、この旅に出たはずだった。果たして彼は、夢とも幻影ともつかない彼女たちから、逃れることができるのか。

作者・畑澤聖悟は、青森県立青森中央高校の演劇部顧問。全国高等学校演劇大会(夏の大会)で最優秀賞を何度も受賞しているほか、春季全国高等学校演劇研究大会にも出場している “演劇強豪校”の指導者である(高校演劇にも、甲子園なみに春夏の全国大会があるのだ!)。その一方、青森で劇団「渡辺源四郎商店」を主宰するほか、プロ劇団のための書下ろしも多い。あたしも劇団民藝や劇団昴で、同氏の作品をいくつか観てきた。今回は、初の文学座への書下ろしだという。

ところで、この旅は、人気作家2人による当時としては珍しい大旅行だったので、マスコミでも話題となった。よって、いくつかの余話がある。そのひとつを……。

   *****

菊池寛と芥川龍之介は親友同士だったが、久米正雄も、彼らと一高時代からの“文学仲間”である。いまではほとんど読まれない作家だが、芥川とおなじ漱石門下で、菊池たちと「新思潮」を創刊した仲だった。最近よく使われる言葉「微苦笑」を創始したひとである。

その久米が、大正8年5月18日付の大阪毎日新聞に、こんな文を寄稿している。

《親愛なる菊池君。君が長崎へ発つ時、呉々も病後の夜の外出を警〔いまし〕めて呉れたに係わらず、僕は帝劇の梅芳蘭〔メイ・ランファン〕を、替り目毎に五回見て了〔しま〕った。初日の晩などは帰ってから、熱を測って見たら三四分上っていた。》(『麗人梅蘭芳』)

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▲1957年、北京にて。左から毛沢東、ヴォロシーロフ国防大臣(ソ連)。右が梅蘭芳。【出典:Wikimedia Commons】

梅蘭芳(1894~1961)は、京劇の女形大スターで、このときが初来日だった。その人気はたいへんなもので、久米自身も《近来にない佳いものだった。》《云いようのない芸術的美感を私に與〔あた〕えた。》と、えんえんと絶賛を書き連ねている。楽屋で当人にも会ったようだ。そして、

《返す返すも君や芥川君の是を見なかったのが惜い。長崎なぞは何時でも行って見られるではないか。》

とまで述べている。よほどこの美貌の女形に感動したようだが、行間からは「なぜ、俺も長崎へ連れて行ってくれなかったのか」との悔し紛れも若干伝わってくるようだ。

だがこの時点で、久米は、長崎には行けなかったが、京劇に関しては芥川より自分のほうがずっと詳しい“通”になったと思っただろう。実際、この2人は一高時代から、一緒に連日の劇場通いをするほどの芝居好きだった。

ところが、後の大正10年、芥川は大阪毎日新聞の特派員として、中国に約3か月間、派遣される。そこで60余の京劇舞台を観て、役者や関係者と接するのである。そして見事にその特色をつかみ、「派手な鳴物」「質素な舞台装置」「豊富な隈取り」などを挙げ、「背景は無地のほうがいい」などいくつかの改良案まで提示するのである(『上海游記』ほか)。

それどころか、大正13年、梅蘭芳の二度目の来日公演に駆けつけ、本人との座談会にも出席し、その感想を、菊池が創刊した「文藝春秋」誌上で、こう述べるのだ。

《男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化した。しかしこれを戯曲化したものは必しもショウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓関」を見、支那にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。》(『侏儒の言葉』より/大正14年2月号)

要するにバーナード・ショーが『人と超人』で描いた「女が男を追いつめる」話など、とっくのむかしに京劇で描かれていたというのである。これは、大衆芸能としか見られていなかった京劇を、日本人が文学戯曲として考察した最初の論考だといわれている。

久米は、随筆『芥川龍之介氏の印象』で、こう書いている。

《昔は僕も、ちょくちょく演劇や絵画の点で彼を啓発してやっていた。そして彼の知らぬものの名ぐらいは教えてやりもしたことがある。が、しばらくすると彼はいつの間にかそれらをマスタアして、僕のほうへ逆輸入をするほどにエラくなっている。これが僕等を追い越す彼の不断の勉強である。》(「新潮」大正6年10月号)

芥川は、梅蘭芳の初来日を観られなかった、いわば「長崎の“敵”〔かたき〕」を、「文藝春秋」で討って、たしかに久米を追い越したのである。
(敬称略)

◆文学座公演 『 逃げろ!芥川 』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)   
2023年10月27日(金)~11月4日(土)、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
詳細は、こちら。
※不詳、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿したので、ご笑覧ください。



16:59  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.10.19 (Thu)

第425回 【コンサート】カーチュン・ウォンの《夏の朝の夢》

サントリー入口
▲カーチュン・ウォン&日フィル(10月13日、サントリーホールにて)。

カーチュン・ウォンは、2018年11月に東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)第141回定期演奏会に登壇している(大阪でも)。それ以前に、日本のオーケストラを指揮したことは何度かあったようだが、あたしが彼の指揮姿を見たのは、そのときが初めてだった。

曲は、バーンズの《呪文とトッカータ》、ヴァンデルローストの交響詩《スパルタクス》、アーノルドの《ピータールー序曲》(近藤久敦編)、ムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》(高橋徹編)。

ここで面白いなあと思ったのは、《展覧会の絵》に、高橋徹(大阪音楽大学教授)編曲のスコアを起用したことだった。この曲の吹奏楽ヴァージョンはいくつかあるが、高橋版は、鍵盤打楽器で開始する新発想の編曲である(ヴィブラフォン+チャイム+グロッケンシュピール+チェレスタ)。大阪音大短期大学部吹奏楽コースの教材として編曲され、たまたまヤン・ヴァンデルローストが興味をもち、ベルギー・レメンス音楽院で彼の指揮により全曲初演・録音~出版に至った。

吹奏楽でも、ラヴェル版に即した編曲を好む指揮者が多いのに、なぜカーチュンは、このヴァージョンを選んだのか。事務方に聞いたら、「吹奏楽でやる以上、従来のラヴェル版から離れた、吹奏楽らしい編曲で演奏したい」との希望があり、高橋版になったとのことだった。

実はカーチュンは、“吹奏楽少年”だった。シンガポール生まれの彼は、小学校1年からブラスバンド部でコルネットを吹いてきた。中学~高校時代は吹奏楽部でトランペットを吹き、TKWOのディスクを聴きながら、その響きに憧れていたという。だが、兵役で軍楽隊勤務中に唇を傷め、作曲・指揮の道に進んだ。クルト・マズアに師事し、2016年にグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝して世界の檜舞台に登場した。

このコンクールは3年に1回、バンベルク交響楽団の主催で開催される。マーラーの孫娘マリーナ・マーラーが名誉審査員。2004年の第1回でグスタヴォ・ドゥダメルが優勝したことで最初から注目を浴びる催しとなった(ちなみにこの第1回で第3位に入賞したのが、のちにシエナWOやTKWOを指揮する松沼俊彦氏である)。

カーチュンがTKWOを指揮する姿は、いまでも脳裏に焼き付いている。スックと立って(それこそ軍楽隊の楽長のように)、その振りは、拍をとるというよりは、楽譜に書かれた指示や表情を、各楽器に細かく身振り手振りで伝えているようだった。しかも全曲、暗譜。スコアが隅々まで頭に入っていることは明らかで、とてもいい演奏だった。あとで楽団員諸氏に感想を聞いたら、みなさん、大絶賛であった。ぜひ、これからも時々でいいから、吹奏楽を指揮してほしいと願わずにはいられなかった。【演奏ライヴ映像あり→文末】

   *****

そのカーチュン・ウォンが、日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任し、この10月13・14日、第754回東京定期演奏会(首席指揮者就任披露演奏会)に登壇した(サントリーホール)。いままでに同団には何度か客演しており、あたしは日フィルの定期会員なので聴いていたが、この日は、いよいよ正式な「首席」就任披露である。しかも曲は、演奏時間100分超におよぶ超大作、マーラーの交響曲第3番ニ短調(山下牧子=メゾ・ソプラノほか)。実はこの第3番は、カーチュンが優勝した年のマーラー・コンクールの、課題曲の1つだった(おそろしいコンクールだ!)。

会場はほぼ満席(13日)。このような形で、ふたたびカーチュンの指揮姿を見るとは予想していなかったので、とてもうれしかった。しかも2階R席なので、今回は彼の表情を見ながら聴くことになった。もともと童顔とはいえ(1986年生まれなので、まだ37歳である)、こんなに楽しそうに、うれしそうに、幸福の表情で指揮しているとは驚いた。今回も暗譜である。この大曲を暗譜で振る指揮者は珍しくないが、とにかくマーラーのスコアは指示や記号が多い。それらがすべて脳裏に刻まれており、今回もまた、ひとつひとつていねいに、身振り手振りで表現して音を引き出すかのようだった。

日フィルもまさに入魂の演奏で、冒頭のホルン(9本!)から見事なそろい方。第4楽章、女声ソロ(ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)とホルンの“かけ合い”も、美しかった。第6楽章では7人(対)のシンバル奏者が同時炸裂し、まるで首席就任を寿ぐ大讃歌のようですらあった。終演後も拍手は鳴りやまず、聴衆は帰ろうとしない。楽団員が下がったステージに一人呼び出され、いつまでも笑顔で拍手に応えていた。

カーチュン

この曲をマーラー自身は、当初、一種の“自然讃歌”として計画していた。だから、むかしのLPには、本来付く予定だった副題《夏の朝の夢》が冠せられた盤がよくあった。それを考えると、いささか大スペクタクルになりすぎたような気もしたが、ただ、やはりカーチュンは、本来の姿を追っていたのだとわかる瞬間があった。それは最終楽章の最後のフェルマータの和音である。スコアには「伸ばせ」「ディミヌエンド(次第に弱く)するな」などと書かれているが、よく見ると強弱記号はせいぜい「ff」である。それどころか金管群は単なる「f」だ。「力ずくではなく、高貴な音で満たせ」なんて指示もある。

しかし、あたしなど、マーラー3番といえばバーンスタインとNYフィルの旧盤で知った世代である(そもそも1961年の録音時からしばらくは、いまほど有名な曲ではなかった)。それだけにバーンスタインの熱すぎる演奏が刷り込まれてしまっており、ついクライマックスは「fff」くらいが書かれているような気になっていた。だが、そうではないのだ。

当然カーチュンは、それをわかっていた。最後の音が切れる瞬間を、「フワッ…」と終わらせた。「バシッ‼」とは切らなかった(ところが、「フワッ…」の瞬間に拍手をしてしまう聴衆が数人いたので、ご本人は一瞬、悔しそうな表情を浮かべていた/13日)。

やはり《夏の朝の夢》で終わらせたかったのではないだろうか。
(一部敬称略)

当日(10月14日収録)のライヴ映像配信(冒頭1分は無料視聴可能。1,000円で3か月間、全編視聴可能)。

カーチュン・ウォン指揮/東京佼成ウインドオーケストラ YOUTUBE無料配信
ムソルグスキー《展覧会の絵》(高橋徹編曲)全曲ライヴ映像(2018年11月23日収録)

17:13  |  コンサート  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.10.07 (Sat)

第424回 【新刊紹介】本年度最大の「奇書」、『百人一死』

百人一死
▲井伊華言『百人一死 詩人たちはいかに死んだか』(水声社)

仕事柄、いろんな本に目を通すほうだと思うが、よもや、このような「奇書」に出会うとは夢にも思わなかった。いや、「奇書」というよりは「怪著」あるいは「快著」というべきか。いずれにせよ、少なくとも本年度内に、これ以上インパクトのある本に出会えるとは、とうてい思えない。

書名『百人一死』とは、一見冗談のような書名だが、副書名「詩人たちはいかに死んだか」で一目瞭然だろう。古くからある「往生伝」や、山田風太郎の名著『人間臨終図巻』(徳間文庫/角川文庫)の詩人版だ(実際、山田本に触発された旨、あとがきに記されている)。

オビによれば、こういう本である。

《尋常ならざる生を生き、異常な死を遂げた詩人の例は古今東西枚挙にいとまがない。
西洋古典文学、漢詩、江戸文藝をめぐる著作で知られる屁成の奇人・枯骨閑人改め恍惚惨人が、詩人百人の「死に様」を諧謔と痛憤をこめて綴った、戯作・詩人往生絵巻。》

ところが、その「諧謔と痛憤をこめて綴った」内容が尋常でない。いかに尋常でないか、主に3点、あげる。

【1】とりあげられた詩人と死因区分けが尋常でない。
あたしなど、往年の「詩人」と聞くと、鮎川信夫、石原信郎、吉原幸子あたりが浮かぶのだが、本書でいう詩人とは、叙事詩、抒情詩、俳句、短歌、和歌、漢詩、劇詩、川柳、吟遊詩人……と、とにかく短詩系文学とその周辺にかかわった、あらゆるひとが対象である。

しかも時代がウルトラ級に広範だ。なにしろ最初に登場する詩人が「オルフェウスとリノス」である。ギリシア神話の吟遊詩人ではないか(ちなみにリノスとは、オルフェウスの弟子だという)。

以下、最初の章に登場する詩人だけを掲載順にあげると……ヘシオドス、イビュコス、ビオン、鮑照、劉琨、謝混、皮日休、李煜、源実朝、マーロウ、佐久間象山、プーシキンとレールモントフ、ロルカ、パゾリーニである。

まあ、後半の数人は名前くらいは知っているし、パゾリーニは映画監督としても有名だったからわかるが、この見慣れない漢字の(ワープロで漢字を探すだけでもたいへんな)方々は、なにものなのだろうか。これみな、西暦3桁年代に活躍した中国の詩人らしいが、漢詩に詳しい方の間では有名なのだろうか。

さらに、死因区分け(各章タイトル)が尋常でない。上であげた詩人たちは、冒頭の章《殺された詩人たち》で紹介されている。たしかにプーシキンとレールモントフは「決闘」で死んでいる。パゾリーニは性加害を受けた少年に轢き殺された(数百人の少年を餌食にして最高裁で認定されながらも、平然と87歳で逝った人物と、なんというちがいだろう)。

そのあとは、《自殺した詩人たち》《刑死した詩人たち》《獄死した詩人たち》《強制収容所で死んだ詩人たち》《流謫のうちに死んだ詩人たち》《戦死した詩人たち》《奇禍によって死んだ詩人たち》《夭折した詩人たち》《野垂れ死にした詩人たち》《幸福に死んだ詩人たち》とつづく。

有間皇子や大津皇子、トマス・モアは「刑死」。「流謫のうちに死んだ」のは、おなじみ菅原道真、後鳥羽院。「戦死」は、源頼政、平忠度、平経盛、竹内浩三……なんだ、どれも有名詩人ではないかと思われるだろう。だがこれは、たまたま、あたしが知っている詩人名を挙げただけで、前述のように、大半は、見たことも聞いたこともない詩人ばかりなのである(ただし、Wikipediaで検索してみると、大半は出てくるので、あたしが知らないだけで、斯界では著名なのであろう)。

ちなみに、最古の有名詩人といえば、上記オルフェウスを別とすれば、やはり『イリアス』『オデュッセイア』のホメロス(紀元前8世紀)であろう。あたしも、音楽ライターなんぞをやっているので、トロイ戦争を題材にした吹奏楽曲の解説を書く機会は意外と多い(特に、昨今、大ヒット中のマッキー《ワインダーク・シー》など)。よって一応、ホメロスについては、いくつかの資料に目を通してきた。

しかし、その「死因」については、考えもしなかった。あまりに古い時代の話なので、不鮮明なのは仕方ないが、ホメロスは、かねてより自らの死について、神託(予言)を受けていたという。

《汝の母の祖国なるイオスと呼ばるる島ありて、死せる汝が屍を受け取らん、/されど子供が汝にかくる謎には注意せよ。》

つまり、イオス島へ行ったら、子供が出す謎かけが解けずに悲観して自殺、もしくは《落胆のあまり呆然としていて泥土に足をとられて転倒し死んだとも伝えられている》と、なんとも情けない最期だったというのである。

《伝承の中のギリシアの詩人たちの死の多くは異様な死である。これは、特別な存在である詩人の死は、普通の死ではありえないという素朴な考えから派生したものであろう。(略)「詩人薄命」の中国と同じく、詩人であることは、ギリシアにおいてはなかなかにつらいことだったようである。》

と著者は結んでいる。

【2】筆致が尋常でない。
というわけで、書名はいうまでもなく、上記の末文を読んだだけでも、シビアな筆致のなかに、冗談とも真摯ともつかない言い回しが紛れていることに気づくだろう。これが、本書のもうひとつの魅力でもある。

具体的な引用をはじめると全編を書き写したくなるので、「エイヤ」で開いた箇所を紹介する。「自殺した」北村透谷の章である。著者は、英語「love」の日本語訳「恋愛」を定着させたのが透谷であると記したうえで、

《現代中国語には、清朝までの中国にはなかった「恋愛」ということばがあるが、これは日本語から移入されたものらしい。ネット上での恋愛のことを「網恋愛」〔ワン・リエンアイ〕と言うようだ。(略)「空巣老人」とは独居老人のことで、「老婆」〔ラオボウ〕とは「カミさん」「女房」のこと、「太太」〔タイタイ〕とは「奥さん」のことである。どんな若妻でも亭主から見れば「老婆」であり、ほっそりとした既婚夫人でも「太太」なのである。「屁股」が「屁」を意味する普通の言葉だと知ったときには笑いが止まらなかった。》

と、透谷からどんどん脱線していくのである。

あたしは、この筆致に接しているうちに、中高生のころ、むさぼるように読んだ、狐狸庵先生(遠藤周作)や、北杜夫のエッセイを思い出した。たいへんな教養と知識欲を、すこしばかり下世話な話題とからめながら楽しく述べる、あのタッチだ。

【3】著者が尋常でない。
で、そんな独特な筆致を21世紀のいま、堂々と弄しているこの著者は、いったい、なにものなのだろうか。

この著者は「伊井華言」という。「いい・かげん」と読むらしい。当然ながら、筆名だろう。しかし、これだけのことを書けるのだから、少なくともアマチュアではあるまい。本書および版元HPには、以下のような略歴が載っている。

《戦前生まれ。元西洋古典学徒。廃業後は狂詩・狂歌・戯文、非句作者。主著に、狂詩・姦詩・戯文集『屁成遺響』(醉醒社)、「茂原才欠(もはらさいかく)」の名によるタンカ集『塵芥集』(大和プレス—思潮社)、偽作ネーモー・ウーティス(誰でもない男)『ギリシアの墓碑によせて』(大和プレス—思潮社)。ほかに著訳書として、ギリシア・ラテン文学、漢詩、和歌、フランス近代詩その他にかんするホウマツ本多数がある。》

あたしは、この略歴と上述の戯号を見て、すぐに誰だかわかった。文学博士で古典学界の泰斗である。たいへんな大物だ。岩波・筑摩文化人といってもよい。翻訳・評論解説書多数。このあたしでさえ、1冊だけだが、このひとのちくま学芸文庫をもっている。よってここでも名前を出したいのだが、これほど自らを諧謔にさらして実態を伏せ、代表作を一書もあげないのだから、よほど知られたくないのだろう。だからあえて本名には触れないでおく。

だが、このままではあまりにも隔靴掻痒な紹介で終わってしまう。博覧強記の毒舌学者の奇書ですませるわけにはいかない。そこで、本書の最終章を紹介する。《幸福に死んだ詩人たち》である。ピンダロス、白楽天、俊成、西行、一休、市河寛齋、ゲーテ、ユゴー、良寛とつづいて、最後は「大田南畝」が登場する。

《やつがれが許しもなく勝手にその弟子を僭称し、狂詩・狂歌、戯文の先師と仰いでいる蜀山人大田南畝先生》と書くだけあり、この項だけ、筆致がちがう。ていねいな尊敬文なのだ。

ちなみに著者は、本書中で自らの一人称を「やつがれ」と記すのである。自分のことを徹底的にへりくだっていう、大昔のいいまわしだ。

《先生は(略)でお生まれになった。江戸に生まれたということは先生の終生誇りとなさっていたところで、粋を好み野暮を嫌うチャキチャキの江戸っ子におわしたのである》《先生は晩年に至っても女人への御関心薄れることなく、芸者お香に惚れこんで彼女を妾にしておられる。老いてなかなかお盛んだったのである。》

このあと、先生がいかにしてご逝去なされるかを、著者は狭い紙幅の範囲内で、愛情こめて綴っている。まさかこのような強烈な本の最後に、こんなに温かく、ホッとする挿話が登場するとは。

蜀山人の生涯といえば、第30回新田次郎文学賞受賞の名作、竹田真砂子『あとより恋の責めくれば  御家人大田南畝』 (集英社文庫) に見事に描かれているが、実は、この著者「井伊華言」の本質は、この小説世界に近いところにあったのではないか。ということは、本書は「奇書」に非ず、「喜書」なのではないか、そんな気にもなるのである。

□井伊華言『百人一死 詩人たちはいかに死んだか』(水声社)HPは、こちら
(一部立ち読みあり)


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