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2023.12.27 (Wed)

第440回 【舞台/本】 「糸あやつり人形芝居」で観る『高丘親王航海記』

高丘親王航海記 写真
▲ITOプロジェクトによる、『高丘親王航海記』

本好きには、「何度も読みかえす愛好小説」がある。あたしの場合、「シャーロック・ホームズ」や舟橋聖一『悉皆屋康吉』などとならんで、澁澤龍彦『高丘親王航海記』も、そのひとつ。おそらく、拙稿読者のなかにもファンがいるのではないか。

その『高丘親王航海記』が、糸あやつり人形芝居で上演されたので、行ってみた(12月24日、名古屋:メニコンシアターAoiにて)。初演以来、今回で再々演(会場でいうと5回目)となる人気舞台である。初演は2018年、東京・下北沢のザ・スズナリだった。だが当時、そのような公演があったことに、まったく気づかなかった。以後も、すべて地方公演で、再演も名古屋だった。よってなかなか観られなかった(中心が関西・名古屋のひとたちなので)。

今回、偶然に、SNSでこの再々演を知った。次の公演があったとしても、また名古屋での可能性が高い。何年先かわからず、次に観られるか否か、心もとない。そこで思い切って、名古屋まで行ってきた。

   *****

『高丘親王航海記』(以後『航海記』と略す)は、まことに不思議な小説である。

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▲高丘親王の肖像 【出典:Wikimedia Commons】

高丘親王は平安時代のひとで、平城天皇の第三皇子。父が病気で退位して上皇となり、弟君(嵯峨天皇)に譲位した際、皇太子となった。だが、平城上皇と嵯峨天皇が対立して政変が勃発。高丘親王は廃太子となって出家し、空海の弟子となる。

そして貞観3(861)年、67歳にして、唐(中国)から天竺(インド)を目指す旅に出て、そのまま行方不明に。いつ、どこで、どのようにして薨去されたのか、まったくわかっていない。ただ、最後の地が羅越国(現マレー半島の一部)だったとの説があり、そのせいかマレーシアの日本人墓地に供養塔があるという。

その旅を、澁澤龍彦(1928~1987)が、史料と独特の想像力と知識を組み合わせて、特異な内容に仕立てたファンタジー小説が『航海記』である。旅の途中で出会う、奇々怪々にして魅力的な生きものたちや、ユニークなひとびと、風習、また、常識を逸脱した設定やセリフも実におもしろい。

たとえば、占城(現在のベトナム)で、奇妙な生きものに出会う。生きものは「おれは大蟻食いというものだ」という。すると物知りの従者・円覚が、こういうのだ。

《「わたしもあえてアナクロニズムの非を犯す覚悟で申しあげますがそもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。そんな生きものが、どうして現在ここにいるのですか。いまここに存在していること自体が時間的にも空間的にも背理ではありませぬか。」》

まるで手塚治虫の漫画のセリフのようである。意外とユーモアあふれる小説なのだ。

高丘親王航海記 菊池信義
▲名デザインとして知られる初刊単行本の装幀

『航海記』は、澁澤龍彦の遺作である。1985年から87年にかけて「文學界」に断続的に連載され、澁澤の死から2ヶ月後の1987年10月に単行本化、読売文学賞を受賞した(現・文春文庫)。ちなみに初刊単行本は、昨年逝去した菊地信義の装幀。講談社出版文化賞:ブックデザイン賞の受賞理由のひとつとなった、名デザインである。

   *****

今回の上演は、「ITOプロジェクト」によるもの。奈良の「人形劇団ココン」を主宰する山田俊彦を中心に、さまざまな人形劇団に所属するメンバーが集まったグループのようだ。脚本・演出は、名古屋を拠点にする「劇団少年王者舘」の天野天街。

あたしは「あやつり人形劇」というと、江戸時代からつづく「結城座」と、イギリスのTV番組『サンダーバード』くらいしか知らない。NHKの『ひょっこりひょうたん島』や『新八犬伝』は、「棒遣い人形劇」だったと思う。

それだけに、今回は、とにかく新鮮だった。まるでCGかと見紛うような不思議なヴィジュアルが展開して、「あやつり人形劇」のイメージが変わった。人形のお腹から突如、大きな玉があらわれたり、ジュゴンが肛門から脱糞したり、巨大なラフレシアの花が人形を吞み込んで宙に舞うなど、驚きの仕掛けが続出した。犬頭人の陰茎に付いた鈴もキチンと動いて鳴っていた。背景が一瞬にして変わるのにも驚かされた。

ラスト、半人半鳥の迦陵頻伽〔かりょうびんが〕が客席上を宙づりで飛ぶ仕掛けが途中で止まってしまったが、さほど気にならなかった(アフタートークによれば、この種のトラブルが皆無の上演は、一度もないそうだ)。

あたしは、かなり前方の席だったので、上方から操る人形遣いの仕事ぶりが、よく見えた(そのかわり、舞台上にもう一段高い舞台があるので、その床面でなにが起きているのかは、まったく見えなかった)。よく、あんな複雑なことを、暗闇のなかでできるものだと感動した。舞台上、左右はしに立つ2体の人形が、次第に中央に寄ってきて、すれちがうシーンでは、操作器(というのだろうか)を受け渡して、人形遣いも入れ替わっていた。あれだけのことを休みなしで2時間つづけるために、いったい、どれだけの段取りがあるのか、考えただけでもゾッとした。そのほか、物語の展開とは直接関係のない、協奏曲でいったら〈カデンツァ〉にあたるような自由な見せ場もある。糸だけが生きているように“舞う”場面も美しかった。

内容も、もちろんカットされた挿話は多いが、それでも、おおむね原作の流れ全体を包括した脚本構成で、とてもよくできていた。原作小説からの大きな改変は、〈みこ〉(親王)の従者僧が、原作では2人だったのを1人にしたのと、〈みこ〉が奏する楽器が笛ではなく、ハーモニカになっていたことくらいではないか。

幼少時代の〈みこ〉に、女官・藤原薬子〔ふじわらのくすこ〕が天竺の幻想譚を吹き込む回想シーンがしばしば登場する。彼女は平城帝の愛妾で、その息子の〈みこ〉に性の手ほどきみたいなことも施す(人形劇では、そこまではっきり描かれない)。いわゆる“魔性の女”で、彼女が政変の原因だとの説もある。海音寺潮五郎『悪人列伝』に登場するほか、芝居好きだったら、斎藤憐の戯曲『クスコ 愛の叛乱』でおなじみだろう(1982年の初演で、吉田日出子がクスコを演じた)。だが、原作をしらないひとは、彼女がなにものか、また、〈みこ〉との関係が十分理解できたか、その点がちょっと気になった。

   *****

澁澤龍彦は、本作執筆中、咽頭ガンが見つかり、声帯除去手術を受けて声を失った。物語の後半で、呑み込んだ真珠が喉にひっかかり、〈みこ〉は声がまともに出なくなる。そして、〈みこ〉は死を意識するようになる。これは、当時の澁澤龍彦の心境をそのまま描写したものだといわれている。

とうてい天竺まで行けそうもないと悟った〈みこ〉は、パタリヤ・パタタ姫の進言にしたがい、虎に喰われることにする。羅越国と天竺の間を、わたり鳥のように往復している虎たちがいるので、やつらに喰ってもらい、魂となって、天竺まで運んでもらえばよいというのだ。この案に感動した〈みこ〉は、従者たちの反対も聞かず、自ら森へ入って、虎に喰われるのである。これもおそらく、当時の澁澤龍彦の想いを反映しているのだろう。最後、〈みこ〉の人形が天に昇っていく(と思われる)シーンは、圧倒的な迫力であった。

こういう、途方もない設定の幻想小説なので、なかなかリアルな実写というわけにもいかず、今回のような「あやつり人形劇」は、ピッタリだと感じた。

実はあたしは、初めてこの小説を読んだ時、これは「文楽」になると感じたことがある。孤高の生き方を貫く〈みこ〉の姿は、俊寛や松王丸、熊谷直実を思わせる。海や航海のシーンは、《毛剃》や、《組討》の“遠見の敦盛”である。虎と中国といえば《国性爺合戦》。これら名作の設定、舞台装置を流用できる。虎以外にも、文楽には、狐、鷲、馬、猪、鼠、牛、蝦蟇、蜘蛛など、いろんな動物が登場するので、それらを改訂して、不思議な生き物を人形化することもさほど困難ではないはずだ(桐竹勘十郎さんに監修してほしい!)。人形なら、省略やデフォルメなども、客席と舞台の“暗黙の了解”ですすめられる。

というわけで、この大好きな小説を、人形劇で観られたのは、とても楽しかった。同時に、「糸あやつり人形芝居」の面白さを、もっと多くのひとに知ってもらいたい、できればまた東京で上演してほしいと願わずにはいられなかった。もし原作小説がお好きで、次回公演があったら、絶対に観逃がさないでほしい。
(敬称略)


※近年、近藤ようこの漫画版『高丘親王航海記』全4巻(KADKAWA:ビームコミックス刊)が人気だ(たしかに面白い)。そのため、この人形劇版も漫画版の影響を受けているように思っているひとがいるようだ。アフタートークでもそんな質問があった。ITOプロジェクトと天野天街氏の名誉のために書いておくが、人形劇版のほうがずっと先で、漫画版とはまったく関係ないので、念のため。

◇ITOプロジェクト『高丘親王航海記』関連のYOUTUBE映像は、以下。主要場面や人形の仕掛けなどもご覧になれます。
予告編は、こちら。
PV稽古編は、こちら。
PV対話編は、こちら。


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2023.12.21 (Thu)

第439回 【本】陳舜臣『弥縫録 中国名言集』のススメ~「弥縫策」のほんとうの意味

弥縫録 写真
▲「備忘録」に引っ掛けて、『弥縫録』と名付けたという。

日本大学フェニックス(アメリカン・フットボール部)の廃部が決まった。だが、報道によれば「再建を前提」で、さっそく次年度にはじまるらしい。結局「廃部」とは名ばかりで、事実上、一時的に活動をしないだけのようである。そして、学長と副学長が辞任した(させられた)。

宝塚歌劇団の劇団員(正確には“生徒”というらしい)自殺は、調査の結果、「いじめ/ハラスメント」はなかったそうで、「長時間/過重労働」が原因だったという。そしてあわただしく公演中止、公演数減、日程見直しが発表され、理事長が辞任した。

安倍派の裏金づくり騒動は、東京地検特捜部が乗り出す刑事事件に発展し、二階派も含めて家宅捜索を受けた。そして、安倍派の閣僚や副大臣など計10人が辞任・更迭となった。ただし、二階派の閣僚は首がつながっている(21日現在)。

以上3件、すべて、ひとを辞任(更迭)させることで、組織を維持させようとしているようである。

もしこれを三題噺にしたら、共通キイワードは〈弥縫策〉〔びほうさく〕だろう。辞書には「一時のがれにとりつくろって間に合わせるための方策」とある。おそらく今回も、どこかのマスコミが皮肉たっぷりに使っているのではないか。

   *****

あたしは、1974年4月、高校に入学した。中学時代からひきつづき、吹奏楽部に入るつもりだった。入学案内には、カッコいいコスチュームでパレードしている写真が載っていた。

ところが、入学してみたら、吹奏楽部は、なかった。「廃部」になったという。前年の文化祭終了後、学外の飲食店で宴会をひらき、酒やタバコをやっていたことが発覚した(当時、未成年の酒やタバコを黙認してくれる店は、けっこうあった)。そこで、即「廃部」となった。当事者たちも短期間だが停学になったらしい。いまでこそ吹奏楽部は女子ばかりだが、このころはまだ“男の世界”で、むかしのバンカラ気質が色濃く残っていた時代である。

あたしは愕然となった。部室は閉鎖されていた。楽器や楽譜、コスチューム類は、屋上近くの倉庫に移され、鍵がかけられていた。吹奏楽だけが楽しみで入ったような高校だった。おなじ思いの仲間を数人見つけて、なんとか「復活」「再開」してほしいと、学校側に交渉した。生活指導主任は、こういった。

「復活? 再開? なにいってるんだ。休部じゃないんだ、〈廃部〉だぞ。〈廃部〉ってのは、もうナイってことだ。ナイものが、復活も再開もするわけないだろう。それだけのことを、あいつらは、やったんだからな」

あたしたちは、問題をおこした上級生の元部員を探し出し、なんとかならないのかと相談した。そのなかの一人は、こういった。

「無理だと思うよ。酔っぱらってタバコ吸って、鳥の真似して店の中を飛び回ったんだからな。俺たちが卒業して、問題を起こした代が全員いなくなったら、学校側も、考えてくれるんじゃないか」

まるで、他人事のような態度だった。なぜ鳥の真似をしたのか聞き忘れたが、どうやら、あたしたちが3年生になるまでは、どうにもならないらしい。

それでも上級生は、気の毒に思ってくれたのか、大学の吹奏楽部を紹介してくれた(その高校は、大学の付属だった)。2年間、しばしば大学吹奏楽部の片隅に加えてもらい、行事のときにエキストラで出演させてもらった。もちろんその間も、一刻もはやく再開させてほしいと、学校側に訴えつづけてきた。

そして3年生になった。ついに、新吹奏楽部が発足した。秋には付属高校内の大学受験が迫っていたが、そんなことおかまいなしに、数人で第1期生として入部した。

たしかに「復活」でも「再開」でもなかった。顧問もかわり、文化部あつかいではなく、生活指導部の直属となった。学校側の“監視”のもとでの船出である。新任のコーチが招かれ、楽器の大半は、新たに購入された(2年以上、湿っぽい倉庫で眠っていた楽器は、多くが傷んでいた)。ピカピカのティンパニやテューバ、コントラバスが、続々と届いた。

「再開」だと思って、ときおり、旧部員OBがやってきた。だが、彼らは一歩も音楽室に入れてもらえなかった。生活指導主任が「再開じゃない。新たなクラブが発足したんだ。だから、お前たちは、もう関係ないんだ。生徒には接触しないでくれ」と、かなりきつく断っていた。

ゼロからクラブをはじめることは、想像以上にたいへんだった。だが、かえって、学校側の苛烈なまでの「復活でも再開でもない。新たなクラブを発足させるのだ」との考え方のおかげで、荒っぽいながら、新鮮なスタートとなった記憶がある。

ここまで徹底すれば、“一時のがれ”とはいえない。つまり〈弥縫策〉ではない。あたしも、ずっとそう思っていた。ところが、そうではなかった。これこそ〈弥縫策〉だったのである。

   *****

後年、陳舜臣さん(1924〜2015)の『弥縫録 中国名言集』(読売新聞社、1980年刊/のち中公文庫など)を読んだ。「週刊読売」に連載された名コラムである。その第一話「弥縫」〔びほう〕で驚いた。

《弥縫の出典は『春秋左伝』である。この書には弥縫ということばがなんども使われている》

『春秋左(氏)伝』とは、孔子の歴史書『春秋』を、弟子の左丘明が注釈した解説書である。そのなかの、ある戦闘場面で、鄭の荘公が、〈魚麗の陣〉で敵を破ったと書かれているという。そして、陳舜臣さんは、こう解説する。

《——偏を先にし、伍を後にし、伍承〔う〕けて弥縫す。/と、春秋左伝にしるされている。/偏とは二十五乗の戦車隊で、伍とは歩兵一分隊にあたる。戦車と戦車のすきまを、歩兵で埋めた、ということである。》

核心は、ここからだ。

《魚麗の陣とは、魚屋の店頭に、大小の魚がぎっしり詰ってならんでいる状態であるらしい。ことばをかえていえば、蟻の葡〔は〕い出るすきまもない陣構えである。》

つまり、

《これが「弥縫」だとすれば、けっして一時的なごまかしではない。きわめて計画的で、遺漏のない、慎重きわまる、みごとな布陣だといわねばならない。》

なんと! 〈弥縫策〉とは、「一時のがれにとりつくろう」ことではなく、まったく逆の意味、つまり《計画的で、遺漏のない、慎重きわまる》徹底策のことだったのである。

では、なぜそれが、日本では「一時のがれにとりつくろう」との、正反対の意味になってしまったのだろうか。陳舜臣さんは、こう書いている。

《「弥」も「縫」も、「ぬい合わせる」という意味なのだ。二字あわせて、「とりつくろう」だが、この弥縫の語感はあまりよろしくない。一時しのぎのごまかし、というかんじがする。議会の発言なら、このことばはたいてい野党議員に愛用される。政府のおざなり施政を攻撃する用語である。》

どうも、縫って「とりつくろう」イメージや語感が、ほころびの緊急手当てに重なり、「一時しのぎ」の意味あいが強くなったようである。

   *****

だとしたら、日本大学も宝塚歌劇団も安倍派も、やってることは〈弥縫策〉ではないことになる。かえって、あたしの高校のほうが、徹底的な〈廃部〉〈新生〉を貫いただけに、これこそ真の〈弥縫策〉ではないか。

ちなみに、その高校は、日本大学の正付属高校である。特別付属でも準付属でもない、学校法人日本大学の直営校である。大学と高校のちがいがあるとはいえ、50年も前に完璧な、そして本来の〈弥縫策〉を貫いていた、そのおなじ学校法人が、なぜ、いま、こんなことになっているのだろうか。

要するに、ひとをかえる程度ではダメなのだ。身も蓋もない云い方だが、その高校のように、問題を起こした組織は、すべてをいったんナシにして、「システム」をかえなければダメなのだ。それが本来の〈弥縫策〉なのだ。

日本大学も宝塚歌劇団も安倍派も、もういちど、『春秋左(氏)伝』を読む……のがたいへんだったら、せめて陳舜臣さんの『弥縫録 中国名言集』を読み直した方がよいのではないか。

◇陳舜臣『弥縫録 中国名言集』は、現在、新刊入手は不可能ですが、安価な古書で、すぐに見つかります。


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2023.12.07 (Thu)

第438回 【映画】「音楽と政治」を描く、3本のドキュメンタリ映画(下)~”モーツァルトの息子”とウクライナ

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▲映画『連帯のためのモーツァルト』出演者とスタッフたち(右から4人目がオクサーナ・リーニフ)  【国際モーツァルテウム財団HPの公式公開写真】

(前回からのつづき)
◆連帯のためのモーツァルト(Salzburg- Lviv:Mozart for Solidarity/制作:Young & Hungry production、2022年) YOUTUBEで無料公開中 ※リンクは文末に。

3本目の本作は正確にいうとドキュメンタリというよりは、「解説付きセッション・コンサート映像」である。よって、ほとんどが演奏シーン。曲ごとに解説や関連映像が流れ、日本語字幕も付いているのだが、正直、あまり親切な解説内容ではない。字幕が間違っていたり、予備知識がないとわかりにくい部分もある。だが、これはたいへん貴重な音楽映像だ。すでに一部マスコミで紹介されているように、YOUTUBEで無料公開されているので、ご覧になる方のために、簡単に説明しておこう。

   *****

この映像の企画制作者で、ナビゲーターとしても登場するのは、ウクライナ人指揮者のオクサーナ・リーニフ。2021年、女性として初めてバイロイト祝祭に登壇し、《さまよえるオランダ人》を指揮したことで話題になったひとだ。現在はボローニャ市立歌劇場の音楽監督もつとめ、この秋に来日して《トスカ》を指揮していた。

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▲オクサーナ・リーニフ(左)と、アンドリー・ムルザ(vn)~映像より 【国際モーツァルテウム財団HPの公式公開写真】

さらに彼女は、2017年からウクライナのリヴィウ市で開催されている「リヴィウ・モーツァルト音楽祭」(LvivMozArt)の創設者・芸術監督でもある。

ただし、この「モーツァルト」とは、我々が知る、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのことではない。正確には、その息子(4男)、フランツ・クサヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト(1791~1844)を指す。

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▲フランツ・クサヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト 【写真:Wikimedia Commons】

父ヴォルフガング・アマデウスには6人の子供(4男2女)がいたが、男子で成人まで生きたのは2人だけで、そのうち、音楽の道に進んだのは、末息子のフランツ・クサヴァーだけだった(長兄カール・トーマスも音楽を学んだが、途中で断念している)。

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▲2人だけ生き残った、モーツァルトの息子~長兄カール・トーマス(右)と、末弟フランツ・クサヴァー  【写真:Wikimedia Commons】

ただし、フランツ・クサヴァーが生後4か月のときに、父ヴォルフガングは亡くなっているので、バッハ家のように、父の影響を受けたわけではない。“第二のアマデウス”に育てようとした母コンスタンツェの英才教育で、サリエリほか、当時の大音楽家たちに習わされた。

そのフランツ・クサヴァーが、なんと30年近くにわたってリヴィウに住み、音楽活動をおこなっていた。

もっとも、当時のリヴィウは、ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国に支配されており、都市名はドイツ語で「レンベルク」だった(それ以前は、ポーランド王国の支配下だった)。ウクライナ共和国の都市となるのはずっとあとのことで、よってフランツ・クサヴァーは、あくまで自国オーストリアで活動していたのである。

しかしとにかくフランツ・クサヴァーは、この地で合唱団を組織し、歌劇場の音楽監督をつとめるなどして、リヴィウを音楽文化豊かな街に育てた。現在のウクライナ国立リヴィウ音楽院の(前身組織の)創設者でもある。そして、父の作品を指揮し、父のピアノ曲や協奏曲を弾き、父の旋律にもとづく変奏曲を書き、モーツァルト家の名誉を守りつづけた。

つまり現在、リヴィウ市がウクライナを代表する文化都市となっているのは、この“モーツァルトの息子”のおかげなのである。「リヴィウ・モーツァルト音楽祭」は、その功績に由来して、リヴィウ州ブロドゥイ市出身のオクサーナによって創設された。

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リヴィウでのフランツ・クサヴァーの、もうひとつの大きな功績は、音楽教師として、女性作曲家でピアニスト、ユリー・フォン・ウェベナウ(1813~1887)を育てたことである。

ウェベナウ
▲ユリー・フォン・ウェベナウ。おそらく独身時代(カヴァルカボ姓)のころの肖像 【写真:Wikimedia Commons】

彼女は決して作品数は多くないが、ロマン派時代の女性作曲家の草分け的存在となったひとだ。後年、シューマン夫妻との交流でも知られるようになる。有名な、シューマンの《フモレスケ》Op.20は、このユリーに捧げられた曲である。また、ユリーも、ピアノ幻想曲《別れと帰還》Op.25をシューマンに献呈している(映像中で聴ける)。

ウェベナウ 晩年
▲晩年と思われる、ユリー・フォン・ウェベナウの写真 【写真:Wikimedia Commons】

ところがややこしいのは、このユリー・フォン・ウェベナウの独身時代の旧名が、「ユリー・ド・バローニ=カヴァルカボ」だったので、この映像では、一般資料に多い「ウェベナウ」姓でなく、「カヴァルカボ」の旧姓で呼ばれることだ。慣れないうちは、少々わかりにくい。

実は、このユリーの母親ジョゼフィーヌ・バローニ=カヴァルカボ(1813~1887)が、フランツ・クサヴァーと愛人関係にあった。この母親も歌手だったそうなので、おそらくフランツ・クサヴァーが娘を教えているうちに、そういう関係になったのだろう。そのため、娘ユリーの父親がフランツ・クサヴァーではないかと疑われたこともあったが、それはちがうようだ。

なお、フランツ・クサヴァーは生涯独身で、子供もいなかったので、財産は、このジョゼフィーヌに贈られている(ただし、父モーツァルト関連の遺品は、彼が総裁をつとめたモーツァルテウム財団に寄贈された。父モーツァルトの肖像画や自筆譜がいまでも残っているのは、彼のおかげなのである)。そしてこの時点で、モーツァルト家の血脈は完全に途絶えている。

というわけで、この映像では、ユリー・フォン・ウェベナウは、旧姓の「カヴァルカボ」で紹介されるので注意が必要だ。

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また、映像の最初の方で、ナビゲーターのオクサーナが、ザルツブルクのモーツァルト記念館(生家)を訪ねるシーンがある。そこに1枚の絵画《聖セシリア》(音楽の守護聖人)がある。これが「ウクライナのリヴィウから来た絵画」とされていた。それを知ったオクサーナが、故郷ウクライナと“モーツァルトの息子”との関係を調べて、音楽祭や、この映像制作につながったのだった。

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▲モーツァルト記念館にある絵画《聖セシリア》~ユリーの母ジョゼフィーヌがモデルだという 【写真:Wikimedia Commons】

実は、この絵画《聖セシリア》のモデルが、フランツ・クサヴァーの愛人(そして、ユリーの母親の)、ジョゼフィーヌ・バローニ=カヴァルカボなのである。おそらくフランツ・クサヴァーが(いまでいうスマホ写真やプロマイドの感覚で)描かせて、身近に置いていたのであろう。フランツ・クサヴァーがリヴィウで組織した合唱団の名称も「聖セシリア聖歌隊」であった。このあたりも、映像ではサラリとしか解説されない。

しかしおおよそ、以上の基礎知識があれば、この映像は、たいへん興味深い80分になると思う。

なお余談だが、「ウェベナウ」と聞いて、20世紀初頭にウィーンで活躍した女性作曲家、ヴィルマ・フォン・ウェベナウ(1875~1953)を想起する方がいるかもしれない。彼女は、上述、ユリー・フォン・ウェベナウの孫娘である。シェーンベルクの弟子だった。アマデウス→息子フランツ・クサヴァー→弟子ユリー→孫ヴィルマ→教師シェーンベルクとつながっているような気になる。

   *****

というわけで、肝心の映像の内容だが、先述のように、演奏が中心で、フランツ・クサヴァーとユリーの曲が、次々と登場する。どれも、ピリオド楽器で演奏されるが、品があって、とてもいい曲ばかりだ。さすがに父モーツァルトとまではいかないが、この時代の音楽としては、超一級品であることがわかる。フランツ・クサヴァー作品はすでに有名曲もあるし、CDも多い。シューベルトやベートーヴェンとならんで《ディアベリ変奏曲》も書いているし、父モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の主題による変奏曲などもある。だが、ユリーの曲は、あたしは初めて聴いた。上述《別れと帰還》など、なかなかの名曲ではないか。

だが重要なのは、映像中の演奏者が、全員、ロシアの侵攻から脱出してきたウクライナの音楽家たちであることだ。彼らは、その体験を語りながら演奏に臨む。なかには、九死に一生を得て逃れてきたひともいる。それでも音楽を伝えようとするひとたちの姿は、胸を打つ。本作は、皮肉にもロシアの侵攻のおかげで、ウクライナと“モーツァルトの息子”の関係、さらには、フランツ・クサヴァーとユリーの素晴らしい音楽を伝える貴重な映像になったのである。

今回、そんなドキュメンタリが、YOUTUBEでの無料公開になったのは、演奏会場にもなっている、国際モーツァルテウム財団の協力のようだ。あまりかまえず、パソコンでBGMがわりに流す感覚でよいので、ぜひ、多くの方にご覧(お聴き)いただきたい。モーツァルトの名を守り抜いた町が、いま蹂躙されていることの不条理も感じるはずである。

◇ドキュメント映像『連帯のためのモーツァルト』は、こちらで無料公開中。


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2023.12.05 (Tue)

第437回 【映画】「音楽と政治」を描く、3本のドキュメンタリ映画(上)

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▲第18回難民映画祭 ※HPや予告編は文末に。

「音楽と政治」にまつわるドキュメンタリ映画を、たまたま3本つづけて観たので、簡単にご紹介しておきたい。最初の2本は、この11月、第18回難民映画祭で上映され、すでに終了しているが、最後の1本(次回紹介)は、現在、YOUTUBEで無料公開されており、いつでも視聴できる。

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まず、最初の2本を上映した「難民映画祭」について。これは、国連UNHCR協会(UNHCR=国連難民高等弁務官事務所の活動を支える日本の公式支援窓口)の主催。難民を扱った海外の劇映画やTVドラマ、ドキュメント映像の特集上映である。今年で第18回になる。入場無料のドネーション方式(任意の寄附)で、ほとんどが日本初公開。全作、日本語字幕付きである。

あたしは最初期から参加しているが、当初は毎回20本以上の作品が一挙上映される、巨大な催しだった。それほど海外では「難民」にまつわるTVドラマや劇映画、記録映像がつくられているのだ。

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▲第8回(2013年)に上映された『脱出』

なかでも、第8回(2013年)で上映されたオランダ映画『脱出』(EXIT/ボリス・パヴァル・コーネン監督)は、あたしがここ10年余の間に観た外国映画のなかで、何本かの指に入る衝撃度だった。もとはTV作品で、オランダ映画祭で最優秀TVドラマ賞を受賞している。ヨーロッパでは、このレベルのドラマを平然とTVで放映しているのかと、仰天したものだ。だが、これまた述べだすと遠回りになるので、これぎりに。

そんな難民映画祭も、コロナ禍以降は上映作品数も減り、ドキュメンタリを中心に劇場公開よりもオンライン上映に傾注するようになった。それでも本年も、6作品が上映された。そのうちの2本が、音楽にまつわるドキュメンタリだった(あたしは2本ともオンラインで観た)。

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◆ビバ・マエストロ! 指揮者ドゥダメルの挑戦(¡Viva Maestro! /Ted Braun監督、2022年) 
※日本初公開(海外DVDあり。Prime Video配信はあるが、日本では視聴できないようだ)

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いまもっとも人気のあるベネズエラ出身の指揮者、グスターボ・ドゥダメルに密着取材。手間と時間と多くのカメラを駆使し、世界中をまわって撮影・制作された、たいへんな労作である。

ドゥダメルは、ロサンゼルス・フィル音楽監督のほか、2017年にはウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートに登壇。ベルリン・フィルも指揮している大スターである。ベネズエラ政府が支援する音楽教育プログラム「エル・システマ」出身。貧困や麻薬、犯罪から子供たちを守るシステムでもある。ここから育った若者たちで結成されたのが、シモン・ボリバル交響楽団。ドゥダメルが音楽監督をつとめ、いまやDeutsche Grammophonと専属契約を結ぶほどの人気オーケストラに成長させた。

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▲シモン・ボリバル響を指揮するドゥダメル(ロンドン公演) 【写真:Wikimedia Commons】

この映画は、おおむね3部構成。第1部は、2017年、シモン・ボリバル響がドイツ・ハンブルクで、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会に挑む様子。出発前のリハーサルで、どうしても《運命》冒頭部が揃わない。必死に口と身振りで説明するドゥダメル。日本の高校吹奏楽部の熱血練習にそっくりである。だがその真摯な教え方は、なかなか感動的だ。

そしてハンブルクでの本番。ここで見事にそろう冒頭部には、驚く。どれくらいの練習期間があったのか不明だが、映画は、まずここを見せて、ドゥダメルの指揮者としての力量や、母国の若者たちから慕われている様子をうまく説明してくれる。

中間では、ベネズエラが国情不安となり、団員が次々と国外へ逃れ、欠員が増えていく様子が描かれる。アメリカ・ツアーもアジア・ツアーも中止となった。

そして最終部。ドゥダメル自身が母国の政策に反旗を翻す発言を連発し、そのため、自身も帰国できなくなる。

2018年、エル・システマの創始者で恩師ホセ・アントニオ・アブレウが逝去する。チリのサンティアゴで追悼コンサートを開催することになった。だが、もはやシモン・ボリバル響だけでは人数が足りない。すると、ドゥダメルが指揮してきた世界中の一流オーケストラから助っ人が駆けつけてくる。ロス・フィル、ウィーン・フィル、エーテボリ響……ベルリン・フィルからは、大人気ホルン奏者、サラ・ウィリスが来てくれた。曲は、アブレウ先生が好きだった、チャイコフスキーの4番。ドゥダメルは、数少なくなったシモン・ボリバル響のメンバーに「残ってくれて、ありがとう」と頭を下げる。

政治に翻弄されながらも、とにかく音楽を貫こうとするひとたちの姿を描いて、静かな感動を呼ぶドキュメンタリである。
  
   *****

◆私は歌う ~アフガン女性たちの闘い~(And Still I Sing /Fazila Amiri 監督、2022年) 
※日本初公開

私は歌う

アフガニスタンの人気オーディションTV番組「アフガン・スター」は、過去13シーズン、一度も女性の優勝者が出ていない。イスラム社会では、女性がこのような番組に出て目立つことを嫌う。この番組を縦軸に、初の優勝に挑む2人の若い女性と、審査員で国民的人気歌手アリアナ・サイードの姿を横軸にして、米軍撤退やタリバン政権に翻弄される女性たちの姿を描く。

アリアナ
▲アフガンの「戦う女性歌手」アリアナ・サイード  【写真:Wikimedia Commons】

アリアナはイスラム社会の女性差別と戦う活動家でもある。ヒジャブも着用せず、ボディラインの出る服を、平気で着る。その生き方に憧れる女性も多い。かつてタリバン政権時代に処刑場だったスタジアムでコンサートを開こうとするのだが……。

番組に挑む2人は、勝ち抜くことができるのか。アリアナはコンサートを開けるのか。まるでサスペンス映画のような展開だが、ついに米軍の撤退が始まってしまう。タリバン政権が復活するのか……?

アフガンの「スター誕生!」を追うことで、この国の問題点を描いた、その着眼点に感心させられる。アフガンに、ここまで“戦う女性たち”がいることも新鮮だった。彼女らの生き生きとした姿、美しいファッション、魅力的な音楽……見どころ聴きどころ満載のドキュメンタリである。

上記2本とも、いま日本ではすぐに観ることはできない。ミニシアターでいいので、一般公開してくれないものだろうか。なお、もう1本は、現在、YOUTUBEで正式に公開されている作品である。
(つづく)

◇第18回難民映画祭HPは、こちら。
◇『ビバ・マエストロ! 指揮者ドゥダメルの挑戦』予告編は、こちら。
◇『私は歌う ~アフガン女性たちの闘い~』予告編は、こちら。


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2023.12.02 (Sat)

第436回 【映画】 ひさびさ”主役”になった、ナポレオン映画の系譜

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▲公開中の超大作映画『ナポレオン』 ※HPは文末に。

超大作映画『ナポレオン』(リドリー・スコット監督、2023年、米英合作)が公開されている。

近年、歴史上の人物を描く映画といえば、生涯のある時期だけに焦点をあてた作品が多かった。だが今回は、ひさびさに、ほぼ全生涯(一兵卒時代から死まで)を描く、本格的な歴史伝記映画である。

ナポレオンは「もっとも多く映画で描かれた歴史上の人物」といわれている。だが、そのほとんどは“脇役”であって、“主役”の映画は、多くないような気がする(日本公開作が少ないせいかもしれない)。

よく知られているのが『戦争と平和』だが、ここでもやはり脇役である。現存する2種の映画(1956年/米伊合作、1965~67/ソ連)、どちらも有名俳優は起用されていない。

それでも、なかなかの大物俳優がナポレオンを演じた映画が、ないでもない。
   
*****

まず、名優シャルル・ボワイエ。映画は『征服』(Conquest/クレランス・ブラウン監督、1937年、アメリカ)。ボワイエはこの映画で、受賞こそ逃したものの、アカデミー主演男優賞にノミネートされている。

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▲『征服』より~グレタ・ガルボ(左)と、シャルル・ボワイエのナポレオン

ところが、ここでのナポレオンも、どちらかといえば脇役だった。主役は、ナポレオンの愛人マリア・ヴァレフスカ伯爵夫人である。演じたのは、めったに“笑わない”クール・ビューティ、グレタ・ガルボ。母国ポーランドを守りたいと願うものの、愛人としてナポレオンの征服欲も理解できるので苦悩する。

シャルル・ボワイエはさすがの名演だが、いかんせん、グレタ・ガルボも迫力満点で、かなり喰われている(名作『アンナ・カレニナ』の2年後で、彼女の絶頂期だった)。映画は残念ながら大コケで、ガルボは“赤字女優”のレッテルを貼られた。もっともこのあと、『ニノチカ』で、銀幕で初めて“大笑い”を披露して挽回するのだが。

   *****

もう一人、ナポレオンを演じた大物俳優は、なんとマーロン・ブランドである。映画は『デジレ』(Désirée/ヘンリー・コスター監督、1954年、アメリカ)。

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▲『デジレ』ポスター~ジーン・シモンズ(右)と、マーロン・ブランドのナポレオン

だが、これまたナポレオンは脇役で、今度の主役は、デジレ・クラリー。ナポレオンの若き時代の婚約者だ。婚約中にもかかわらず、ナポレオンがジョゼフィーヌに走ったため、捨てられる悲劇の女性である。演じるのは、ジーン・シモンズ。その後、スウェーデン王妃となるが、ナポレオンが忘れられず、三角関係寸前の半生をおくる。

人気女優ジーン・シモンズに加えて、ジョゼフィーヌを『嵐が丘』のマール・オベロンが演じており、全体は女性映画の雰囲気が濃厚だった。

ちなみに、シャルル・ボワイエとマーロン・ブランド、どちらのナポレオンも、前髪が「▼」型で垂れ下がっている。だらしない鉄腕アトムのようである。過去の、多くの肖像画にならったのだろう。

   *****

もちろん、ナポレオンが主役の映画もある。映像史に残るサイレント映画の名作『ナポレオン』(Napoléon vu par Abel Gance=アベル・ガンスが見たナポレオン、1927年、フランス)である。

ナポレオン
▲『ナポレオン』コッポラ版(1927/81)のポスター

これはフランスの巨匠、アベル・ガンス監督(1889~1981)が、ナポレオンの全生涯を映像化しようとした、ほとんど誇大妄想超大作である。だが完成したのは最初の部分のみで、イタリア遠征あたりまで。ところが、これだけでも12時間余におよぶ。あまりの長さに、さまざまな編集ヴァージョンがつくられているうちに、フィルムは散逸。いったいどれが本来の姿なのかわからなくなり、半ばまぼろしの映画になってしまった。

そのなかの、約220分ヴァージョンの権利を、1981年、フランシス・フォード・コッポラが買い取った。そして父カーマイン・コッポラに新たに音楽を書かせ、生オーケストラ演奏付きで、全世界で公開した(近年さかんなシネマ・コンサートのはしりである)。これが人気を呼び、世界中でちょっとしたナポレオン・ブームとなった。

たしか1983年、それが日本でも公開されて、鼻息荒くあたしも行った。会場は日本武道館。演奏はカーマイン・コッポラ本人の指揮(だと思った)、日本フィルハーモニー交響楽団。アリーナは完売で、上の階から見下ろすようにして観た。

いまとなっては記憶もおぼろげだが、とにかくトンデモない映画だった。1927年といえば昭和2年、サイレント映画の最終期である(この年、アメリカで、トーキー第一作『ジャズ・シンガー』が公開されている)。もちろんカメラの性能や撮影技術も、後年とは比べ物にならない。合成が精一杯、CGだのVFXだのは、夢のまた夢の時代である。

なのに、まるでステディカムのような安定した移動撮影(冒頭、少年時代の雪合戦シーンからして、すごい!)、ドローンかと見紛う空中撮影(カメラを回したまま、“投げた”?)、CGとしか思えない数千(数万?)人のエキストラ、ほんとうに発砲しているような戦闘場面……。

3面
▲驚愕の3面スクリーン映像

そして、クライマックスのイタリア進軍のシーン(だと思った)で、前代未聞の事態が発生した。スクリーンの左右の幕が開き、「横長3スクリーン」に広がったのである。上映機3台が同時に3つの画面を上映しはじめた。あるシーンは3面パノラマ画面、あるシーンはまったく別の3映像の同時上映(3ケ所同時中継風)。最後には3面が、フランス国旗のトリコロール彩色(青・白・赤=自由・平等・博愛)になった記憶がある。後年のシネラマや、1970年の大阪万博で話題になったパノラマ立体映像の元祖である。「トリプル・エクラン」なる上映方式らしいのだが、こんなことを昭和初期に平然と実現させていた国(連合軍)と戦争したって、勝てるわけないじゃないか。

ただ、そんな一種の“実験映画”だけあり、主役はナポレオンではなく、映画技術そのものが目的のように当時は感じた。

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▲アルベール・デュドネのナポレオン

ナポレオンを演じたアルベール・デュドネ(1889〜1976)は、細身長身。髪型も「▼」ではなく、「ベルばら」オスカルのようなロン毛で、なかなかカッコよかった。最高のナポレオン役者ではないか。ちなみにこのひとは、サン=サーンスが“世界初の映画音楽”を書いた『ギーズ公の暗殺』(1908年、フランス)でデビューした、フランス・サイレント映画のスターである。

なお、パパ・コッポラの音楽は、ほとんどがクラシック名曲の引用で、あまり面白くなかった。日フィルも、よくお付き合いしたと思う。

   *****

というわけで、現在公開中の『ナポレオン』は、ひさびさにナポレオン本人が堂々たる“主役”で、しかも、きちんと、ほぼ全生涯を描いた映画である。

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▲ホアキン・フェニックスのナポレオン

ホアキン・フェニックスは、ナポレオンの複雑な性格をうまく演じている。さすがはアカデミー賞ほか、世界中の主演男優賞を独占しているだけのことはある。その“顔芸”は、ほとんど歌舞伎のようである。

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▲ヴァネッサ・カービーのジョゼフィーヌ。

ジョゼフィーヌ役のヴァネッサ・カービーは、旧ソ連のウクライナ搾取を暴露した『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(ポーランド・ウクライナ・英合作、2019年)の、ニューヨーク・タイムズ:モスクワ支局記者役で忘れがたい。最近では『ミッション・インポッシブル』シリーズでおなじみだろう。気の強い色悪を演じては、当代随一ではないか。今回、ナポレオンの派手な女性関係は、ほぼ彼女だけに限定して描かれている。

音楽のマーティン・フィップスは、映画よりもTVドラマの音楽が多いひとのようだが、オリジナル部分以外は、スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』(1975年)にならったという。ゆえに、クラシック名曲や、当時の民衆音楽などを多く使っている(『バリー・リンドン』自体、本来はナポレオン伝記映画の予定だったのが中止になった、代替作品である)。

そのため、全編に、ハイドン、ボッケリーニ、ゴセックなど、当時の人気作曲家の名曲が流れる。時代的にはすこし前の曲だが、ヴィヴァルディの協奏曲《アラ・ルスティカ》RV151も流れる。『オール・ザット・ジャズ』で、ロイ・シャイダーが、毎朝カセットで聴いていた、あの曲である。

戦闘場面の迫力は特筆もので、当然、CGも使っているだろうが、ナポレオンの軍事戦略が、具体的にどのようなものだったのか、とてもよくわかる。防衛大学の教材になるのではないか。

いままで映画で数多くの戦闘場面を観てきたが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』 (原恵一監督、2002年)に匹敵する説得力である(これは冗談ではなく、『戦国大合戦』は、むかしの合戦の実態をきちんと考証して描いており、なみの時代劇を凌駕するリアルさなのである)。

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▲ダヴィッドの「ナポレオンとジョゼフィーヌの戴冠」(ルーヴル美術館) ※東京富士美術館にあるのは、弟子による複製画。

戴冠式
▲映画『ナポレオン』の戴冠シーン

さらに戦闘場面もさることながら、戴冠式のシーンは、ダヴィッドの有名な油彩画そのもので、大感動。この絵画には、実際には出席していない、ナポレオンの実母や兄が描かれていることでも知られている。そこまでは気がつかなかったが、今回の映画ではどうだったのだろうか。

余談だが、この戴冠式シーンには、明らかな考証ミスがある。聖歌隊の指揮者が、タクト(指揮棒)をもって現代の指揮者のような身振り手振りで指揮しているのだ。当時、このような「指揮者」は、まだ存在していない。まるめた紙や杖で、簡単な合図をおくる程度だった。それもコンサートの場合で、カントル(教会音楽監督)はオルガンを弾く。あのように前に立つことは、なかったはずだ。

……と、些末なことを述べたが、そんなことまで気がつくほど、細かく、かつ本格的に描かれた作品である。

上映時間2時間38分の長尺だが、『アラビアのロレンス』(3時間42分)ほどではない。脚本構成がうまくできており、役者の顔を観ているだけで、あっという間に時間が過ぎる。たぶん、正月までかかっていると思うので、年末年始にゆっくり観るのに、ぴったりの大作だと思う。

なお、「前髪」については、実際に映画館でご確認ください。


◇映画『征服』予告編は、こちら。
◇映画『デジレ』予告編は、こちら。
◇サイレント映画『ナポレオン』(1927)DVD予告編は、こちら(コッポラ版以降の、最新ヴァージョン。3面スクリーン・シーンもあり)。
◇現在公開中の『ナポレオン』HPは、こちら(予告編あり)。



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