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2024.04.12 (Fri)

第452回 映画『オッペンハイマー』と、〈ミズヲクダサイ〉

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▲「ニューズウィーク」も大特集を組んだ、映画『オッペンハイマー』

先の米アカデミー賞で7部門を受賞した、映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)が日本でも人気のようだ。全世界では10億ドルの大ヒットだという。

“原爆の父”ロバート・オッペンハイマー博士(1904~1967)を描いた映画だが、広島・長崎の惨劇が描かれていないとかで、かえって日本で話題となっていた。ユニバーサル・ピクチャーズ作品なのに、同社の日本配給権をもつ東宝東和が扱わなかったことも、業界で話題となった。

実際に観てみると、オッペンハイマーが原爆のあまりの威力に怯える姿が強調されている。後半は、戦後の水爆開発に消極的となり、“赤狩り”の対象となってソ連のスパイ呼ばわりされる姿が長く描かれる。

つまりこの映画は、東西冷戦下の政治に弄ばれた科学者の苦悩を描いているのだった。ならば、広島・長崎にかんする描写は、最初から入れる予定などなかったであろう。

しかも、この監督お得意の、独特の映像感覚と、時間軸が入り乱れる構成である。少しは予備知識がないと、(特に日本人には)なんともわかりにくい。

   *****

よくいわれるように、日米では、原水爆にかんする感覚は、あまりにちがう。

「ニューズウィーク日本版」4月16日号の特集「オッペンハイマー アメリカと原爆」で、コロムビア大学のキャロル・グラック名誉教授(歴史学)は、こう書いている。

〈アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。〉

もちろん、日本の若者も、似たようなものだろう。それでもまだ日本人は、資料館や映像、文学などで原水爆の惨禍を知る機会が、少なくともアメリカ人よりは多いはずだ。たとえば、日本の中学高校の吹奏楽部員は、意外とビキニ水爆実験の悲劇を知っている。なぜなら、福島弘和作曲《ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶》がコンクールの人気曲だからだ。

ところがその一方で、グラック教授は、こうも書いている。

〈今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。〉

だが、一瞬しか映らない抽象的な「幻想」シーンを、〈アメリカの敵国を知らない〉アメリカ人が、ほんとうに理解できただろうか。

そもそも、トリニティ実験場における先住民の被ばくの実態にも、まったく触れられていない。そういう映画に広島・長崎の惨禍が登場しないことを論じても意味ないのかもしれない。

それでも、やはりあたしは、複雑な“何か”を感じざるを得なかった。なぜなら、おなじ人物と題材を描いた、オペラ《ドクター・アトミック》を、どうしても思い浮かべてしまうからだった。

   *****

ジョン・アダムズ(1947~)のオペラ《ドクター・アトミック》(原爆博士)は、2005年10月、サンフランシスコ歌劇場で初演された。

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▲アダムズ自身が指揮した、オペラ《ドクター・アトミック》CD。ジャケットには広島のキノコ雲、解説には当時の広島の地図も。

作曲者のアダムズはグラミー賞やピューリツァー賞を受賞している、アメリカ現代音楽の旗手である。ミニマル系だが、調性感のある音楽で、いわゆる、”ヒュ~、ドロドロ、パシャ!”の前衛音楽とは一線を画している。管弦楽曲《ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン》などは吹奏楽版に編曲されて人気がある。日本でもシエナ・ウインド・オーケストラが2019年の定期で、渡邊一正の指揮で演奏しており、あたしも解説を書いた。

彼のオペラでは、なんといっても《中国のニクソン》(1987年初演)がたいへんな話題となった。1972年の、ニクソン大統領の中国電撃訪問、毛沢東や周恩来との会談の模様を描いたオペラである。ヒューストンでの初演は、評論家には悪評だったが、一般聴衆には大受けだった。その後、世界中で再演され、レコーディングも複数出た。ついにはメトロポリタン歌劇場が上演するに至って、アメリカ現代オペラの名作として定着したのだった。

この《ドクター・アトミック》も、同系統の”現代史オペラ”だ。これも話題となり、メトロポリタン歌劇場で上演されている。「METライブ・ビューイング」でも上映されたので、ご覧になった方もいるだろう。

主な登場人物は3人。オッペンハイマー博士(バリトン)、その妻で元共産党員のキティ(ソプラノ)、原爆開発を推進するグローヴス将軍(バス)。ほかに”水爆の父”エドワード・テラー(バリトン)も登場する。

詞章の多くは、現実の発言や公文書から引用されており、さらに文学作品の詞章が加わる(オッペンハイマーはたいへんな文学好きで、サンスクリット語も理解していた)。台本はピーター・セラーズだ。

音楽は、アダムズ特有のミニマル(おなじモチーフやリズムを繰り返す)だ。そのため、全体は「オペラ」というよりは、「現代オラトリオ」とでもいうような無機質な雰囲気である。聴いていて、興趣を誘われる音楽ではない。原爆の是非を問うような内容でもないが、人間がとんでもないものを作り出してしまった事実は迫ってくる。また、全編を、なんとも異様な緊張が貫いていることも、まちがいない。いまでは、後述するオッペンハイマーのアリアなど、独立した歌曲として知られており、レコーディングしている歌手もいる。

また、アダムズ自身がオペラから抜粋構成した、3楽章構成の管弦楽曲《ドクター・アトミック・シンフォニー》も発表されている。

   *****

全体は2幕構成。

第1幕は1945年6月、ロスアラモス研究所。原爆開発(マンハッタン計画)が急がれているが、ドイツが降伏したいま、投下地を日本にすることの是非が討論される。

幕切れでオッペンハイマーが、アリア〈三位一体(トリニティ)の神よ、わたしを打ち砕いてください〉をうたう。詞章は、イギリスの詩人ジョン・ダン(1572~1631)の有名なソネットだ。ブリテンが歌曲にしていることでも知られている。

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▲実験地の先住民も登場する、メトロポリタン歌劇場版

第2幕は1945年7月16日の早朝、トリニティ実験場。ヒンズー教の叙事詩『マハーバーラタ』や、近隣の先住民「テワ族」の詩が合唱でうたわれる。オッペンハイマー夫妻の会話にはボードレールの詩も引用される。

前夜から悪天候だったが、間奏曲〈サングレ・デ・クリスト山脈に雨が降る〉が演奏されるうち、次第に晴れてくる。

ラストのカウントダウンは、時間の流れが変容し、えんえんとつづく。関係者が地面に伏せ、「ゼロマイナス45秒」……「ゼロマイナス・ワン」となった瞬間、沈黙が訪れる。

すると、突如、実験場のスピーカーから、「女性の声」で「日本語」の「朗読」が流れる。

ミズヲクダサイ
オネガイデス、ミズヲクダサイ
コドモタチガ、ミズヲホシガッテイマス
タニモトサン、タスケテクダサイ
オットガ、ミアタラナインデス
オネガイデス、ミズヲクダサイ

そのまま、幕。

   *****

このラストは、あたしたち日本人には、なんとも衝撃であり、かつ複雑である。原爆実験の爆発瞬間も、広島・長崎への投下もすっとばして、突然、このようなナレーションで終わるのだ。

〈ミズヲクダサイ〉は投下直後に被災者たちが口にした苦悶のことばだ。原民喜の詩集『原爆小景』の、よく知られる一節でもある。林光による合唱組曲も有名だ。

〈タニモトサン、タスケテクダサイ〉は、被災地で救護活動にあたった牧師・谷本清さんのことだと思われる。ジョン・ハーシーの名作ルポ『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局刊)に登場した、おそらくアメリカでもっとも名前を知られた広島の被ばく者だ。同書の日本語訳も手がけ、1986年に亡くなるまで、日米両国で平和運動に従事した。

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▲ハーシーの名作ルポ『ヒロシマ』

問題は、そのナレーションの”口調”である。

いったい、どういうひとが朗読しているのか不明だが、レコーディングもライヴ映像も、なんとも無機質で、棒読みなのだ。日本人には、「嫌々に読まされている」ように聴こえてしまう。わざとそうした”演出”なのか、あるいは、たまたま読んだひとが、その程度の日本語力だったのかは、よくわからない。

なぜ、こんなナレーションが、ラストに流れるのか。爆発実験は成功したが、1か月後に、このような惨禍を招く……といいたいのだろうか。

ここであたしが感じたのは、高見順ではないが、「なんとも言えぬいやな感じ」だった。どこか、とって付けたような感じがしてならなかった。広島・長崎への、エクスキューズ(弁明、免責)のようにも思えた。

映画『オッペンハイマー』で感じたのも、似たような思いだった。爆発実験が成功したあとは、終戦後の挿話になる。そして、オッペンハイマーがソ連のスパイ疑惑で追及され、苦悩する姿が描かれる(アメリカのインテリは、赤狩りの話が好きだ)。

この後半は、「広島・長崎同様、”原爆の父”も十分苦しんだのだ」と言っているようだ。確かにそうだったのだろう。だからこそ、原爆の恐怖が伝わってくるとの意見もある。だがあたしは、うまくいえないのだが、なにか複雑な思いを禁じ得ず、素直に感動できなかった。つい、先述オペラのラスト〈ミズヲクダサイ〉を、思い出していた。

   *****

……と、勝手なことを述べたが、さほど聴きこんだり見返したわけではない(映画も1回しか観ていない)。だから、浅学の感想にすぎない。しかし「なんとも言えぬいやな感じ」を抱いたのは、たぶん、あたしだけではないと思うのだが。

◆カールスルーエ州立劇場版の《ドクター・アトミック》舞台映像
◆メトロポリタン歌劇場版、全編映像。ラスト〈ミズヲクダサイ〉は、第2幕の1時間20分すぎくらいから。

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