2019.03.27 (Wed)
第233回 イチロー引退

▲イチローよりも、こういうものから「感動」を得る人間もいるのです。
わたしはかなり重症のスポーツ音痴で、野球のルールもまともに知らない人間なので、以下に書くことは、かなりの的外れ、かつ、不快な思いを抱かせることと思う。よって、お叱りを承知で書く。
イチローが引退を発表したが、直後のメディアの右へ倣えぶりには、驚いた。一般紙、スポーツ紙の騒ぎ方には、「イチロー引退を盛り上げなければならない」との無理やり感が、溢れていたように感じた(わたしはTVをあまり観ないのだが、たぶん、新聞よりすごかったのではないか。ラジオは、どこもほぼ通常通りだったが)。
航空会社が、彼が乗る帰国便の搭乗ゲートを「51」に変更した、そのことを大ニュースのように報じるに至っては、大のおとながやることとは思えず、恥ずかしささえ、感じた。
日本人は、本来、こういう騒ぎ方を嫌う民族ではなかったのか。その精神が、和歌や俳諧、茶・華・書道、相撲における力士の態度、さらには雅楽や、能・狂言を生んだのではなかったのか。
上述のように、わたしはスポーツ音痴なので、イチローの残した記録や足跡は、すごいらしいのだが、正直、よくわからない。日本のスポーツ選手が海外で好成績をおさめると、「感動をありがとう」「元気をもらった」と、新聞に見出しが出る。だが、そのような経験も記憶も、わたしには、ない。
そういえば、作家・曽野綾子さんによる、産経新聞の連載エッセイ「透明な歳月の光」が、3月27日付の「第843回」で終了した。23年にわたる連載だった。ここから、どれだけ「やる気」をいただいたか、わからない。要は、ひとそれぞれなのである。
そもそも、お前には、感動や憧れの対象はないのか、と問われれば、もちろん、ある。ただそれが、コナン・ドイルの『失われた世界』だったり、手塚治虫の『鉄腕アトム』だったり、映画『大脱走』だったり、レナード・バーンスタインだったり、テオ・アンゲロプロスだったり、あるいは、吹奏楽コンクール課題曲《五月の風》(真島俊夫作曲)だったりするので、即座に共感してもらえるひとなどめったにおらず、よって、あまり口に出さないのである。
だが、イチロー引退は、これだけメディアが取り上げているのだから、誰もが話題にしているのかと思いきや、少なくとも、わたしの周囲には、ひとりもいなかった。
強いていうと、翌日、近所の居酒屋で、TVでニュースを見ていたオヤジ客が「イチローも歳だから、しゃーねーわな」と口ずさんでいた、それだけだった。そのオヤジ客は、別に残念そうでもなく、ましてや感動を与えられた様子もなく、不愛想な表情で「じゃ、お勘定して」と帰っていった。
つまり、どうやら、メディアの様相と、一般社会の現実は、一致していないようなのである。今年の大河ドラマ『いだてん』第一回放送直後、ツイッターを見たら、絶賛の嵐だった。特に宮藤官九郎の人気はすごいものがあった。この調子だと、今年の大河ドラマは高視聴率なのだろうと思いきや、ご存知のように、すさまじい低視聴率である。これも、メディアの様相と現実が一致していない一例だろう。
わたしは戦前のことなどまったく知らないが、日本が戦争に傾倒していくときの空気は、こんな感じだったのではないだろうか。「みんなで〇〇しよう」「同じ気分で盛り上がらなければ損だ」「誉めよ、讃えよ」……と。
こういう原稿で、「イチローは、たしかにすごい選手だと思う」「イチローの活躍を否定するつもりなど、毛頭ない」みたいな“前置き”を書くひとがいる。だが、それすら書けないほど、なにも知らない、わたしのような世間知らずもいるのだ。そして、そういう連中も、少しは声をあげておかないと、メディアにだまされっぱなしになる、そんな気がしてならないのである。
もちろん、「そんなに知らなきゃ、黙ってろ」と言われれば、それまでです。
すいません。
<一部敬称略>
【ご案内】
3月23日(土)19:00~19:55、文化放送の特別番組「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」に、解説ゲストとして出演しました。
現在、アーカイブで聴けます。※4月30日(火)23:59まで
お時間あれば、お聴きください。
(富樫鉄火)
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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