2019.07.23 (Tue)
第248回 昭和の神三神[かみがみ] (1)三崎神社通り

▲三崎神社通り(左が三崎稲荷神社。右手奥に「三崎座」があった)
わたしは中野の生まれ育ちだが、すでに、神保町・三崎町・神楽坂で過ごした期間のほうが、長くなってしまった。そこでの思い出を話すと、時折、たいへん興味をもってくれるひとがいる。果たして、面白いのかどうか、わたしには何ともいえないが、昭和が“ふたむかし前”になったいま、こういう雑話も、たまには、いいかもしれない。
この三か所を、頭文字をとって、わたしは勝手に「神三神」(かみがみ)と呼んでいる。
現在、水道橋駅東口からすぐ、「三崎神社通り」にある、その名も「三崎稲荷神社」の並びに、現代的な東京歯科大学の水道橋校舎新館が建っている(先日、この病院で、最後のオヤシラズを抜いてもらった)。
その向かいに、わたしの母校である日本大学法学部のコート(フットサル場?)がある。ビル街のど真ん中に、なんとぜいたくな空間かと一瞬驚くが、ここは数年前まで日本大学法学部の3号館だった。おそらくオリンピックが終わったら、新しい校舎を建てるのかもしれない。いま建てたら、工事ラッシュで高くつく。日本大学だったら、それくらいのことは考えるだろう。
ここは、戦前まで、芝居小屋「三崎座」だった。明治からあった老舗劇場で、東京で初めての女優専用、いわゆる“女芝居”小屋として知られていた。神楽坂あたりから流れてくる客が多かったが、戦時中の空襲で焼失した。
近くには、川上音二郎が出る「川上座」や、歌舞伎小屋「東京座」もあり、あわせて「三崎三座」と呼ばれていた。このあたりは、明治時代、陸軍用地の払い下げを受けた三菱財閥が、“東洋のパリ”を目指して、再開発をおこなった(外濠や内堀が近かったので、水の都のつもりだったのか)。その結果、三崎町は、芝居の街になったのだ。いまでも、よく歴史探訪街歩きツアーが、このあたりでレクチャーをやっている。
この三崎神社通りに、かつて、にぎやかな大衆割烹があった。仮に《K》としておく。1階がテーブルや小上がりで、2階が畳敷きの大広間だった。広くて安かったから、私の学生時代、ゼミのコンパや忘年会で、よく使っていた。まさに三崎神社通りの“顔”のような店だった。
わたしの学生時代、もう40年ほど前の話だ。メイン料理が寄せ鍋だったから、たぶん忘年会だったのだろう。ゼミの宴会が、2階の大広間で開催されていた。わたしの所属するゼミは、先生の影響か、とにかくよく呑む連中ばかりで、その晩も40名ほどの学生で、大騒ぎだった。
いよいよ鍋になった。1階の調理場でつくって煮立たせた鍋を、店員さんが次々と2階へ運んできてくれる。テーブル上のガス台で、もうひと煮立ちさせれば、すぐに食べられるのだ。
小柄な男性の店員さんが、煮立った鍋を手拭いごしに両手でつかんで、運んできた。そして、部屋に入る際、敷居につまづいて、鍋ごと畳のうえにひっくりかえった。その鍋の中身を、たまたまそこに座っていたゼミ生のNくんが、下半身に浴びてしまった。Nくんは「ぐああああ!」とすごい声をあげて、その場でのた打ち回った。そばにいたわたしの同期生で、普段は男のような低い声のM嬢(現在、大手出版社の取締役)が、珍しく甲高い声で「きゃああ!」と声をあげたのを、いまでも覚えている。
すぐに救急車が呼ばれ、飯田橋の東京警察病院(現在は中野に移転)へ運ばれた。幸い、同病院は皮膚科が優秀なことで知られており、N君は応急処置を受けて大事には至らなかった。ただし、その後も通院がつづいて、完治するまでは時間がかかったようだ。
このときのお店の対応は素早かった。もちろん、治療費や交通費は、すべてお店がもってくれた。その意味で、キチンと対応してくれたのだが、しかし、どうも「Nくんが鍋を浴びた店」とのイメージばかりが残り、なんとなく行きにくくなってしまった。社会人になってからも、この通りはひんぱんに歩いているが、その後、《K》に行った記憶がない。
それでも、いまから10年ほど前、閉店が決まったというので、ひさしぶりに知人を誘って、《K》に行ってみた。1階に座り、最初のイッパイを呑んで、上述“鍋事件”の思い出を話しだしたとたん、ケータイが鳴った。家族からだった。まだ3歳くらいの姪が救急車で運ばれたらしいが、どうも事情がよくわからない、すぐ行ってやってほしい、という。「また救急車か」と、妙な因縁をおぼえ、中座して、姪が担ぎ込まれたという病院へタクシーを飛ばした。
詳述は省くが、姪は、命はとりとめたものの、このときの病気がきっかけで障害を負う身となってしまった。
そういえば、鍋を浴びたNくんは……卒業後、大手新聞社に営業マンとして入社し、バリバリ働いていたが、ある日、クモ膜下出血で倒れ、半身不随となった。懸命のリハビリで、なんとか、ほぼ通常生活が送れるまでに回復はしたが、今度は心筋梗塞で、40歳代の若さで急死してしまった。
もちろん、Nくんの死も、姪の病気も、《K》のせいではない。だが、お店とお客には“相性”みたいなものがある。わたしと《K》は、その“相性”がよくなかったのだと思う。
三崎神社通りを歩くたびに、そんなことを思い出して、少しばかり苦い気分になる。
<敬称略>
※「むかしの神三神」は、随時掲載します。
【お知らせ】
6月24日(月)にラジオ福島で放送された特別番組「こころひとつに…普門館からありがとう」が、7月24日まで、同局サイトのアーカイブで聴取可能です。今年度課題曲のほか、5月に白河で開催された演奏会でのスミス《華麗なる舞曲》ライヴも聴けます(指揮:飯森範親)。ほかに、田中靖人さん、わたし(富樫鉄火)のインタビューもあります。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
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