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2019.08.16 (Fri)

第250回 佐伯茂樹さんと牛友カレー

名曲の暗号
▲佐伯茂樹『名曲の暗号~楽譜の裏に隠された真実を暴く』(音楽之友社、2013年刊)

 古楽器演奏家で、音楽評論・楽器研究家の佐伯茂樹さんが亡くなった(享年58)。
 
 佐伯さんとわたしは、ほぼ同年だった。雑司ヶ谷の居酒屋Nで、よく呑んだ。
 もう10年くらい前。呑んでいると、「ベートーヴェン《運命》冒頭のジャジャジャジャーンが、鳥の鳴き声だって、ご存知でしたか」という。さらに「《田園》は、死がモチーフの縁起悪い曲なんですよ」など、次々に独自の“解釈”を披露してくれる。
 あまりに面白かったので「その種の話を集めて新書にしよう」と盛り上がった。さっそく、ほかのネタもいくつか聞き出して、《名曲に秘められた暗号~《運命》は鳥の鳴き声だった!》と題して、仕事先の企画会議に提案し、GOサインが出た。
 ところが、やがて佐伯さんから原稿がとどきはじめると、少々、困ってしまった。確かに、酒場で聞いたような、面白い話もあった。ラヴェル《ボレロ》におけるトロンボーンやサクソフォンのソロの裏話など、目からウロコが落ちた。だが専門的な音楽解説も多かった。 
 たとえば、ベートーヴェンの交響曲第8番の譜例(管楽器セクション)を掲げ、「自然七度」や「属七和音」を解説した部分など、一般読者には、かなり難解と思われた。
 しかし、そういった部分にこそ、佐伯さんならではの、好奇心とマニアック精神が横溢した面白さがあるのも事実なので、単純に「もっとやさしく書き直してください」とは、言いにくかった。
 そんなグズグズ状態がつづくうちに、佐伯さんのほうでも察してくれて、この原稿は、音楽之友社さんで単行本化していただけることになった。同社なら、音楽に造詣の深い読者が大半だから、安心だった。

 佐伯さんとのお付き合いでは、この種の「未完企画」ばかりを思い出す。
 たとえば《めげない男、アドルフ・サックス》なんて企画があった。
 サクソフォンやサクソルンを開発したベルギーの楽器発明家、アドルフ・サックス(1814~1894)は凄まじい生涯をおくった。まるで世界中の楽器を自家製で独占せんばかりの野望を抱き、次々と楽器を発明しては特許を取りまくった。だが、中には盗作寸前の発明もあったようで、同業者から続々と訴えられる。夜道で襲われたり、工房に放火されたりもした。それでも彼はめげない。フランスへ行き、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に自家製楽器を売り込み、競演実験をさせて、結果、サクソルンの大量納入に成功する。
 佐伯さんから、そんな血沸き肉躍る話を聞かされ、これまた盛り上がったのだが、翻訳類書が出てしまい(その原書が、元ネタ資料のひとつだった)、あきらめた。

 そういえば、これも、実現しなかった。
 佐伯さんは、ある組織内部の問題に、少々悩んでいた。
 特にご自身がかかわっていたわけではないのだが、内部資料のようなものを見せられ「なんとかなりませんかねえ」と、相談された。だが、特に犯罪が行なわれているわけでもないので、どうにもならなかった。それよりも、あの佐伯さんに、意外と正義感の強いところがあることを知り、驚いた。

 大井町の「牛八」へ、スタミナ・カレーを食べに行く企画も実現しなかった。実は佐伯さんはB級グルメの大家だった。なかでも学生時代、わたしも佐伯さんも、「牛友チェーン」のファンだったと知ってうれしかった。特に中野駅南口、立川ビル6階の店が、お互い、お気に入りだったこともわかった。カレーに牛丼の具を乗せたあいがけの「牛友カレー」が有名だった。
 その後、チェーンとしては消滅したが、支店のひとつが独立して「牛八」と名を変え、味はそのままで大井町で営業しているらしいことを、佐伯さんは、どこかで聞きつけて、教えてくれた(いまでは、ネット上で有名な話題だ)。
 だが、こっちが胃ガン手術を受け、その種のギトギト系が食べにくくなったせいもあり、結局、これも実現しなかった。

 吹奏楽コンクール全国大会、普門館のロビーでバッタリ会ったときは、驚いた。雑誌の企画で「初めて(普門館のコンクールを)聴きにきました」と、照れながら話していた。
 佐伯さん、なにひとつ成就せず、ごめんなさい。
 そのうち、わたしがそっちに行ったら、あらためてやり直しますから、もう少し待っててください。

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