2016.01.25 (Mon)
第145回 1月23日、タッドとシエナ

1月23日(土)午後は、タッド・ウインドシンフォニーと、シエナ・ウインド・オーケストラの演奏会が重なった。
仕方ないので、時間が早いタッドWSは、ゲネプロを聴かせていただいた。
今回の目玉は、フィリップ・スパークの交響曲第3番《カラー・シンフォニー》の日本初演である。
(最初から吹奏楽用に書かれた曲で、ブラスバンド曲からの編曲ではない)
2014年11月のドイツ初演を含めて、まだ世界中で2回しか演奏されておらず、楽譜も出版されていない。
セッション録音はすんでいるらしいが、CD発売はこれからだという。
よって、スコアも見ておらず、あくまで本番直前の、断片的な最終リハーサルを聴いただけなので、あまり正確な感想は述べられないのだが、それでも、たいへん面白く聴いた。
曲は全5楽章。
各楽章ごとに「色」が題材となっている。
「色」といっても、調性や共感覚などを表現しているわけではなく、色の一般的なイメージを音楽化しているようだった。
その「色」とは、Ⅰ:ホワイト、Ⅱ:イエロー、Ⅲ:ブルー、Ⅳ:レッド、Ⅴ:グリーンである。
編成はかなり大型で、委嘱元からは「吹奏楽で使用する楽器を総動員してほしい」との要望があったという。
よって、ピアノ、ハープや、木管低音の特殊管、さらには、チェロ2丁も加えられている。
第3楽章(ブルー)では、そのチェロ2丁が、弦バスとともに、かなり長い「弦楽アンサンブル」を披露する。
通常、吹奏楽における弦バスは、テューバやバリトン・サクソフォンと同じラインを演奏することが多いが、ここでは完全に独立しており、吹奏楽曲で、このような響きを聴いたのは、初めてであった。
第4楽章(レッド)は金管と打楽器が活躍し、コンサート・マーチのような華々しい曲想となる。
グレッグスン《剣と王冠》や、リード《オセロ》第4楽章を思わせる、古き良き大英帝国のムード満点である。
最後の第5楽章(グリーン)は、すべてのカラーがパレット上で混ざり合い、カンバス上に巨大な絵画を描いていくようだった。
ここ数年、スパークは《宇宙の音楽》が大人気だったが、あれほどの音の洪水ではなく、ずっとクラシカルな印象だった。
指揮の鈴木孝佳氏は、スパークから直接にスコアを託されたそうで、さすがに見事なアナリーゼでオーケストラに細かい指示を与えて音楽を構築していた。
各楽章の演奏時間まではチェックできなかったが、第4楽章や第5楽章は、そのまま、コンクール自由曲に使う団体があらわれそうな予感がある。
このコンサートの模様は、今までどおり、ライヴ収録されて、CD化されることになっているので、ぜひ、実際の音を聴いていただきたい。
なお、この日はほかに、ジョン・ウィリアムズの《カウボーイ》新編曲(ボクック編曲)も演奏された。
ご存じ、映画『11人のカウボーイ』(ジョン・ウェイン主演、マーク・ライデル監督、1971年)の音楽である。
(スティーヴン・スピルバーグが、このサントラの大ファンで、『続・激突!カージャック』や『ジョーズ』で、ジョン・ウィリアムズを起用するきっかけとなった。私も、この音楽は、ジョン・ウィリアムズの最高傑作だと思う)
今までにも「ボクック編曲」の吹奏楽譜(簡易アレンジ版)は出ていたが、それではなく、ジョン・ウィリアムズ本人が海兵隊バンドを指揮するコンサートがあり、そのために、新たに制作されたスコアだという。
この曲の吹奏楽版が日本に広まるきっかけは、1987年のコンクール全国大会、同じ鈴木孝佳氏指揮の福岡工業大学附属高校(現・福岡工業大学附属城東高校)の演奏だったと思うが、あのときのスコアは、ジョン・カーナウ編曲版だった(鈴木氏の委嘱で生まれたスコアだったという)。
以後も、日本では、カーナウ編曲版が演奏されてきたのだが、今回の新ボクック版は、オーケストラ原曲の響きにずっと近づいており、全体的に、たいへん柔らかい響きになっているような気がした。

さて、タッドWSのゲネプロを聴かせていただいたあとは、シエナWOのコンサート「邦人吹奏楽作品とその変遷」へ。
曲目は、通常のコンサートのメイン曲になる大曲、有名曲がずらりと並び、いかにシエナといえど、よくぞ、このような重量級プログラムをこなすものだと、頭が下がる。
指揮は、渡辺一正氏。
兼田敏《パッサカリア》1971年発表
藤田玄播《天使ミカエルの嘆き》1978年発表
大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》原典版 1956/1970/1974/2014年発表
三善晃《深層の祭》1988年発表
黛敏郎/長生淳《オール・デウーヴル》1947/1998/2015年発表
中橋愛生《科戸の鵲巣》2004/2014年発表
真島俊夫《三つのジャポニスム》2001年発表
服部隆之/三浦秀秋《真田丸》2016年発表(アンコール)
上記でおわかりのように、全7曲(+アンコール1曲)で、戦後の主要邦人作品をたどる構成。
しかも、1曲目が兼田敏氏で、最終曲が、その弟子・真島俊夫氏という、いわば、戦後の日本吹奏楽界を、二世代にわたって包括する、意欲的なプログラムである。
最初から最後まで、全身に力を入れて聴いたが、その前に聴いた、タッドWSの時とはちがう、別の感性を惹起させられて、面白い体験だった。
当たり前の話だが、同じ吹奏楽とはいえ、欧米曲と邦人曲では、語法はまったくちがう。
スパークやジョン・ウィリアムズは、カタルシスに向けて、まっすぐに突き進む。
目の前に障害物があると、途中休憩はするが、基本的に、何としてでもなぎ倒して(あるいは咀嚼して)目的地に向かう。
(連合軍のノルマンディ上陸作戦のよう)
だが邦人曲は、障害物があると、まず立ち止まる。
そして、ほかの経路を探して、迂回する。
(日本海軍のキスカ島撤退作戦のよう)
そこに立ちふさがるのは、障害物ではなく、自分たちとはちがう「何か」なのである。
それは、とりあえず尊重するべきで、なぎ倒すなんてことは、あまり考えない。
そうやって迂回して遠回りして、ようやく目的地にたどり着いた時の感慨は、喜びでもあるのだが、何となく、複雑な感慨も、残る。
それが、邦人曲の魅力のようにも感じた。
ほとんどの曲が、いやというほど何回も聴いてきた超名曲ばかりだが、こうやって一堂に会すると(特に《深層の祭》と《科戸の鵲巣》を一緒に聴いたことで)、そんな思いを、特に強く抱いた。
(「今まで自分の中にあるとは思わなかった感覚が、表に出たような感じがしました」と語る団員の方もいた)
司会は、作曲家の中橋愛生氏と、おなじみ秋山紀夫氏。
作曲家ならではの的確なガイドと、戦後吹奏楽史の生き証人による見事な解説で、当日の聴衆の理解も、十分、深まったと思う。
このような、若干のレクチャー色もありながら、吹奏楽の醍醐味も十分味わえるコンサートが、もっとあっていいと思った。
(一部敬称略)
(1月23日、タッドWS=ティアラこうとう、シエナWO=文京シビックホールにて)
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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