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2020.01.19 (Sun)

第265回 イングランドの”隠れ切支丹”

バード
▲ヴォーカル・アンサンブル・カペラの定期公演(1月15日、東京カテドラル教会聖マリア大聖堂にて)

 吹奏楽に長く携わっている方なら、ゴードン・ジェイコブ(1895~1984)の名をご存じだと思う。イギリスの作編曲家で、王立音楽院の教授を長くつとめた教育者でもあった。
 彼の名が広まったのは、学生時代に作曲(編曲)した、《ウィリアム・バード組曲》だった。当初は管弦楽用に書かれたが、のちに吹奏楽版となり、世界中で演奏されるようになった。(うろ覚えだが、フレデリック・フェネル指揮のマーキュリー盤が初の商業録音だったのでは?)
 これは、ルネサンス期のイギリスの作曲家、ウィリアム・バード(1543?~1623)がヴァージナル(当時のイングランドで流行した、小型チェンバロ)のために書いた曲を6曲抜粋し、編曲したものだ。たいへんうまくまとめられており(特に、管打楽器=吹奏楽の魅力が十二分に引き出されている)、編曲というよりは、再創造と呼ぶにふさわしい。ホルストの組曲などと並んで、教育テキスト的な楽曲としても知られている。
 そしてもうひとつ、本作の功績は、ウィリアム・バードの名を、世界中に、特に吹奏楽に携わる若い人たちに知らしめたことである。

 ウィリアム・バードは、“ブリタニア音楽の父”などと呼ばれた大作曲家である。
 特に有名なのは、3つのカトリック・ミサ曲(ラテン語)なのだが、謎の多い曲として知られている。紙幅もあるので、要点だけ述べると、

①なぜ3曲とも題名がないのか(仕方なく、通称で《3声の/4声の/5声のミサ》と呼ばれている)。
②なぜ3曲とも、表紙がない小冊子として出版されたのか。
③どこで歌うために書かれたのか(国教会=プロテスタント全盛期、カトリック弾圧の治世に、ラテン語のカトリック・ミサ曲など書いても、演奏する場がなかったはず)。

 これに関しては、さまざまな説があるのだが、先日、ある演奏会で、面白い解説を見聞した。それは「ヴォーカル・アンサンブル・カペラ」(VEC)の定期公演のことで、この日、バードの《4声のミサ》が演奏されたのだ(1月15日、東京カテドラル教会聖マリア大聖堂にて)。
 このVECとは、古楽演奏家の花井哲郎が主宰する、古楽専門の声楽グループである。インターネットのクラシックFM「OTTAVA」を聴く方なら、番組の合間に、この世のものとも思われぬ、美しい声のジングル(ギョーム・デュファイ作曲《花の中の花》)が流れるのをご記憶と思う。あれを歌っているグループである。
 わたしはこのVECのファンで、ここ数年、定期会員になっている。彼らの特徴は、ミサ曲を、きちんと「ミサ」の形態で演奏する点にある。たとえば今回だったら、バードの《4声のミサ》に、彼のほかの宗教曲を「入祭唱」「昇階唱」「拝領唱」として加え、さらには祈祷文の朗読も交え、“宗教行事”として再現するのである(よって、ミサ曲だけなら20分強だが、全体で倍以上の時間を要した)。
 さらに、主宰・花井哲郎による開演前トーク、および、プログラム解説が、あまりに面白い。これだけにチケット代を費やしてもいいくらいだ。

 今回は、上記の謎について、トークと解説文で、おおよそ、以下のような解説がなされた。

<バードの時代のイングランドは、国教会(プロテスタント)を推進するエリザベス一世によるカトリック弾圧が激しかった。バードは、王室聖歌隊で教育を受け、エリザベス一世を讃える音楽や、国教会のための英語の典礼音楽も書く、“政府公認の国教会作曲家”だった。ところが内実は、正真正銘のカトリック信者であった。そのため、こっそりカトリック貴族の保護を受け、地下活動用にカトリックのミサ曲を書いた。だから曲名も表紙もない、雑多な小冊子に見せかけて出版した。
 おそらく彼のミサ曲は、反逆貴族の屋敷の隠し部屋のようなところで、こっそり演奏された。実際、わたし(花井)がかつて指揮活動をしていたオランダにも、その種の“隠れ教会”がいくつも残っていた。外側は典型的な運河沿いの住居だったが、中に入ると、3~4階はぶち抜いた壮麗なバロック様式の聖堂になっていて、立派な祭壇やパイプオルガンまであった>

 こういった説は、いままでにも専門書やCDライナーノーツなどで述べられてきたが、花井哲郎の場合は、自らが演奏家であり、ヨーロッパで、当時の弾圧の痕跡に触れているだけあって、説得力があった。
 要するに、バードは、筋金入りの“隠れ切支丹”、面従腹背作曲家だったのだ。

 実は、この時期、バードのような“隠れ切支丹”作曲家は、ほかにもいた。彼らの曲をあつめたCDまであるほどで、そのタイトルは、『In a Strange Land/Elizabethan Composers in Exile』(異郷にて/亡命したエリザベス朝の作曲家たち)という。バードはもちろん、ジョン・ダウランドやロバート・ホワイトを中心に、数名の“隠れ切支丹”曲が収録されている(バードは亡命こそしなかったが、ロンドンを避けて田舎に移住した)。わたしの愛聴盤のひとつで、イギリスの合唱グループ「スティレ・アンティコ」の素晴らしいハーモニーがたのしめる。

 ジェイコブの吹奏楽曲《ウィリアム・バード組曲》は、バードの鍵盤曲を編曲したものだが、そんなことも少し念頭に置きながら、聴いたり演奏したりするのも、また一興だと思う。
<敬称略>

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