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2020.01.28 (Tue)

第267回 映画『キャッツ』は、そんなにひどいのか【前編】

キャッツポスター
▲アメリカでは「2019年最悪映画」に指定された。


 映画『キャッツ』の評判が、よくない。
 特に海外での評価の低さは尋常ではなく、IMDbでは2.8点(10点満点)、Rotten Tomatoesの満足度も20%の低さだ(1月28日現在)。「2019年最悪映画の1本」の評価もあるらしい。
 興行的にも大失敗で、製作費の回収も、とうてい覚束ないようである。
 わたしも長年のファンのひとりとして、さっそく観たのだが(字幕版、吹替版ともに)、これは極端なまでに「観客を選ぶ映画」である。原作舞台にどれだけ理解があるかで、受け止め方が変わる、やっかいな映画だと感じた。
 今回はすこし長くなるが、2回に分けて、書きとめておきたい。

 この映画は日本でも、多くの観客が戸惑ったようだ。SNS上にあふれる疑問・不満をざっとまとめると、こうなる。

①猫が次々に出てきて歌うだけで、セリフもストーリーもなく、なにをやっているのかわからない。
②「ジェリクルキャッツ」とか、意味不明な名前や用語が続出するのに何の説明もない。
③CGの猫人間が妙にリアルで気持ち悪い。裸体ポルノのようで、子供に見せられない。
④ゴキブリやネズミまでもが擬人化されており、不気味。
⑤ラストで長老猫が突然、カメラに向かって(観客に向かって)説教し始めるのが不自然。

 これらは、原作舞台を見慣れた方には、当たり前のことなのだが、そうでないひとには、たしかにわけがわからないかもしれない。現にわたしも、上映中に中座する母子やカップルを数組、目撃した。
 このミュージカルはノーベル賞詩人、T.S.エリオットの詩集が原案で、ゴミ捨て場に集まった猫たちの一夜を描くものだ。年に一度、転生できる猫が選出される、その選抜戦なのである。彼らは、歌と踊りで自己をアピールする。いわばガラ・コンサートのようなもので、だから、セリフもほぼないし、ストーリーらしきものもない。
 最後に長老猫が話しかけるのは、これは原案の詩集がそうなっているのであって、つまり、原作者エリオットが、読者に話しかけている詩を再現しているのである。
 奇妙な用語や名前は、ノーベル賞作家ならではの造語なので、いちいち説明のしようもない。

なぜ何回も観るのか
 日本は世界でもトップレベルの『キャッツ』大国で、劇団四季により、断続上演ながら37年間で10,000回を突破、いまでも上演がつづいている異様な国である(ロンドンは21年間で8,950回、ニューヨークは18年間で7,485回。どちらもとっくに終わっている。NYでは2016年からリバイバルがあったが)。
 わたしは、『キャッツ』は、劇団四季による1983年の日本初演から観てきた。その後、日本で3~4回、ロンドンで1回、ニューヨークで2回観ているが、この程度では「何回も観た」うちに入らない。100回以上観ているひとなどザラにいる作品である。

 なぜそんなに何回も観るのかというと、このミュージカルは、前記のように「歌と踊りを観る」ものなで、役者によって、あるいは観客の年齢や精神状態によって、さらには観る位置(座席)によって、印象がガラリとかわるのである(時折、曲や編曲、演出もかわる)。
 そこは歌舞伎と同じだ。毎度のように『勧進帳』だ『道成寺』だ『鏡獅子』だと、同じ演目ばかりやっている。あれは役者がかわるとまったく別の印象になるから、舞台好きは、そのたびに観たくなる。それに似ている。
 だから、今回の映画は、いままで無数の役者によって演じられてきた、その延長線上にある、新キャスト&新演出による、最新プロダクションのひとつとして観るべきなのである。原作舞台を知らないひとが、突然観て楽しめるようには、つくられていない、たいへん不親切な映画なのだ。
 では、今回、原作舞台を観ている/観ていない――にどんなちがいが生じるか。

暗黙の了解
 『キャッツ』日本初演は1983年のことで、まだ空き地が目立つ西新宿の高層ビル街の一角、仮設劇場での上演だった。この作品は、客席と舞台が混然一体となっており、猫が集うゴミ捨て場が舞台である(ニュー・ロンドン・シアターや、NYのウィンターガーデン・シアターは、巨額を投じて大改修され、公演終了後、本来の劇場に戻された)。
 客席はゴミ捨て場を囲むように配置され、我々は、猫の深夜の集会に立ち会うとの設定である。役者(猫)も、ときには客席のなかに入り込んできて、まさに猫の仕草でゴロニャンと、観客の足下で転がったりする。だから基本的に、一般劇場では上演できない(一般劇場の場合は「シアター・イン・シアター」システムといって、劇場の中に、もうひとつの劇場をつくり、独立した仮設劇場にちかい雰囲気にする)。
 よって、「観る」よりも「体験する」、アトラクションのような要素が強くなる。これは映画を観るうえでも需要なポイントとなる。

 演劇やミュージカルとは不思議なもので、舞台と観客との間に「暗黙の了解」がある。『ハムレット』を観に行けば、舞台上に何もなくても、観客は「ここはデンマークのエルシノア城なのだ」と思い込む。歌舞伎で男がお姫様を演じていても「あれは女なのだ」と思い込む(宝塚歌劇は、その逆だ)。
 『キャッツ』だったら、場内を「猫が集まるゴミ捨て場」と思い込む。さらに、役者がメイクや衣装、仕草で猫に扮しているが、どう見ても人間であり、かなり無理がある。しかし観客は猫だと思い込む。
 つまりすべては「暗黙の了解」、要するに「脳内補完」しているのだ(時折、『カルメン』の舞台を現代のニューヨークに置き換えたなんて演出に接すると、脳内補完が追いつかず、混乱するが)。

 ところがこの映画は、CGによって、人間でも猫でもない、いままで観たことのない、完璧な「猫人間」をつくりだしている。こうなると、「脳内補完」の出番がない。この時点で演劇的な楽しみ方は否定される。
【次回、後編につづく】
<敬称略>

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