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2020.04.06 (Mon)

第278回 余分なきマスクの余聞

マスク
▲昭和初期、マスクは「黒」が当たり前だった。


 1935(昭和10)年の映画『乙女ごころ三人娘』(PCL映画製作所)は、名匠・成瀬巳喜男監督による初トーキー作品。浅草を舞台にした、流し芸人三姉妹の物語である。原作は川端康成の『浅草の姉妹』。音楽監督は、のちに占領軍専用ホール「アーニーパイル劇場」の楽団長をつとめる紙 恭輔(1902~1981)である(この楽団から、岩井直溥や河辺公一が巣立ち、戦後の吹奏楽全盛時代を築くのだ)。
 この映画に、しばしば、芝居小屋や、音楽小屋(いまでいうライブハウス)の場面が登場するが、なかに「マスク」を着用している観客がチラホラといる。
 そういえば、ほぼ同時期の、おなじ浅草を舞台にした映画『浅草の灯』(島津保次郎監督、松竹、1937年)にも、マスク姿の観客が映っていたような記憶がある(浅草オペレッタのバックステージもので、映画デビューの杉村春子がカルメンを歌い踊っている)。

 日本で、マスクは、炭鉱や建築現場労働者の防塵具として、明治初期から使用され始めたという。それが風邪の予防具として注目を浴びたのは、1918~20(大正7~9)年のスペイン風邪だった。世界中で5000万人、日本でも約40万人の命を奪った(諸説ある)、インフルエンザのパンデミックだ。日本銀行や東京駅丸の内駅舎で知られる建築家・辰野金吾や、劇作家・島村抱月などが、この風邪で亡くなっている。その後、1923(大正12)年に発売された「壽マスク」が商標登録品第1号となって、さらに一般市民にも知られるようになった。

 そんなマスクが、日本人の生活に完全に定着したのが、1934(昭和9)年のインフルエンザ大流行だった(この年、ウイルスが分離=発見された)。
 ということは、上記の映画には、日本人が当たり前のようにマスクを着用し始めた、その最初期の姿が記録されていたのである。

 ところが、ちょっと驚くのは、映画の中のマスクが、みんな「黒」であることだ。ただでさえ、もう古いフィルムで、鮮明とはいえないモノクロ画面のなかに、着物にベレー帽&黒マスク姿の男が登場すると、一瞬、異様な光景に見える。
 最近でこそ、黒マスクは珍しくないが、わたしが子供のころ、マスクは「白」以外、なかった。いや、つい数年前まで、マスクといえば「白」が当たり前だったのではないか。
 ところが、これらの映画を見ると、昭和初期の日本では、「黒マスク」が当たり前だったようなのだ。
 上述のように、日本におけるマスクは、当初は労働現場の防塵具だったので、汚れが目立たないように、黒が当たり前だった。やがて医療用に、漂白されたガーゼなどが使用されるようになり、白にかわっていったという。

 欧米では予防具としてマスクを着用する習慣はなかったが、さすがに今回のコロナ禍で、どこの国でもマスクは当たり前になったようだ。
 海外でMask/Masquesといえば、「仮面/仮面劇」の意味合いが強かった。
 ヴェルレーヌの詩集『艶(えん)なる宴』(1869年刊行)は、多くの作曲家に刺激を与えた。特にドビュッシーが熱狂的なファンで、歌曲集にしているほか、ピアノ曲にもしている。有名な〈月の光〉をふくむ《ベルガマスク組曲》は、この詩集をヒントに生まれている。
 このなかの「月の光」に、こんな一節がある。

「そなたの心はけざやかな景色のようだ、そこに
 見慣れぬ仮面(マスク)して仮装舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人々行くが
 彼らの心とてさして陽気ではないらしい。」

                (堀口大學訳/新潮文庫『ヴェルレーヌ詩集』より)

 上記の「仮装舞踏」はかなりの略訳で、原詩では「bergamasques」(ベルガマスク)という。正確に訳せば、「ベルガモ風の仮面劇」となる。
 イタリア北部のベルガモは、むかしは「野暮で不器用な土地柄」として、からかいの対象になっていたらしい。よって、そこで演じられる劇や踊り(むかしの芝居は「仮面劇」が大半だった)=ベルガマスクは、「田舎踊り」の代名詞だった。おそらくいまでいうと、埼玉のことを「ダサイタマ」とからかうのに、似ているかもしれない。
 「ベルガマスク」はかなりむかしから有名だったようで、かのシェイクスピアの『夏の夜の夢』(1595年頃初演)に、すでに出てくる。クライマックス(第5幕第1場)での、職人たちによるドタバタ劇中劇の最期で、機屋のボトム(ライオン役)が、アテネ公シーシアスに向かって、こう言う。
「ところで、幕切れの口上をご覧になりますか、それとも一座の二人組のバーゴマスク踊りをお耳に入れましょうか?」(松岡和子訳/ちくま文庫)
 
 この松岡訳は、「バーゴマスク踊り」に注釈が付いていて、
 「Bergomask イタリア北部のベルガモの人々は野卑で田舎臭いと思われていたらしい。その名を冠した道化踊り」
 とある(新潮文庫版の福田恒存などは「バーゴマスクの馬鹿踊り」と訳している)。
 そして、アテネ公が「では、そのバーゴマスクをやってくれ」と所望し、2人の道化が珍妙な踊りを繰り広げる。

 この踊りが、曲になっている。メンデルスゾーンの劇付随音楽《夏の夜の夢》のなかの、有名な第11曲〈道化師の踊り〉である。この曲に、時折〈ベルガモ風道化踊り〉〈ベルガマスク舞曲〉などの邦題があるのは、上述のような背景があったのである。
(この項、つづく)
<敬称略>

【参考資料】一般社団法人 日本衛生材料工業連合会HPほか

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