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2021.01.13 (Wed)

第294回 のた打ち回る《大フーガ》

大フーガ
▲毎年、大晦日に開催されている。

 ベートーヴェンは、最後の交響曲が第9番なので、なんとなく、あの《第九》が死の直前の作品のように思われがちだ。だが《第九》の初演は1824年5月で(53歳)、彼が56歳で亡くなったのは1827年3月。つまり《第九》後、3年近く生きたのである(しかもスケッチらしきものがあるだけだが、交響曲第10番も視野に入っていた)。
 ピアノ・ソナタはもっと前に“打ち止め”していて、最後の第32番は1822年(51歳)の作曲である。(ただし、翌年に《ディアベッリ変奏曲》を書いている)。大作《ミサ・ソレムニス》が完成したのも同年だ。

 では、これらウルトラ級の名作を書き上げたあと、ベートーヴェンは、何をやっていたのか。たしかに体調はボロボロだったし、耳も聴こえなくなっていた。だが、決して寝たきりだったわけではない。
 彼は、人生最後の3年間を、弦楽四重奏曲に打ち込んだのである。
 弦楽四重奏曲は、1811年の第11番《セリオーソ》Op.95以後、書いていないので、《第九》初演の時点で、すでに14年間の空白があった。おそらく周囲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲も“打ち止め”になったものと思っていたのではないか。
 ところが、ここから彼は、怒涛の勢いで5曲+αの弦楽四重奏曲を書きあげるのである。

1825年(54歳)1月/第12番Op.127 完成。
           7月/第15番Op.132 完成。
           12月/第13番Op.130(第6楽章=大フーガ) 完成。
1826年(55歳)8月/第14番Op.131 完成。
           (甥カールの拳銃自殺未遂)
           10月/第16番Op.135 完成。
           11月/第13番の第6楽章〈アレグロ〉を新規作曲。
           (12月頃から、さらに体調悪化)
1827年(56歳)3月26日/逝去。
【注】作曲順と番号順(出版順)は一致していない。

 どれも人類の宝ともいうべき名曲なのだが、第13番は、初演時、物議を醸した。第1~5楽章までは、美しく深遠な音楽が展開する。特に第5楽章〈カヴァティーナ〉は、抜粋アンコールされたほどだった。ところが、最終第6楽章《大フーガ》になると、突然、これだけがあまりに長く、難解で、重苦しく、全体のバランスを著しく崩しているように聴こえた。評判もよくなかった。
 楽譜出版者アリタリアは、「これでは楽譜が売れない」と頭を抱えてしまい、改稿を申し入れる。すると頑固なベートーヴェンにしては珍しく、その意向を聞き入れ、翌年、新たな、わかりやすく美しい、しかし、いかにもベートーヴェンらしい、新・第6楽章〈アレグロ〉を書き上げ、差し換えるのである。《大フーガ》は、独立した弦楽四重奏曲Op.133となった。
 いったいなぜ、ベートーヴェンは、このような音楽を書いたのだろうか。

 現在、第13番の演奏は、下記のような、いくつかのパターンがある。

【A】第6楽章は改稿版〈アレグロ〉を演奏。《大フーガ》は別の独立曲として演奏する。
【B】第5楽章のあと、《大フーガ》を演奏。つづけて第6楽章の改稿版〈アレグロ〉を演奏する。
【C】ベートーヴェンの初演時の構想通り、第6楽章は《大フーガ》を演奏し、改稿版〈アレグロ〉はなかったものとして演奏しない。

 わたしは、あまり弦楽四重奏のコンサートには行かないので、この第13番を実演で聴いたことは数回しかないのだが、すべて【A】タイプだった。【B】タイプは、アルバン・ベルク四重奏団などの録音で有名になったものだが、【C】タイプには、触れたことがなかった。
 それが、昨年の大晦日、毎年恒例の「ベートーヴェン 弦楽四重奏曲【8曲】演奏会」で、ついに、この【C】タイプの実演に出会ったのだ。しかもそれが空前絶後の名演だったので、すっかり、第13番や《大フーガ》の印象が、変わってしまった。

 この演奏会では、毎年、主に中期~後期の弦楽四重奏曲を、古典四重奏団、クァルテット・エクセルシオ、ストリング・クヮルテットARCOの3団体が、2~3曲ずつ演奏する。14時開演で、終演は21時半ころになる。そして、問題の第13番を、今年は、古典四重奏団が、いつもの彼らのスタイル通り、【C】タイプで演奏した。
 古典四重奏団は、すべての曲を「暗譜」で演奏する。そのせいか、曲前や楽章間の“調整”に、かなり時間をかける。
 この日の第13番も同様で、第5楽章開始までは、楽章間で長々と調整をしていた。しかし、第5楽章の美しいカヴァティーナが終わって、いよいよ《大フーガ》に入る時だけは、ほとんどアタッカ(切れ目なし)でつなげたのである。
 《大フーガ》がはじまるとき、ほとんどの聴き手は、これから襲い来る重厚な時間に立ち向かうべく、心のなかで準備するはずだ。ところが彼らは、一瞬アイ・コンタクトを交わすや、息継ぐ間もなく《大フーガ》をはじめたのだ。聴き手に、身構える時間を与えなかった。その強烈な演奏は明らかに「いままでの響きはもうやめよう」と、それまでの音楽を否定する「宣言」だった。
 
 それで思い出されるのが、《第九》の第4楽章である。《第九》では、はっきりと歌詞で「おお友よ、このような旋律ではなく、もっと心地よい歌を」と「宣言」する、あれに、どこか似たものを感じた。
 だが、《第九》と《大フーガ》では、同じ「宣言」でも、意味合いがちがう。
 ベートーヴェンは、一度は《第九》で、人間社会に期待を寄せた。しかし、やはりそれは、あまりに理想に過ぎた……と、考えが変わったような気がする。全聾となり、全身が“病気のデパート”と化す一方だったから、精神的に弱っていたかもしれない(しかしそれにしては《大フーガ》は、力強さにあふれた音楽だ)。甥カールの素行にも、悩まされていた。

 さらに、《大フーガ》を書いているころ、ロシアでは「デカプリストの乱」が発生していた。貴族将校たちが、皇帝専横に反旗を翻し、農奴解放を目指したが、あえなく鎮圧されている。理想社会を期待し、革命に憧れていたベートーヴェンは、きっと、がっかりしたことだろう。いくら《第九》のような理想を謳っても、現実はどうにもならない、もはや、その冷たさを音楽にするしかない……そんな思いが《大フーガ》として結実したのではないだろうか。

 実は、《大フーガ》について、上記のような“情緒的”な見方は、いまでは、あまり流行らないようだ。
 たとえば、経済学者で音楽評論家、井上和雄の著書『ベートーヴェン 闘いの軌跡/弦楽四重奏が語るその生涯』(音楽之友社)では、
「ベートーヴェンよ怒れ! お前は運命によってボロボロにされたではないか、どうしてこれを耐え忍ばねばならないのか! こんな馬鹿な話があってよいのか」
「怒りと力を歌い切ることこそ、彼の生命なのだ。『大フーガ』はその壮絶な記念碑なのだ」
 と、作曲者以上にのたうち回っている。この本が上梓されたのは1988年。30年以上前の文章である。

 これに対し、2015年刊行、中村孝義(現・大阪音楽大学理事長)の『ベートーヴェン 器楽・室内楽の小宇宙』(春秋社)では、
「その綿密に考え抜かれた構成には、ベートーヴェンがこれまで培ってきた様々な作曲技法が渾然一体と集約されているのである」
「崇高な情感と圧倒的なエネルギー感が見事に融和した精神世界は、まるで大伽藍を仰ぎ見るような壮大さを感じさせずにはおかない。まさにベートーヴェン畢生の傑作の一つである」
 と、たいへん冷静に書かれている。

 上記2つは、熱心なファンと、音楽学者によるちがいはあるが、時代の差も感じさせる。わたしは、前者のような“熱い”感慨を、すっかり忘れていた。
 だが、古典四重奏団による“初演版”を目の前で聴いて、見て、やはり、ベートーヴェンはのたうち回っているのだと、あらためて思った。あまり冷静に聴けなかった。
 昨年の春先から今日まで、日本が、どういう状況だったか。混迷し、後手にまわりつづける感染症対策や、平然と五輪開催を口にする連中を見ていると、もう理想を求めても、どうしようもないような気がする。ベートーヴェンは、人生の最後に、《大フーガ》で似たようなことを言いたかったのではないだろうか。
<敬称略>

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