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2021.01.22 (Fri)

第296回 ありがとう、山下国俊さん

ニイガタ
▲おそらくこれが、唯一の、「山下国俊・指揮」による商業CD『ウインズ・フォー・ニイガタ』

 編曲家の山下国俊さんが亡くなった。
 所属する音楽出版社「ミュージックエイト」社(以後「M8社」)のサイトによれば、昨年12月31日に、胃がんのため逝去されたという。享年76。
 おそらく、吹奏楽に携わっていて、「山下国俊編曲」と記された楽譜を演奏したことのないひとは、少ないのではないか。
 ご本人は謙虚な方で、めったに表に出なかった。しかも、キャリアが長く、むかしからいまに至るまで、常に名前を見るので「実在する人物なのか」「複数アレンジャーの合体ペンネームでは」なんて、都市伝説まがいの冗談まで飛び交っていた。

 M8社は、1963年創業、吹奏楽の楽譜を中心とする音楽出版社の老舗である。
 青森の八戸高校でトランペットを吹いていた山下国俊さんは、1960年に上京、働きながら音楽を勉強するため、当時二部のあった国立音楽大学へ進む(最終的に中退したらしい)。
 在学中に、M8創業者の助安由吉氏(元・陸上自衛隊東部方面音楽隊員)と知り合い、同社の吹奏楽アレンジを担当するようになる。
 当初、M8社の編曲譜は、演奏の難度が高く、なかなか学校吹奏楽部の現場で受け入れられなかったという。そこで助安氏は、ある時期から、徹底的に易しいアレンジに方向転換する。その姿勢を、助安氏は、こう綴っている。
「練習時間をあまりとれないバンドでも、個人練習を繰り返さなくても、あるいは音楽の才能がまるでなくても、少し練習を重ねれば合奏できる楽譜を提供する。より多くの子どもたちに、ハモるという感動の一瞬を体験してもらいたい」(「ミュージックエイト創業50周年を迎えて」より)

 だが、山下さんは、当初、この考え方に同意できなかったようだ。
「最初は他のアレンジャーと同様『編曲者のプライドはどうなるんだ』と私の意見を聞き入れなかった彼(山下さん)が、ようやく私の考えを理解し、易しいアレンジをしてくれるようになったときから、楽譜の売り上げが急速に伸び始めました。私の思いに間違いはなかったと、少し安心いたしました」(前同)
 こうして、M8社は、楽しくて適度なグレードの編曲譜を、続々と発売するようになる。クラシック、マーチ、映画音楽、歌謡曲、ロック、ポップス、ジャズ、演歌、アニメ、民謡、なつメロ……そこに「メロディ」があるかぎり、同社は、速攻でスコア化してきた。
 いまでは多くのアレンジャーを抱える同社だが、その端緒は、山下さんが切り開いたのである。

 わたしも、数え切れないほどの“山下アレンジ”を演奏してきた。
 特に、学生時代に演奏した《鬼警部アイアンサイド》のテーマは忘れられない。冒頭、原曲におけるパトカーのサイレン音をクラリネットの超高音で吹くのだが、擬音効果のようなカッコいい響きで、実に気持ちよかった。
 たしか、映画《大いなる西部》のテーマも山下アレンジだったと思う。こちらは、長い前奏で、木管群が、えんえんと16分音符のオブリガートのような音型を吹かねばならず、まったくブレス(息継ぎ)の場所がないので死にそうになった(原曲はヴァイオリン)。
 たぶん、山下アレンジでもっとも売れ、いまでも演奏されているのは、《ルパン三世》のテーマではないだろうか。

 わたしが山下さんと初めて会話したのは、30年近く前のことになる。
 当時、わたしは、ある高校吹奏楽部の音楽監督のようなことをしていた。文化祭ともなれば、当然、M8社の楽譜にお世話になる。
 ある年、曲は忘れてしまったが、トランペットの生徒が、山下アレンジのパート譜を持ってきて「この音、印刷ミスじゃないでしょうか」と言ってきた。シャープが付いており、合奏してみると確かに不協和音である。だが、いかにもジャズっぽい、しゃれた響きだったので、「これでいいんだよ」とすませていた。
 だが、その後、どうも気になったので、M8社に(当時、定着し始めたばかりのEメールで)問い合わせてみた。
 すると、翌日、わたしのケータイに、山下さんご本人が電話をかけてきてくれた。
「お訊ねいただき、ありがとうございます。その生徒さんの耳は、かなり鋭いです。実はこの部分は、わざと不協和音になってるんです。印刷ミスではありません。ただ、正確なピッチで吹かないと、汚い音に聴こえてしまう微妙な和音なんです。ぜひ、ピッチの練習だと思って、このまま演奏してください」
 実にていねいな口調で、和音の名称(ナントカメジャーセブンス?)もあげて、細かく説明してくれた。東北弁の響きが感じられたのを覚えている。
 このとき、M8社や、山下さんのことが、よくわかったような気がした。

 その後、わたしは、M8社のCDや、関連コンサートなどで、音楽ライターとして仕事をさせていただくようになった。
 当然ながら、山下さんともお会いすることになる。
 大柄でジーンズ姿、白髪に、白い口髭、登山帽を被り、おだやかな東北弁の語り口……好々爺そのものだった(いまから思うと、あれでまだ50歳代だったのだ)。
 三軒茶屋近くにあるM8社にうかがうと、昼どき、よく将棋を指しておられた。
 M8スコアを、齊藤一郎指揮/東京佼成ウインドオーケストラが演奏するCD『M8スタイル』全3巻が発売になったときは「うちの楽譜が佼成さんの演奏でCDになるなんて、ありがたいもんだねぇ」と、半ば照れたような笑みを浮かべていた。

 2005年4月、M8社が、前年10月の新潟中越地震で被災した学校吹奏楽部を支援するためのプロジェクト「Winds for Niigata」を立ち上げ、わたしもお手伝いをすることになった。
 その一つが、M8スコアによる少人数吹奏楽曲集のCD制作だった。演奏は、シエナ・ウインド・オーケストラのメンバーを中心とする臨時編成アンサンブル。指揮を、山下国俊さん自身がつとめた。
 山下さんは、レコーディング初日、
「このCDは、子供たちが聴いて参考にするものなので、テンポを正確にお願いいたします」
 と言って、譜面台に小型の電子メトロノームを置き、テンポを「ピー、ピー、ピー」と音出しし、それに合わせて指揮棒を振りはじめていた。端正で正確な指揮だった。
 2日間のレコーディング終了後、居酒屋で簡単な打ち上げがあった。演奏者の多くが、「山下さんを初めて見ました」「子どもの時から楽譜でしか知らなかった方と共演できるなんて」と、感激していた。
 最後に山下さんが挨拶した。ひとしきり、スタッフや演奏者に対する感謝と労いの言葉を述べてくれたあと、こんな話でしめくくった。
「よく“一期一会”といいますね。今回の、みなさんとの出会いも、まさに一期一会だと思います。おそらく、もうお会いすることは、ないでしょう。でも、人間の一生は、一期一会の繰り返しです。そのことを忘れずに、これからもいい演奏をしてください」
 おそらくこれが、山下さんが指揮した唯一の商業CDではないかと思う。

 山下国俊さん、たくさんの、楽しい楽譜を、ありがとうございました。
 こんなコロナ禍の非常時に逝かれること、心残りも多かったことでしょう。
 ゆっくり、お休みください。
〈一部敬称略〉

※このコラムを、コミュニティFMで番組化しました。
 ネットでどこでも聴けます。

■BPラジオ:吹奏楽の世界へようこそ
第163回 追悼 ありがとう、山下国俊さん
2月6日(土)23:00/FMカオン 【再放送】2月20日(土)23:00
2月7日(日)正午/調布FM 【再放送】2月21日(日)正午
聴き方などは、こちらで。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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