2021.01.26 (Tue)
第297回 柳の下のガイドブックたち(1)

▲(左)『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(文響社)
(右)『1日1ページでわかるクラシック音楽の魅力 366日の西洋音楽』(三才ブックス)
仕事柄、本や音楽のガイドブックにはよく目を通す。最近気になったガイドブックに関するあれこれを、何回かにわたって綴る。
近年、もっとも売れたのは、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダーほか著、小林朋則訳/文響社)だろう。原著シリーズは累計100万部、邦訳シリーズも累計60万部を突破しているらしい。
これは、月曜日から順に、各曜日ごと「歴史」「文学」「視覚芸術」「科学」「音楽」「哲学」「宗教」の7分野を、1項目1ぺージに割り振って構成された、「教養」というよりは「雑学」コラム集である。
ジャンルごとに書き手がちがうせいか、統一性はあまりなくて、たとえば「文学」などは、突然、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)からはじまるので驚く。2週目がヘミングウェイ。シェイクスピアは37週目に登場し、47週目には彼の「ソネット18番」だけが独立して解説されるなど、かなり書き手の嗜好が反映されている。ちなみに、最終第52週が、ジョン・キーツの『ギリシアの壺に寄す頌歌』(1819年)なのも、なんともいえない構成だ。
その点、金曜日の「音楽」は、きれいに年代順で構成されており、1週目が「音楽の基礎」、2週目が「旋律」、3週目が「和声」と、キチンとした「音楽史解説」になっている。よって、ストラヴィンスキーが48週目、最終第52週は「20世紀音楽」(ヴァレーズ、ケージ、ライヒなど)で終わっている。
バッハは第12週に登場するので、全52週のうち、最初の約4分の1はバッハ以前にあてられていることになり、これも通史としては、適度なバランスだと思う。
ところが、この「音楽」は、見た目こそきれいに並んでいるのだが、内容は一筋縄ではいかない。
たとえば、チャイコフスキー。
「とにかく派手で、やたらにセンチメンタルだが、形式をほとんど理解していない三文作曲家だという意見もあれば、心の中の思いをそのまま曲で表現し、自分の直感に従うだけの勇気を持った民族主義者だという声もある」
リストは「ピアノのパガニーニ」を目指して2年間、自宅にこもって猛練習を積み、
「ついにリストが目標を達成して演奏を始めると、彼が生まれつき芝居気の多いことが明らかになった。演奏の最後にしばしばヒステリーの発作を装い、それによって自分は音楽にすっかりのめり込んで我を忘れているのだという印象を強めようとした。このリストの作戦は女性に効いた」
マーラーは、「聴衆をあっと言わせるため演奏中に安っぽい仕掛けを使う点も批判された」、そればかりか彼は、
「指揮者としてはじめてスーパースターになった人物のひとりで、彼は人気を利用して、オーケストラの指揮者に名誉と敬意を捧げる習慣を確立させた」
各ページの下段には「豆知識」と題する小文コーナーがあって、たとえば、モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の場合は、
「ダ・ポンテは『ドン・ジョヴァンニ』の台本を書いている最中、後援者の家の一室に缶詰めになった。隣の部屋には、テーブルの上に常に食事とワインが用意してあり、さらにその隣の部屋には娼婦が待機していて、気分転換が必要なときにベルを鳴らして来てもらっていた」
かように、本書の「音楽」は、視点がシニカルというか皮肉たっぷりで、その突き放したような筆致に、時折含み笑いを禁じ得ない。執筆はロビー・ウィーラン、監修がメリッサ・コックス(博士)とある。どういうひとたちなのか、わたしはまったく知らないのだが、どうやら本書が売れる理由のひとつは、広範なジャンルをコンパクトにまとめた点のほかに、こういう独特な筆致にもあるのかもしれない。
ところで、最近、本書にあまりにそっくりすぎるガイドブックが出た。
『366日の西洋音楽 1日1ページでわかるクラシック音楽の魅力』(久保田慶一監修/三才ブックス) である。
こちらは楽曲を、「音楽史」「主題」「ジャンル」「逸話」「作曲・演奏」「周辺」「謎」の7ジャンルのどれかに分類し、やはり、1日1ページで解説するものだが、色刷りになっている点を除けば、判型や本文構成、下段の豆知識など、『世界の教養365』そのままではないかと言いたくなるほどのそっくりぶりである。
ところがこの本には、誤記や、あいまいな表記が多い。
たとえば、ショスタコーヴィチのオペラ《カテリーナ・イズマイロヴァ》は、《カテリーナ・イズマイヴァ》となっている。おそらく、Wikipediaの、原典《ムツェンスク郡のマクベス夫人》内の誤記(1月26日現在)を、そのままコピペか転記したものと思われる。
また、ハイドンの《神よ、皇帝フランツを守りたまえ》(ドイツ国歌)が取り上げられているのはいいのだが、この旋律が、有名な弦楽四重奏曲第77(62)番ハ長調《皇帝》の第2楽章に使用されていることには、ひとことも触れられていない。《皇帝》の項では、《神よ》が原曲であると書かれているのだが……(かつて、中学の音楽の教科書にも載っていた)。
ヘンデルのオラトリオ《イェフタ》が、本文で「オペラではなく、オラトリオ」とはっきり断っているのに、項目名で大きく「オペラ『イェフタ』」となっているのも統一性がないように感じた。
ほかにも誤記やあいまいな表記は多く、監修者のチェックや校閲が十分でなかったのかもしれない。それでも、『世界の教養365』が、「音楽」以外のジャンルも網羅しているのに対し、こちらは366項目すべてが「楽曲」である。よくこれだけの曲を集めて、(半ば強引でもあるが)7ジャンルに分類したものだと思う。そのなかにはオルフの歌劇《犠牲》や、エネスクの(存在しない)ピアノ・ソナタ第2番といった凝った曲があるかと思えば、フォスター《おおスザンナ》や、バダジェフスカ《乙女の祈り》などもちゃんと入っており、誤記さえなければ、小中学校の音楽の副読本としても十分通用したのではないか。
【この項、つづく】
※本稿で参照した『世界の教養365』は2020年3月刊の第19刷、『366日の西洋音楽』は2020年11月刊の初版です。
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