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2021.01.29 (Fri)

第298回 柳の下のガイドブックたち(2)

100語写真
▲『100語でわかるクラシック音楽』(ティエリー・ジュフロタン著、岡田朋子訳/文庫クセジュ、白水社)


 前回とりあげた、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダーほか著、小林朋則訳/文響社)の「音楽」欄について、「視点がシニカルというか皮肉たっぷりで、その突き放したような筆致に、時折含み笑いを禁じ得ない」と述べた。
 ああいうタッチを、「エスプリ」(軽妙洒脱)と呼ぶのかもしれない。「esprit」と、特にフランス語で流布しているところを見ると、フランス人お得意の分野なのだろう。
 そこで――「フランス」の、「エスプリ」ある「ガイドブック」といえば、やはり、〈文庫クセジュ〉だろう。

 原著は、戦時中にPUF(フランス大学出版局)によってスタートしたコンパクトな教養入門書で、いわば”フランス版岩波新書”である。シリーズ名〈クセジュ〉は、モンテーニュが『エセー』で述べた「Que sais-je?」 (私は何を知っているというのか?)から来ている(カバーにデザインされている)。
 邦訳版は、1951(昭和26)年より白水社から刊行されはじめた。2021年1月の新刊『ジュネ―ヴ史』(アルフレッド・デュフール著、大川四郎訳)で、通し番号が「Q1041」となっているので、もう1,000点を突破しているようだ(ただし目録上は、欠番=絶版や品切れが多い)。原著のほうは2018年の時点で4,000点を突破しているという。

 このシリーズに、音楽や美術など、芸術の解説書やガイドブックがある。初期のものは、吉田秀和や串田孫一といったひとたちが翻訳しており、たいへん「まじめ」な内容が多いのだが、近年、それこそ「エスプリ」たっぷりというか、ユーモアのあるものが増えている。
 それが「100語でわかる」シリーズで、『100語でわかるガストロノミ』にはじまり、『100語でわかるセクシュアリティ』『100語でわかるマルクス主義』『100語でわかるBOBO(ブルジョワ・ボヘミアン)』など、現在10点ほど刊行されているようだ(「BOBO」なんて語、これで初めて知った)。
 どれも一種の用語解説集で、『悪魔の辞典』ほどではないが、どこかユーモアがあり、単なる雑学コラム集から、少しばかりはみ出しているところが特徴だ。

 そのなかに、『100語でわかるクラシック音楽』(ティエリー・ジュフロタン著、岡田朋子訳/原著2011年、邦訳2015年初刊)がある。
 用語は、邦訳の五十音順に並んでいて、たとえば「ア」行の〈アンコール〉は、
「アンコール(仏語で「ビス」)は、コンサートのプログラムを終えた後で、演奏家が聴衆の暖かい拍手に感謝する意味で演奏する作品のことである」
 とはじまるので、当たり前の解説じゃないかと思って読んでいると、
「ダニエル・バレンボイムは、七歳で初めて公開演奏を行なったとき、なんと七曲ものアンコールを演奏した。これは当時の彼が、ピアノリサイタルで演奏できる曲のすべてだったという」
 たしか、以前に来日した時も、彼は、それくらい大量のアンコールを演奏したと聞いたことがあるが、子どもの時からそうだったのだ。そして、
「最も長いアンコールは、ピアニストのルドルフ・ゼルキンが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ゴールドベルグ変奏曲』(一七四〇年)全曲を演奏したという例であろう。これだけでなんと一時間かかる」
 そのほか、1792年、チマローザのオペラ《奥様女中》初演では、皇帝がアンコールを所望したので、もう一度、全曲が上演されたのだという(ただしミニ・オペラなので上演時間は45分)。
 こういったエピソードが坦々と、やはり、突き放したような筆致で綴られる。

 〈オペラ〉の項。1607年に、トスカーナ地方のある人物が出した手紙に、
「明日の夜、大公閣下は、すべての俳優が音楽で台詞を朗読するという、奇妙なコメディを上演されます」
 と書かれていた。モンテヴェルディの音楽朗読劇《オルフェオ》のことで、結果として、これがオペラ第1号となった。

 〈音楽批評(評論)〉なる項もある。著者は、
「時間がたって後世がすでに判断を下したことについて、当時の批評を読むのは面白い」
 と、少々意地悪なことを述べる。
「たとえば、バッハと同時代に生きたヨハン・アドルフ・シャイベは、バッハについて次のように断言している。『この大人物は、もっと楽しい音楽を書いて、(略)大仰な芸術で音楽の美しさを陰気なものにしないのであれば、我が国全体の賞賛を浴びていただろうに。』」
 
 フランスの本だけに、フランス贔屓の例が多いのは、やむを得ない。
 〈傑作〉の項。
「ベートーヴェンの『第九交響曲』(一八二四年)やバッハの『マタイ受難曲』(一七二七年)、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』(一九〇二年)が傑作であるのは、誰もが認めるところだ。この三作品に共通するのは、音楽の記念碑的大作ということである」
 たしかに《ペレアス》は傑作だが、《第九》《マタイ》と並べて、「三作品」と呼ぶのは・・・・・・。
 ほかに、〈鳥〉〈盲目〉といった項もあり、クラシック音楽ファンなら何が書かれているか、ピンとくるだろう。〈ビニウー〉なる珍しい項もある(わたしはこんな語、初めて知った)。
 どの解説も、ユーモア・タッチと紙一重だ。実は著者もわかっていて、ニヤツキながら原稿を書いているような気がする。あるいは、著者はひたすらまじめに書いているのだが、翻訳者が、眼光紙背に徹して「エスプリ」を嗅ぎ出しているのかもしれない。

 訳者の岡田朋子さんは、パリ在住の音楽ライター。ソルボンヌ大学で音楽博士号を取得した碩学だが、出版界では、日本マンガの仏語訳者「岡田Victria朋子」さんとしてのほうが有名かもしれない。手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝、水木しげるなどの仏語訳は、多くが彼女の仕事である。フランスが”日本マンガ大国”となった、その一端を担ってきたのだ。辰巳ヨシヒロ(1935~2015)の晩年の名作『劇画漂流』が、フランスのアングレーム国際漫画祭で特別賞を受賞して話題となったが、これも彼女の仏語訳である。
 こういう幅の広い翻訳者あってこそ、〈文庫クセジュ〉の「エスプリ」は日本語で伝わるのだろう。そのほか同シリーズでは『オーケストラ』『弦楽四重奏』『西洋音楽史年表』などもお薦めだ。

 なお、今回は「フランス」のユーモアをご紹介したが、ドイツ・オーストリア圏にも面白いガイドブックがあるので、次回はそれを。
【この項つづく】
〈一部敬称略〉


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