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2016.02.09 (Tue)

第149回 ひのまどか『モーツァルト』復刊

モーツァルト

 すごい本が、文庫で復刊した。
 ひのまどか著『モーツァルト 作曲家の物語』(新潮文庫)である。

 親本は平成2年、リブリオ出版刊。
 「作曲家の物語」シリーズ全20巻中の1巻だった。
 音楽作家の著者ひのまどか氏は、全20巻中、19巻を一人で執筆した。
 すべて現地に足を運び、遺族や関係者を取材して書かれている。
 児童福祉文化賞を2度受賞した、名作シリーズだ。
 だが、近年、版元が出版業から撤退したため、入手困難な状況がつづいていた。

 本書はジュニア向け、主として中高生を対象にした本である。
 その、どこが「すごい」のか。

 実は本書は、伝記本の姿を借りた、人生サバイバル教科書なのである。
 音楽家に理解の薄い18世紀ヨーロッパ社会の荒波の中を、モーツァルトがいかにして生き抜いたかが、執拗なまでに描かれるのだ。
 
 モーツァルト一家は、いまでいう「ワーキング・プア」だった。
 息子には才能もあり、父親には目標や野望もあるのだが、とにかく安定した「職場」がない。
 借金を重ねながら、仕事のありそうな土地を、旅から旅へと渡り歩く。
 子供が大人顔負けの手腕でクラヴィーアを弾く、それが面白くて一時的に受けるのだが、結局は「芸人」扱い、たいていは、その場限りだ。
 いいようにあしらわれ、まるで猿回しだ。
 狂言の『靭猿』[うつぼざる]じゃあるまいし。

 カネがないから、安宿か、一時的なスポンサー貴族の家に泊めてもらうしかない。
 その姿は「ネットカフェ難民」そのものだ。

 やがて不健康な旅に病んで、付添いの母親は、パリの屋根裏部屋で客死する。
 ホームレスが真冬の公園で衰弱死する姿を思わせる。
 新田次郎『八甲田山死の彷徨』を読んでいるようである。
 
 もちろんモーツァルトの伝記には、上記のようなエピソードは、必ず書かれている。
 だから、さほど新鮮味はない。
 だが本書の「すごい」ところは、内容をそれだけに絞って、中高生向けの啓蒙書でやってしまったことだ。

 名曲の数々がいかにして生まれたか、なんてきらびやかなエピソードは、ほとんど出てこない。
 音楽的な解説も、ほぼ皆無だ。
 譜例は1小節もないし、モーツァルトの年譜も、登場曲の索引も、ない。
 ただひたすら、「今夜はどこに泊まるか」「明日の稼ぎをどうするか」「定収の得られる職場はないか」の3点を追い続ける一家の姿が描かれるのだ。
 そこには、私たちが通常思い描く、華やかで美しい音楽界のイメージは、一切ない。

 そして、読後、以下のような教訓を覚えるはずだ。

①人生は、コネ(人脈)が重要である。
 父レオポルトは、貪欲なまでに、貴族の推薦状や紹介状を集める。
 それを山ほど抱えて、次の町へ旅して、仕事や宿を得るのである。
 知人から、またその知人へ。
 恥も外聞もない。 

②人生は、上司次第で変転する。
 一家は、いわばザルツブルク専属の公務員だった。
 だからほかの土地へ行くには、大司教(殿様)の許可が必要だった。
 最初のシュラッテンバッハ大司教は寛容で、一家の旅を認めてくれたが、次のコロレド大司教は理解がなく、たちまち一家は苦境に陥る。

③人生は、才能だけではどうにもならない面がある。
 どこの土地でもモーツァルトは歓迎されるが、それは「小さな子供がクラヴィーアを弾いたり作曲したりする」のが珍しかったからだ。
 子供時代の美空ひばりと同じである。
 当時のオペラや楽曲などは、使い捨ての一過性の娯楽にすぎない。
 彼の音楽的才能など、当時は、誰も認めていなかった。

 ……とまあ、身もふたもない読後感に思えるかもしれないが、それでも、中学高校の、合唱部や吹奏楽部の先生は、ぜひ、本書を生徒に読ませてほしい。
 もちろん、これから社会に出る大学生、あるいは、若い社会人の方々にも読んでほしい。

 ここに描かれているのは、現在の日本である。
 あなたたちを待っている社会とは、これとほとんど同じだと思った方がいい。
 最終章では、現地取材ルポとなり、国際モーツァルテウム財団の事務局長や、ソプラノ歌手イレアナ・コトルバシュのインタビューが登場する。
 彼らの話もなかなか深い内容で、つづけて本文ラスト5行で、現代社会の宿命がそのまま描かれる。
 この5行も、すごい。
 18世紀ヨーロッパと、21世紀の日本の、どこがちがうというのか。 
 読後、モーツァルトの音楽を聴こうと思うよりも、明日からも何とか生き抜いてやるぞとの、野性的なエネルギーが湧いてくるはずだ。
 それでいいと思う。
 音楽は、いつでも聴ける。
 だが、人生は、一度きりだ。
 そんなことを教えてくれるから、本書は「すごい」本なのである。

【★★★】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


◆本書は、バンドパワー・ショップでも発売中です。

このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「追悼、ブーレーズ」と、「吹奏楽で聴く、BP芸能ワイドショー!」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
 

 
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