2021.04.08 (Thu)
第308回 映画評『ブータン 山の教室』

▲映画『ブータン 山の教室』(パオ・チョニン・ドルジ監督、ブータン、2019年)
現在、岩波ホールで公開中の映画『ブータン 山の教室』は、普段知る機会が少ないブータン王国の映画だ。
ただ、監督はブータン人だが国際的に活躍する写真家で、その夫人であるプロデューサーも台湾出身なので、厳密にいうと〈純ブータン産〉の映画とはいい難いかもしれない。台湾資本も入っているようだし、クレジットも英語表記で、明らかに国際市場を狙って製作された映画である。
それでも、おそらく、ここに描かれた出来事は、あらゆる国の文化に共通する普遍的な問題でもあるはずで、誰が見ても感動し、考えさせられる、素晴らしい映画に仕上がっている。
主人公はいかにも現代的なブータンの青年だ。ブータンは「世界一幸せな国」を自称しており、GDPではなくGNH(国民総幸福量)とやらを提唱、「経済的な豊かさよりも精神的な豊かさを求める」が国是となっているという。
この青年は、首都に住み、毎晩クラブで遊んで昼まで寝ている。夢はオーストラリアに移住して歌手になることだ。果たしてこれが「精神的な豊かさ」なのかどうか、かなり心もとない。
ところが彼は、(あまり詳しく説明されないのだが)本来は教師でもあるようで、あるいは教育実習中なのか、突然、山間のルナナ村の小学校へ赴任せよといわれる。もうすぐオーストラリアのビザが下りるはずなので、行きたくないのだが、途中で帰って渡航してしまえばいいのだと、渋々ながら青年は、その村へ向かう。
ルナナ村は、首都から車で一昼夜行き、道がなくなった地点からさらに標高4,800mの山奥へ、キャンプしながら6日もかかる、驚くべき僻地にある。夜遊びでなまっていた身体は、早くもヘロヘロである。
着いてみると、聞きしにまさる、すさまじい村だった(映画は、実在のルナナ村で撮影された)。全人口56人。電気もないし、もちろんスマホも通じない。村民は自給自足で、ヤク(牛の仲間)からミルクやチーズをつくり、糞をカマドの燃料にしている。
村長は「よく来てくれました。この村には先生がいません。子どもたちに教育を与えてください」と歓迎するが、学校は廃墟と化していて、机にはホコリが積もっている。黒板もない。
実は、このあたりの大自然は言葉を失うほどの美しさで、我々観客は、その光景にうっとりさせられるのだが、劇中の青年にとっては、それどころではない。あまりのカルチャー・ショックに、3日たったら帰ると言い出し、村長はがっかりする。
ところが、翌朝、生徒(たった9人)に対面し、青年は、ちょっと気が変わりかける。誰もが実に生き生きとしているのだ。みんな、勉強をしたくて仕方がない。先生が来るのを待っていた。なかには「おとなになったら学校の先生になりたいです。先生は未来に触れられるから」なんて哲学的なことをいう子もいる(実は、村長の口癖の受け売り)。
この初対面のシーンは、感動的である。
子役はルナナ村の子どもたちで、もちろん演技の経験などない。村を出たことがないから、TVも映画もスマホも知らない。そんな子たちが、生まれて初めて、カメラの前で台詞を言い、村の外から来た先生役のおとな(彼もプロの役者ではない)と会話する。
そのときの、緊張しながらも興味津々、ワクワクしている様子が、実にうまくカメラでとらえられているのだ。特にクラス委員役の女の子は驚くべき可憐さで、これほどの逸材が、よくぞこの僻地の村にいたものだと、そのことにも感動させられる。
青年が英語で語る昔話を、生徒たちが平然と聴いている。わたしは知らなかったのだが、ブータンの学校教育は、(国語以外は)英語が基本らしい。山奥の僻村の子どもが英語を理解していることにも、ちょっと驚いた。
劇中で村人がうたう伝統歌《ヤクに捧げる歌》が、後半、重要なモチーフとなる。
複雑な節回しの歌だが、青年は、この歌に興味をもち、村の娘から教わる。都会の文明から隔絶された環境のなかで、青年は少しずつ変わりはじめる。
ここからあと、どうなるかは、もう想像がつくだろう。
ただし、よくある〈先生と子供たちの触れあい物語〉とは、ひとあじ違った流れになる。製作者たちは、そこを描きたかったのだと思う。
人間にとって、ほんとうの幸福とは何なのか、少しばかり考えたくなる映画である。
ぜひ、多くの方にご覧いただきたい。
◆『ブータン 山の教室』公式サイト(予告編あり)は、こちら。
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