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2021.05.16 (Sun)

第312回 1705年12月、リューベックにて(2)

1705.jpg
▲前回につづき、このディスクにまつわる話です。
 ナクソス・ミュージック・ライブラリーにも収録されています。


(前回より)
 《トッカータとフーガ ニ短調》BWV565は、おそらくバッハのなかでもトップクラスの有名作品だろう。
 ところが、これほど有名なわりに、いつ、どこで、何のために作曲されたのか、まったくわかっていない。それどころか、自筆譜が残っていないせいもあって(かなり後年になってからの「写譜」しかない)、バッハの真筆ではないとの説も根強い。
 しかし、いまでは音楽の教科書に載り、ディズニー映画にまでなっているし、嘉門達夫も「タラリ~、鼻から牛乳~」とうたっているほどなので、いまさらバッハの作ではないとするわけにもいかないだろう。

 前回紹介した”磯山説”のように、バッハは、ブクステフーデの曲から「自由に演奏して(書いて)いいのだ」との姿勢を学んだ。たしかにブクステフーデの曲は自由奔放で幻想的だった。カタブツのバッハにとっては目からウロコが落ちる思いだった。
 そのせいか、アルンシュタットに帰ってからのバッハのオルガン演奏は、一挙に派手で前衛的なものになったという。ただでさえ、4週間の休暇を無断で4か月に伸ばし、お目玉を喰らったばかりである。なのに、今度はわけのわからないオルガン曲を弾いたり、挙句の果て、女性を教会内でうたわせたりしたものだから、またも教会上層部からお咎めを受けた(当時、女性が教会内でうたう=声を出すことは許されなかった。この女性が、最初の妻、マリア・バルバラではないかといわれている)。

 そんなエピソードがあるものだから、いかにも幻想曲っぽい前半部を持つBWV565が、ブクステフーデの影響下に書かれたと思いたくなるのも無理はない。
 だが、専門家によれば、後半のフーガ部分など、バッハにしてはたいへん“軽い譜面”なんだそうだ(わたしのような道楽者には、なかなか重厚に聴こえるのだが)。この曲はリューベック滞在以前に書かれたとの説もあるという。

 しかし、明らかにブクステフーデの影響が見てとれる作品もあるようだ。
 たとえば磯山が挙げているのは、《プレリュードとフーガ ホ短調》BWV533コラール《キリストは死の縄目につながれた》BWV718などがそうではいかという。
 また前回ご紹介した加藤浩子も、同じくBWV533、2008年に新発見されたコラール・ファンタジー《主なる神、我らの側にいまさずして(我らがもとにあらずば)》BWV1128、さらに、祝典カンタータ第71番《神はわが王なり》BWV71なども、リューベック体験から生まれたのではないかと推測している。
 ほかには、これは有名な例だが、BWV565のフーガ部分は、ブクステフーデの《プレリュードとフーガ ニ短調》BuxWV140の後半部分とよく似ている。
 いま風の言い方を借りれば“オマージュ”と信じたくなる。

 そこで、(すっかり回り道してしまったが)今回の話題のきっかけとなったCD『December 1705』である。これは、文字通り、1705年12月に、バッハがリューベックで聴いたであろう、ブクステフーデのオルガン曲が前半に、そして、おそらくその影響下に生まれたと思われるバッハの曲を後半に配した、かなりコンセプチュアルなアルバムである。

 ここには、ブクステフーデとバッハのオルガン曲が、各6曲ずつ収録されている。
 なるほど、そういわれて聴くと、”影響を与えた/受けた”ように思える雰囲気が、たしかにある。
 たとえばブクステフーデの《プレリュード、フーガとシャコンヌ ハ長調 》BuxWV137はバッハの《プレリュードとフーガ イ短調》BWV551に、また、ブクステフーデの十八番である”コラール・ファンタジー”《イエス・キリストよ、賛美をうけたまえ》BuxWV188はバッハの《天にいますわれらの父よ》BWV762に、それぞれどこかつながっているように聴こえる。
 有名なバッハの《フーガ ト長調》BWV577における、あの踊って跳ねるようなジーグのリズミカルな楽しさも、ブクステフーデ体験の賜物らしい。前述、加藤浩子が挙げた新発見BWV1128も収録されている。

 ほかに、影響を与えたかどうかを別にしても、このディスクで聴く、ブクステフーデの《パッサカリア ニ短調》BuxWV161や、前記BuxWV137など、ほんとうに素晴らしい曲で、これを聖マリエン教会の巨大なパイプ・オルガンで、本人の演奏で聴いた20歳のバッハ青年の興奮と感動は、とてつもないものだったにちがいない。
 1705年12月、リューベックでの2人の出会いと交流は、どんな様子だったのか、興味は尽きない。

 ところが――このディスクでオルガンを弾いているマヌエル・トマディンのライナーノーツを読むと、「このとき、バッハとブクステフーデが、お互いに自己紹介しあった可能性は低い」「2人が出会うことはなかったと思われる」なんて身も蓋もないことが書かれているのだ。
 もちろん、バッハは、教会でオルガンを弾いている老人がブクステフーデであることは、わかっていたはずだ。
 だがバッハは、巨匠を前にして自己紹介のあいさつをしなかったという。
 ということは、ブクステフーデも、4カ月間も教会に入り浸って自分の音楽を聴いている、明らかにこの町の住人ではない若者が、どこの誰だか、まったく知らなかったのだろうか。
 もしそれがほんとうなら、リューベックにおけるいくつかの逸話は否定され、バッハ評伝の一部は書き換えられることになるのだが。
〈敬称略/この項続く〉

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