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2021.08.04 (Wed)

第323回 五輪とオルテガ

オルテガ
▲岩波文庫版『大衆の反逆』は、完全版新訳。

 五輪開会式の2日後、産経新聞に載った女性読者の投稿エッセイに、こんな一節があった。
〈このコロナ禍での開催。/ついこの間まで、子供の運動会は延期なのに、オリンピックはやるのね、なんて言っていた自分を撤回します〉
 あの開会式と、その後の日本選手の活躍ぶりを見て、おそらく、かなりの日本人が、おなじ境地に至ったと思われる。「やっぱ、始まっちゃえば、盛り上がるよねえ」と。

 開会式翌日(24日)の毎日新聞には、こんな記事もあった。
〈六本木ヒルズにある高層階の職場から国立競技場の様子を見ていたという男性会社員(41)は、「五輪には否定的だったが、『ドローンで作られた地球』を見て、日本の技術力はすごいと思った。実際に始まると応援しようという気持ちになった」と興奮した様子だ〉
 この男性は、完全に骨抜きされている。
 前回に綴ったように、あのドローン・ショーは米インテル社製で、日本の技術ではない。
 あのように大量のドローンをLEDで光らせて形状をつくるショーは、インテル社とディズニー社が共同で特許を所有しているそうだ。日本は、これだけディズニー文化に蹂躙され、そのうえまだ大金を支払っている。アメリカの占領が、まだつづいているとしか思えない。

 余談だが、そんなにたくさんの「光」を見せたいのなら――青森ねぶた/弘前ねぷたを筆頭に、能登のキリコ祭り(巨大灯篭)や、秋田竿燈まつりなど、日本各地のスケール豊かな「灯り」の山車を招集し、和太鼓集団「鼓童」などの伴奏で、提灯を掲げた数百人の阿波踊りと一緒にトラックをパレードして、世界中のひとたちに見せたかった。
 ドローンよりはるかに人間的な「光」で、これこそが「日本の技術」じゃないのか。

 話をもどせば――五輪開会後の、ひとびとやメディアの変貌、右へならえぶりには、あいた口がふさがらない。
 世論調査では、日本人の半分以上が、五輪に反対していたはずだ。
 メディアも(特にTVは)、連日、この時期に五輪を開催することの危険性を訴えていたではないか。それがいまや、連日の高視聴率のせいもあってか、TVは五輪一色、ひたすらその素晴らしさを讃えるありさまだ。
 コロナ感染爆発、危険な酷暑、熱海の土石流災害、保育園児のバス内置き去り事故……世は重大なニュースであふれている。だが五輪のおかげでTVニュースは休みか時間短縮、まともに報じられているとは思えない。新聞各紙の一面も、五輪スポンサーでない東京新聞以外は、どこも連日「金」だの「メダル」だのとはしゃいでいる
(菅政権や小池都政にとっては、それこそが狙いだったろう。結局、わたしたちは、いいようにあしらわれているのだ)

 この光景で思い出したのは、オルテガの『大衆の反逆』だ。
 スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)は、名著『大衆の反逆』(1930)で、〈大衆が完全に社会的権力の前面に躍り出た〉ことを〈ヨーロッパが今や、民族、国民、文化として被り得る最大の危機に見舞われている〉と断じた。
 本書は、二つの大戦の中間、ヒトラー台頭前夜の執筆だったこと、また、舞台を「ヨーロッパ」としているために、われわれ日本人には無縁の思索のように思える。だが、なかなかどうして、今回の東京五輪をめぐる光景に、これほどピッタリの論考は、ないような気がする。

 オルテガがいう「大衆」とは、わたしたちがイメージする「一般大衆」「労働者層」などとは、意味合いがちがう。オルテガによれば「大衆」とは、
〈おのれ自身を特別な理由によって評価せず、「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのこと〉
 である。
 まさに、さっきまで五輪に反対していたのに、「始まってみれば、盛り上がらざるをえない」とばかりに、「みんなと同じ」で満足しているひとたちのことではないか。
 さらにオルテガは、こんなことも述べている。
〈驚くこと、奇異に思うことそれ自体は、理解の始まりとなる。それは知性人特有のスポーツであり、贅沢だ。それゆえ知性人に特有の態度は、不思議さに大きく見開かれた眼で世界を見ることにある。(略)これは、サッカー選手には分からない楽しみである〉
 当初は、この状況下での五輪開催に〈驚き、奇異に〉思い、〈理解の始まり〉となるはずだったのに、結局、開幕してしまえば、「みんなと同じ=大衆」になり、「知性人」を放棄してしまった、というわけだ。いや、「放棄」どころか、数の多さから「蜂起」さえ感じさせる。
 そういえば、本書の初訳の邦題は『大衆の蜂起』(樺俊雄訳、創元社刊、1953年)だった(翻訳者・樺俊雄は、60年安保闘争で圧死した樺美智子さんの実父である)。

 ほかにオルテガが憂えているのは、幅広い知識や興味をもつ「教養人」が減り、やたらと一部のみに詳しい専門家ばかりが増えたことだ。わたしたちも知っている――「オタク」族の出現である。
〈専門家は、世界の中の自分の一隅だけは実に良く「知っている」。しかしその他すべてに関して、完全に無知なのだ〉
 これが〈大衆の特徴〉のひとつだとして、〈すなわち上位の要請に対して「聞く耳を持たない」、従わないという条件は、まさにこうした中途半端に資格を持っている人間たちにおいて頂点に達している。(略)そして、彼らの野蛮性はヨーロッパの退廃の最も直接の原因である〉

 ほかにも〈大衆はなぜ何にでも、しかも暴力的に首を突っ込むのか〉〈「満足しきったお坊ちゃん」の時代〉と、章題だけでも皮肉たっぷりに論を進め、「大衆」が巨大化することの危うさを指摘する。
 まさに、緊急事態宣言なのに「密」がつづく下での東京五輪でこそ読まれるべき論考に思える。
 なお、本書は、オルテガいうところの「大衆」が、いかに増えたかの実証からはじまるが、その冒頭の章題をご存じだろうか――〈密集の事実〉である。
〈一部敬称略〉

※本文中の『大衆の反逆』は、岩波文庫版(佐々木孝訳、2020年初版)より引用しました。
 同書邦訳は、ほかに「ちくま学芸文庫」「中公クラシックス」などがあります。

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