2021.08.12 (Thu)
第325回 バッハ会長に見せたい映画

▲映画『その夜は忘れない』(左はDVDパッケージ)
8月は、6日(広島)、9日(長崎)、15日(敗戦)と、日本人にとってたいせつな日がつづいている。だが今年は、五輪とコロナのおかげで、例年より少々注目度が低いような気がする。
広島といえば、先日、IOCのバッハ会長が同地を訪問した。原爆慰霊碑に献花後、原爆資料館を見学し、「五輪は平和に貢献する」とスピーチした。広島側は、一瞬、「バッハ会長は被爆地・広島に心を寄せているのでは」と思ったかもしれない。
しかし、核廃絶は最後まで公言しなかったし、広島側が、8月6日に選手たちの黙とうを呼びかけたが、これも実現しなかった。平和記念公園一帯は、一般立ち入りが規制されたが、その警備費は、IOCも組織委員会も負担を拒否。県と市が折半で負担することになった。
いったいバッハ会長は、なんのために広島に行ったのか、「よほどノーベル平和賞がほしいらしい」などと揶揄されていた。
そんなに広島に興味があるなら、ぜひバッハ会長に観てもらいたい映画がある。
『その夜(よ)は忘れない』(吉村公三郎監督、1962年、大映)である。
わたしの大好きな映画で、劇場(名画座)だけでも5~6回は観ている。DVD鑑賞も入れたら10回以上になるだろうか。
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終戦から17年、東京五輪を2年後に控えた、昭和37年の夏。
週刊ジャーナルの記者・田宮二郎は、終戦特集の取材で、広島を訪れる。「いまなお癒えない原爆の傷跡」を訪ねる企画だ。
ところが、広島市街は美麗に復興しており、ホテルも一流、海水浴場は若者であふれ、広島市民球場は満員、夜の酒場街も大盛況。とりあえず、原爆ドームや、平和記念資料館、原爆病院、人影の石(旧住友銀行広島支店)、ABCC(原爆傷害調査委員会)などを取材にまわるが、特に新しい情報はない。被爆者サークルに至っては妙に取材慣れしており、田宮のほうがしらけてしまう始末だ。
猛暑のせいもあり、疲れ切った田宮は、「この企画は無理ですね。もう原爆の傷跡なんて、どこにもありませんよ」と、東京のデスクに電話報告する。
(わたしも、週刊誌記者のころ、終戦記念特集「戦艦大和」の取材で、真夏の広島や呉をまわったことがある。瀬戸内沿岸特有の「凪」による強烈な暑さは忘れられない。この映画は、その様子がうまく描かれている)
夜、田宮は、あるバーを訪れる。店のママは若尾文子。美貌の着物姿である。
大映映画で、田宮二郎と若尾文子がそろえば、どうなるかは決まっている。田宮は、次第に若尾に魅せられる。若尾も、東京から来たイケメン田宮に、まんざらでもない。翌日、偶然に再会し、短い逢瀬がある。だが、若尾は、どこかよそよそしい。若い田宮はイライラする。
このあと、どうなるかはご想像どおり。DVDにもなっているので、ぜひご覧いただきたい。当時の広島の貴重な風景もふんだんに登場する。
若尾文子29歳の美しさは、何度観ても飽きない。田宮二郎は当時27歳、いつもはキザでクセのあるプレイボーイ役ばかりだが、今回は珍しく純朴な青年を演じており、共感できる演技を見せてくれる。
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実は、この映画には、もうひとつ、重要なポイントがある。それは、團伊玖磨(1924~2001)による音楽である。
冒頭のタイトル・バックに、妙に湿っぽい演歌のような旋律がギターで流れる。戦前(昭和11年)のヒット演歌、《無情の夢》である(佐伯孝夫:作詞/佐々木俊一:作曲/児玉好雄:歌唱)。ほとんどの演歌歌手がカバーしているスタンダード名曲だが、佐川満男が昭和35年にリバイバル・ヒットさせたので、それでご存じのかたも多いかもしれない。
(ちなみに創唱した児玉好雄は、戦前にアメリカやイタリアで声楽を学んだ本格派で、いま池袋にある「舞台芸術学院」は、戦後、彼が創設に参加した、日本初のミュージカル専門学校だ)
映画の中で、流しが歌っていたのも、この曲だ。つまり團伊玖磨は、《無情の夢》を、この映画全体を象徴する音楽としたのだ。
〈歌詞全編を掲載できないので、旋律ともども、こちらで確認してください〉
團は、むかしからこの曲が大好きで、得意のエッセイで、何度かそのことを書いている。
〈昔の演歌で何が好きかと訊かれれば、僕は古賀政男さんの「男の純情」(佐藤惣之助作詞)と、佐々木俊一さんの「無情の夢」(佐伯孝夫作詞)と答える。この二つはどこからどこ迄演歌であって、二つとも、一オクターヴと長六度という広い音域を持っていることが共通している。そして二つとも男臭い〉(『好きな歌・嫌いな歌』より/昭和52年、読売新聞社刊)
團が、鎌倉駅前の呑み屋で、ひとりで呑みながらこの旋律を口ずさんでいたら、近くの男性が「その歌は、わしが作曲した」と握手してきた。なんと作曲者の佐々木俊一だった。それ以来、交友を得た――なんてこともあったらしい(同書より)
詞も旋律も、たいへんせつない曲である。この曲を随所で奏でながら、ものがたりは進行する。曲を田宮と若尾の関係にあてはめているのはもちろんだが、広島を襲った惨禍を歌っているようにも感じられる。さすがは團伊玖磨、なかなかうまい曲をあてたものだと、感心する。
團は、後年、交響曲第6番《HIROSHIMA》を発表するし、広島平和音楽祭にも、毎年、参加するようになる。このころから、團なりに、広島に対する思いがあったのかもしれない。
映画の中間に、後半の伏線となる重要な場面がある。
若尾が、市内を流れる太田川に田宮を誘う。岸辺で石を拾って、田宮に握らせる。石は軽く握っただけで、ボロボロに崩れてしまう。原爆の熱線を浴び、「広島の石」はもろくなっていたのだ。
「ふだん、この石は川底に沈んでいて、見えません。でも引き潮になると、姿を見せるんです。あのときも、こんなふうに水が引いていたのね」
彼女は、じつは恐ろしい告白をしていたのだが、若い田宮は、若尾の美貌しか目に入らず、その真意を見抜くことはできない。
広島を訪れたバッハ会長は、このときの田宮二郎とおなじだ。
表層だけに接し、「川底に沈んでいる広島の石」までは見なかった。
だからせめて、この映画を観てほしいのだが。
〈敬称略〉
※バッハ会長の広島訪問にかんする記述は、8月12日6:00配信「中國新聞デジタル」の記事を参考にしました。
□映画『その夜は忘れない』予告編
※この予告編は、大半が本編未使用カットにつき、たいへん貴重な映像です。
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限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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