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2021.09.09 (Thu)

第330回 マリヤ・ユージナとスターリン(2)

ユージナCD2
▲(左)モスクワ音楽院レーベルのCD、(右)ドクロを愛したユージナ


 ユージナがスターリンのために弾いたモーツァルトの協奏曲第23番は、CD26枚組ボックス・セット『The Art of Maria Yudina』(SCRIBENDUM)のCD4に収録されていた。アレクサンドル・ガウク指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏で、「1948年」収録とクレジットされている。
 「あれ?」と思った。
 いままでのレコードやCD、ネット上の記述では、「1943年」「1944年」など、さまざまに書かれてきた。ユージナは、そうたくさんのレコードを残したひとではない。おなじ顔ぶれで、おなじ曲を、そう何回も録音はしなかっただろう。

 わたしが持っている、2019年にリリースされた「モスクワ音楽院」レーベル(Moscow Conservatory Records)のCD(上掲左)も、おなじ顔ぶれで、音源としてもおなじだと思うのだが、こちらは「1947年6月9日、モスクワにてスタジオ録音」と細かくクレジットされている。このレーベルは、モスクワ音楽院の自主製作盤で、同院ホールでのライヴや、同院に縁のあったアーティストの音源を発掘リリースしている(ユージナは同院の教授だった)。
 よって、情報も信頼できるはずなのだが、ライナーノーツではなぜかこの音源についてだけ、詳しく触れられていない。単に「CD2の最後は、ユージナの代表作、ピアノ協奏曲第23番イ長調KV488の伝説的な録音である」としか書かれていない。
 まあ「代表作」「伝説的録音」とあるのだから、たぶん、「事件」の該当音源なのだろうが。

 指揮のアレクサンドル・ガウク(1893~1963)は、ムラヴィンスキーらとともにソ連楽壇の指導的役割を果たしたひとで、戦前にはレニングラード・フィルの常任指揮者もつとめていた。ショスタコーヴィチの交響曲第3番《メーデー》の初演指揮者でもある。ラフマニノフの交響曲第1番の楽譜を発見して蘇演したのも、このひとだ。
 そんな重鎮が、深夜に「三人目の指揮者」としてスタジオに呼び出されて、無理やり指揮させられたなんて話も、どうも妙な気がする(いや、「スターリンの指示」だったら、それくらい、ありうるか)。

 この演奏は、いかにもユージナらしい「質実剛健」な響きである。とにかく彼女の演奏はメリハリがはっきりしていて、パワフルなのだ。
 ロシア・ピアノ音楽の研究家でもあった佐藤泰一は、『ロシアピアニズム』(ヤングトゥリー・プレス、2006年初版→2012年新装第一刷)のなかで、こう書いている。
〈ユーディナは不思議なくらい聴衆の人気を保ち続けたアーティストだった。その秘密はまず、当時においては空前の、速くて確実で、十本のいずれの指もが鳴らす音色を独立に、かつ自在にコントロールできた、という彼女の技巧にあるに違いない〉
 23番の第2楽章のように、ゆっくりとしたテンポで、まるで敬虔な祈りを捧げるように弾いたかと思うと、第3楽章では(ピアノが先に演奏をはじめる)スピード感あふれる演奏で、オーケストラを引き連れて凱旋している軍楽隊のような迫力もある。
 このあたりが面白く感じられると、もう、おなじ曲をユージナ以外で聴いてもつまらなく感じてしまうのだ。

 スヴャトスラフ・リヒテルも、こう語っている。
〈モーツァルトの協奏曲イ長調(第二三番)とシューベルトの即興曲変ロ長調は、ユージナが弾いている。彼女のあとに弾く気にはなれない。ブラームスの間奏曲イ長調(作品一一八第二)もそうだ。弾いたらみっともないことになる〉(ユーリー・ボリソフ『リヒテルは語る』宮澤淳一訳、ちくま学芸文庫)
 ほかにも、リヒテルが回想するユージナ像はまことに面白い。ショスタコーヴィチの『証言』同様、この回想記でも、とにかくユージナの思い出話ばかりが出てくる。どちらも、時折「ユージナの評伝」を読んでいるような錯覚を覚えるほどだ。よほど強烈な女性だったのだろう。
 たとえば、バッハの《平均律クラヴィ―ア曲集》第2巻、第22番について。
〈この前奏曲は、マリヤ・ユージナが前代未聞の速さで弾いたのを覚えている。それもマルカートで、あらゆる規則に逆らってね。あれに較べたら、グールドなんてかわいいものだよ〉
 そして、
〈いちばん印象的だったのは、リストが書いたバッハの主題による変奏曲だ。カンタータ第一二番の《泣き、嘆き、悲しみ、おののき》から主題が取られている巨大な作品で、天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナは、まるで儀式を執り行なっているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ>
 この曲は、BOXセットにも収録されている。たしかに名演で、なるほど、リヒテルはうまいことを言うなあと、感心する。

 だが、この回想には誰もがおどろくだろう。
〈髑髏をかたわらに置いて、ハムレットのようなポーズを取っているユージナの姿が目に浮かぶ。そういう写真が残っている〉
 実際、ユージナは、ドクロが好きだったらしい。まあ、ドクロを愛好したピアニストなんて、彼女ただひとりだろう。
 冒頭に掲げたCDジャケットの写真(右)が、それだ。

 そんなユージナの、「モーツァルトのレコード事件」を題材とするバンドデシネ(フランス・ベルギーを中心とするユーロマンガ)が2014年にフランスで刊行され、すぐに映画化された。 ご覧になったかたも多いだろう、『スターリンの葬送狂騒曲』である。
 なんとこのバンドデシネ/映画では、スターリンの死因が、あの、ユージナが書いた「手紙」のせいになっているのだ。
〈この項、つづく/敬称略〉

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