2021.09.12 (Sun)
第331回 マリヤ・ユージナとスターリン(3)

▲(左)ユーロマンガ『スターリンの死』原著、(右)その日本語版
フランスのダルゴー出版社は1936年設立の老舗で、主に女性読者を対象とする出版社だった。その後、多角化を目指して変貌をとげ、いまではヨーロッパ有数の「バンドデシネ」(BD)グループとして成功している。
BD(ベデ=バンドデシネ)とは、主としてフランス・ベルギーを中心とするユーロマンガ(ヨーロッパ産の漫画)の呼称で、文字要素が多くストーリー性の強い、絵物語に近いマンガをそう呼ぶ。英語圏では「グラフィック・ノヴェル」などとも呼ばれる。アメコミ(バットマン、アイアンマンなどのヒーロー物)とは一線を画し、文学的要素のある作品が多い。
そのダルゴー社が2014年に刊行したBDが、Fabien Nury 作、Thierry Robin画による『La Mort de Staline』(スターリンの死)である。
タイトルから想像できるように、これは、ソ連の独裁者・スターリン書記長の死と、その後継をめぐるドタバタぶりを描いた政治サスペンスである。絵も構成も真摯だが、マンガならではのカリカチュア精神もあり、コメディすれすれの内容になっている。
日本語版は、2018年7月に、小学館集英社プロダクションから、大西愛子の訳で刊行された。ただし邦題は、(のちに述べる)映画邦題に合わせ、『スターリンの葬送狂騒曲』となった(以下、ネームの引用は、日本語版の大西訳による)。
物語は、〈1953年2月28日 モスクワ・人民ラジオ局〉のスタジオからはじまる。
スタジオでは、オーケストラとピアノによる演奏を生放送中だ。〈演目:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノコンチェルト23番 ピアノソリスト:マリア・ユーディナ〉である。
(この曲では使用されない楽器が多数描かれているが、これは完全な誤り。編集・校閲のチェック・ミスだ)
演奏終了後、ラジオ局長のもとへ電話が入る。
〈こちら書記長同志秘書室。今からきっかり17分後に56-719番に電話を入れるように。これは書記長同志の命令だ〉
17分後、電話をしてみると〈スターリンだ。今夜のコンチェルトは非常にいい出来だった。録音が欲しい 明日、取りに行かせる〉。
ビックリ仰天した局長が、ディレクターに〈さっきのコンチェルトだ。録音はしたのか?〉。
だが返事は〈いいや、いつものように生放送だったからな〉。
局長〈おしまいだ。みんな死ぬぞ〉。そして、〈演奏家たちを押さえろ! 警備に連絡だ。誰も外に出すな!〉。
かくして、スターリンのために再演奏し、たった1組のレコードをつくることになるのである。
だが、ユージナは、そうはいかない。
〈スターリンのためになんか弾かない (略)じゃあ、告発しなさいよ。むりやり弾かせようたって、そうはいかないわ!〉
スタッフたちは、仕方なく、2万ルーブルのギャラを呈示し、ようやくユージナは応じる(高額で応じた理由は、あの「手紙」でわかる)。
さっそく演奏・収録がはじまったが、緊張のあまり、指揮者が卒倒してしまう。
急きょ、代理の指揮者が連れてこられて、なんとか無事に収録は終わり、レコードができあがる。
(この絵では、レコードは「1枚」なので、LPと思われる。複数枚の「SP」のはずでは、とも思ったが、「1953年」であれば、すでに米コロムビアがLPを開発していたし、ロシアでも1951年にはLPが出ていたそうだから「1枚」のLPでもおかしくない。ただし、前回書いたように、「1947年」のことだったとすれば、重いシェラック材のSP3枚ほどのセットでなければ、おかしい。ちなみに、複数あったソ連国内のレコード会社が、国営レーベル「メロディア」に統合されるのは1964年である)
さっそくNKVD(内部人民委員部=KGBの前身)が、レコードを受け取りに来るが、ユージナは、このレコードの袋に、スターリンあての手紙を挟みこむ。
局長〈なんてことを……お前のせいで全員殺される! 全員だぞ!〉。
レコードは、別荘のスターリンのもとへ。
秘書が、〈中に手紙が入っていまして……ソリストの女からです。手紙の内容は誹謗中傷で、反革命的です。書いた者を逮捕しますか?〉と聞くと、〈いや、自分で処理する〉。
さっそくスターリンは、自室で、レコードをかける。
そして、ユージナの手紙を読みはじめる。
〈親愛なるスターリン同志。これから昼も夜もあなたのために祈りを捧げます。人民と国家に対しあなたが行った重い罪を主が赦してくださるように。(略)演奏のやりなおしのためにいただいたお金は私の教区に寄付して教会の修復にあててもらおうと思います。〉
前回までにご紹介した、あの手紙だ。
スターリンは、脳内出血をおこし、床に崩れ落ちる。
ここまでが約20頁。いわば「序章」である。
さっそく、側近たちが集まって、物語が本格的に転がりはじめる。ベリヤ、マレンコフ、フルシチョフ、ミコヤン、カガノーヴィチ、ブルガーニン……いま60歳代以上の日本人にとっては、なつかしい名前だろう。この連中が、後継をめぐって、ドタバタを演じはじめる。
ベリヤが外出する際に運転手を呼び出す〈フルスタリョフ、車を!〉のセリフは、映画ファンならばニヤリとするところだ。
(アレクセイ・ゲルマン監督の1999年の映画に『フルスタリョフ、車を!』がある)
スターリンは、一時は意識を取り戻すものの、4日後に死去する。
つまりこのユーロマンガは、「1947年」の”モーツァルトのレコード事件”を、「1953年」に起きたことにして合体させ、ユージナのあの手紙を読んだために、スターリンがショックを受けて脳内出血を起こした設定にしているのだ。
バカバカしいと笑うなかれ、マンガだからこそできた”脚色”ではないだろうか。スターリンが、自ら許した”反逆者”に殺されてしまう……そんな皮肉な設定を考え出した、作者の構成術に感心させられた。
そして、このユーロマンガ『スターリンの葬送狂詩曲』が、映画になった。
〈この項、つづく/敬称略〉
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