2021.10.05 (Tue)
第334回 《汽車は8時に出る》

▲(左)ミキス・テオドラキス唯一の邦訳著書(1975年、河出書房新社刊)
(中)CD『わが故郷の歌~バルツァ、ギリシャを歌う』(アグネス・バルツァ)
(右)CD『平成和讃 こころの雫』(森進一)
ギリシャの作曲家、ミキス・テオドラキス(1925~2021)が9月2日に亡くなった(享年96)。
日本では新聞訃報欄の隅に小さく出ただけだが、ヨーロッパでは大ニュースで、ギリシャのカテリナ・サケラロプル大統領や文化大臣は「私たちはギリシャの魂の一部を失った」との追悼声明を発表、3日間の服喪(半旗)となった。
彼のすごさは、極東にいるわれわれには、理解しにくい。
ひとことでいってしまえば、ミキスは「闘う作曲家」である。第二次世界大戦時、レジスタンスに参加し、ファシズムと闘った。戦後、ギリシャ内戦や軍事独裁政権時代も、徹底的に対抗した。何度逮捕されても転向せず、パリに逃れて民主化運動を支えながら、音楽活動をつづけた。社会主義政権となってからは、国会議員や文化大臣もつとめた。
自分を枉げず道を貫くひとに、太古より激動に翻弄されてきたヨーロッパのひとびとは、心から敬意を表する。
そんなひとだから、ややこしい音楽を書いたのかというと、そうではない。
有名なのは映画音楽で、『その男ゾルバ』『Z』『戒厳令』『セルピコ』『魚が出てきた日』などの社会派ドラマ、『エレクトラ』『トロイアの女』『イフゲニア』などのギリシャ悲劇映画などに名スコアを提供している。
そのほか、7つの交響曲や、管弦楽曲、歌劇《メデア》《エレクトラ》《アンティゴネー》、バレエやカンタータ、歌曲……現代音楽の作曲家で、これほど、一般人に聴かれる音楽を、幅広いジャンルで書いたひとは、いない。
ニュースでは、映画『その男ゾルバ』の作曲者であることばかりが報じられていた。
だが、ミキスの真骨頂は、「うた」にあると思う。
ギリシャは「詩の国」である(ミキス自身もたくさんの“抵抗詩”を書いて、自らうたっている)。
なかでも、チリのノーベル文学賞作家、パブロ・ネルーダの名作詩集にもとづくオラトリオ《大いなる詩》、1992年バルセロナ五輪開会式のためのカンタータ《カント・オリンピコ》などは、聴くたびに背筋が伸びる。
ギリシャ音楽の特徴でもある「リフレイン」(繰り返し)で反骨や歓喜をうたうとき、ミキスの筆は冴える。現代音楽の“武器”「ミニマル・ミュージック」(パターン音型の反復)は、ギリシャ音楽が原典のような気にさえなる。
それら大合唱を擁する大作もいいが、素朴な「歌曲」も魅力的だ。
なにしろ大量の曲を書いているので、わたしも全部を聴いているわけではないのだが、活動家詩人、マリナ(本名:レナ・ハジダキス/1943~2003)の長編詩3部作による《戒厳令》(獄中で書かれたため、原題は《アベロフ女性監房》)や、ディミトラ・マンダの詩に曲をつけ、アンジェリク・イオナトスが歌った、まるで日本の唱歌のように美しい歌曲集などを、わたしは愛聴してきた(イオナトスも、本年7月7日に67歳で亡くなったばかりだ)。
そして――おそらく日本で、もっとも愛されたミキスの歌曲は、《汽車は8時に出る》だろう。
ミキス自身によれば、
〈独裁樹立のほんの少しまえから、私は若い詩人マノス・エレフテリウと協同作業をはじめていた。その最初の収穫は六つの民衆歌謡だった。私はここブラカティで、それに他の六つの歌をつけ加えて、連作歌集を完成することになった〉(ミキス・テオドラキス『抵抗の日記』西村徹・杉村昌昭訳、河出書房新社/原著1971年、邦訳1975年刊)
それが《十二の民衆歌謡》で、なかの1曲が、この《汽車》である(後年、《汽車は8時に発つ/出る》と題されるようになった)。
《汽車》
汽車は八時に出発だ
目的地はカテリーニ
十一月になったら
おまえはいつも思い出すだろう
――八時出発
守備隊行きの汽車
(略)
時は霧の中に過ぎてゆき、
胸は悲しみの刃に切り裂かれ
おまえはカテリーニで歩哨に立つ。
(前掲書より)
第二次世界大戦中、ギリシャ北部はナチス・ドイツに占領されていた。そのため、北部にはパルチザンが育ち、戦後も共産党の支援を受けた人民解放軍が根強く居座っていた。
ところが、戦後、米英を後ろ盾とする中道右派政権が南部に成立したため、ギリシャは朝鮮やベトナムのような“南北対立”の内戦状態となった(この時代を素材のひとつにした映画が、テオ・アンゲロプロス監督による、1975年の名作『旅芸人の記録』)。
カテリーニは、その中間で左派と右派がにらみ合う、まさに“バルカンの38度線”ともいえる町だ。
この詩の男は兵士で、おそらく南部アテネから8時の汽車で発ち、カテリーニで監視任務に就くのだろう。戦争は終わっても真の平和が訪れない失望感と内戦の虚しさをうたっている。
1986年、ギリシャ出身のオペラ歌手、アグネス・バルツァが、アルバム『わが故郷の歌~バルツァ、ギリシャを歌う』をリリースした。このなかに、《汽車は8時に発つ》が収録され、ひときわ強い印象を残した(日本盤ライナーノーツの三浦淳史訳では、「もうあなたは夜こっそり来ることもないのね。汽車は8時に発つ」と、女性の一人称による別れの歌として訳されている)。
これを聴いて感動した作家の五木寛之が自ら日本語詞をつけ、《汽車は8時に出る》と改題して、ファド歌手の月田秀子(1951~2017)が歌った。詞は、「髪を短く切り」「黒い服を着るわ こころ閉ざして」「二度と還らぬひと 汽車は八時に出る」と、なにやら“死”にまつわるような男女の別れの歌となっていた。どこか、ちあきなおみの《喝采》や《冬隣》を思わせた。
月田は、このギリシャの“抵抗歌謡”を、ファド(ポルトガルの民族歌謡)にかえて見事に歌い上げ、人気レパートリーとなった。
だが月田は、2017年、66歳で病死する。
その間、この五木寛之版を、もう一人の大歌手が歌っていた。
森進一である。
森は、2000年前後に、芸能生活35周年記念のアルバムを何点かリリースしているが、そのうちの1枚が、五木寛之プロデュース(全作詞)の『こころの雫 平成和讃(へいせいのうた)』(ビクター)である。
この1曲目に収録されたのが、《汽車は八時に出る》だ。
これには驚かされた。まさか森進一がミキス・テオドラキスを歌うとは夢にも思わなかった(ほかはすべて日本人による曲)。月田の“ファド版”も素晴らしかったが、森進一による“演歌版”は、まるで最初から彼のためにつくられたかのような迫力だった。なぜこれをシングルとして仕掛けなかったのか、残念にさえ思った。
よく「演歌」を「怨歌」などと称するが、森のうたうミキスは、十分に「怨」を感じさせた。
おそらくこれからも、ミキスは《その男ゾルバ》の作曲者としてもっとも知られ、名を残すだろう。しかし、日本を代表する演歌歌手が歌うような、それほど幅の広い才能を持つひとだったことも、ぜひ忘れないでほしい。
その背後に、ギリシャの複雑な政治背景があったことも。
〈敬称略〉
□映画『その男ゾルバ』~有名なラスト・シーンは、こちら。
□月田秀子のうたう《汽車は8時に出る》は、こちら。
□森進一のうたう《汽車は8時に出る》は、こちら(映像では「発つ」。アルバムでは「出る」)。
□以下はナクソス・ミュージック・ライブラリーから。非会員は冒頭30秒のみ試聴可。
オラトリオ《大いなる詩》
アンジェリク・イオナトスがうたう歌曲集
歌曲《戒厳令》
カンタータ《カント・オリンピコ》
アグネス・バルツァがうたう《汽車は8時に発つ》
【お知らせ】
ひさびさに、『サンダーバード』にかんする文章を書きました。
来年1月9日のコンサートにまつわるコラムです。
お時間あれば、お読みください。こちらです。
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
スポンサーサイト
| BLOGTOP |