2021.11.26 (Fri)
第337回 「異郷」の地での共生

(左)『バルトーク晩年の悲劇』、(中)劇団1980『いちばん小さな町』
(右)文学座『ジャンガリアン』 ※リンクは文末にあります。
『バルトーク晩年の悲劇』(アガサ・ファセット、野水瑞穂・訳/みすず書房)が、またもや復刊された。
本書は、1973年に「亡命の現代史」シリーズ全6巻中の一巻として刊行され、1978年に単行本で再刊行された。
その後、品切れで見かけなくなると、「書物復権」フェアのたびに重版復刊されてきた(いまはなき「東京国際ブックフェア」に合わせての復刊が多かった)。
それが「新装版」となって、またもや復刊した(「新装版」といっても、カバー・デザインの写真や色味が変わった程度で、本文組みなどは同じだと思う)。
それにしても、1973年邦訳初刊の本が、ほぼ半世紀たってもまだ生きていること自体、驚きとしかいいようがない(原著は1958年刊)。
これは、ハンガリーの大作曲家、バルトーク・ベーラ(1881~1945)が、ナチス台頭を避け、アメリカで過ごした最後の5年間の記録である(バルトーク自身はユダヤ系ではなかったが、ナチスや社会主義体制を嫌っていた)。
著者は、かつてハンガリーの音楽院で学んだころから、バルトークを敬愛してきた女性だ。アメリカに移住後、あとから亡命してきたバルトーク夫妻と知り合った。特にディッタ夫人の信を得て、生活の世話などしているうちに、家族同然の付き合いをするようになった。
「音楽」にまつわる記述は、少ない。
バルトークのアメリカ時代の作品といえば、最高傑作《管弦楽のための協奏曲》と《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》の2曲にとどめを刺すが、これらの誕生過程や初演風景も、チラリとしか書かれていない。
では何が書かれているのかといえば、環境の良いアパートメントを探し回る姿とか、部屋の調度で悩むとか、コロムビア大学へ地下鉄で通うのが大変だとか、「異郷」アメリカになじめず、悩み苦しむ、ハンガリー人の姿である。
とにかくバルトークは神経が繊細で、外界との接触を嫌った。アメリカの町中の「騒音」も耐えられず、ほとんどノイローゼ状態だった。
そこを、ピアニストでもあったディッタ夫人が外界との媒介役となって慰撫につとめ、さらに本書の著者がアシスタント役となって助けてきたのである。
そんな夫妻の姿が、「なぜ、ここまで記憶できたのか」と言いたくなるほど細かく描かれ、小説かと見紛う筆致がつづく。
ひさびさに再読したが、バルトークが、アメリカではいかに「異質」の存在だったかが伝わってきて、胸を絞めつけられた。
たしかに、著者のように夫妻を助けるものはいたし、新作を委嘱するクーセヴィツキ―や、メニューヒンのような音楽家仲間も、いることは、いた。だが、それらは、一過の援助でしかない。
戦争の影響で、ヨーロッパ時代の著作権収入はストップし、収入は激減した。臨時の生活拠点を提供する団体もあったが、生活の根本改善にはつながらないし、宿病(白血病)が完治するわけでもない。生活は困窮し、最終的には部屋のピアノまで「回収」されて失う。
結局、バルトークは、アメリカに来たこと自体が間違いだったとしか思えないのだ(そんな状況下で《管弦楽のための協奏曲》のような超ド級の名曲を書いたのも、驚くべきことだが)。
同時に、アメリカ社会は、この、異郷から、怯えつつやってきた病身の大作曲家を、もうすこし温かく迎えてあげられなかったのか――との無念の思いもわいてくる。
話は突然変わる。最近、二つの演劇舞台を、つづけて観た。
まずは、劇団1980公演『いちばん小さな町』(瀬戸口郁・作、高橋正徳・演出/10月20日~26日、六本木・俳優座劇場にて)。
次が、文学座公演『ジャンガリアン』(横山拓也・作、松本祐子・演出/11月12日~20日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて)。
前者は、北関東の架空の町を舞台に、急速に増えるブラジル移民を排除するか共生するかで揉める群像ドラマである。モデルとなったのは群馬県邑楽郡大泉町で、人口4万数千人の2割が日系ペルーや日系ブラジル人で、「日本のブラジル人街」として全国的に有名になった。
後者は、大阪の老舗とんかつ屋を、三代目が継いで現代風の店にするにあたり、モンゴル人留学生の青年を店員として受け入れるか否かで揉める、これも一種の群像ドラマである。
どちらも、ベテランの作・演出だけあって、安心して観られる名舞台だった(ちなみに前者の作・演出なども文学座のメンバー)。
二作とも、まったく偶然に、外国人労働者との共生を受容するものと、排除しようとするものとの対立が物語の軸となっている。
たまたま、この二作の直後に『バルトーク晩年の悲劇』を再読し、奇妙な思いにとらわれた。
時代も国も規模もちがうが、人間は、「異質」なものに出会ったとき、あるいは「異郷」に足を踏み入れたとき、どうなるのか。これだけ国際化が進み、LGBTQを受容している(かのように見える)社会となっても、本質は、バルトーク時代とあまり変わっていないのではないか――芝居を観ながら、感じた。
それでも、この二作とも、日本の地域コミュニティが外国人と共生していく可能性を示唆して、さわやかに幕を閉じるのが救いだった。
だが、バルトークは、そうはいかなかった。
本書におけるバルトーク逝去にまつわる部分は、あまりにあっさりしていて、冷たい風が吹き抜けていくようである。
亡くなったのは1945年9月26日。第二次世界大戦が終わりを告げるとともに、64歳で世を去った。
1958年原著初刊の本書は、教会での小さな葬儀の場面で終わっているが、このあと、バルトークはニューヨークの墓地に葬られた。かねてから「ナチスや社会主義がはびこっている間は、母国へ葬らないでくれ」と言い残していたのは有名な話だ。
時は流れ、ハンガリーが民主化され、ソ連崩壊も目前となった1988年。ハンガリー出身の大指揮者、サー・ゲオルク・ショルティの呼びかけで、バルトークの遺骸は母国に移送され、埋葬された。逝去から半世紀近くたって、ようやくハンガリー政府は「国葬」をもってバルトークを迎え、記念碑を建立した。
そしていま、アメリカでバルトークを拒否するものは、誰もいない。
□『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房)は、こちら。
□劇団1980『いちばん小さな町』は、こちら。
□文学座『ジャンガリアン』は、こちら。
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