2022.02.15 (Tue)
第346回 森田童子をめぐって(2)

▲(左)なかにし礼『血の歌』
(右)森田童子のデビュー・アルバム『GOOD BYEグッドバイ』(CD化あり)
なかにし礼『血の歌』(毎日新聞出版)は、小説である。
ただし、たいへん薄手で、正味70数頁。400字詰めで60枚の短編である。
しかも、「小説」としては、充実度は高くなく、「試作」「草稿」のレベルとしかいいようがない。
巻末の、ご子息(音楽プロデューサーの中西康夫)の解説によると、原稿は、なかにし礼の死後、別荘の書斎の引き出しから見つかったという。執筆時期は1995年ごろと推察されるらしい。内容は、明らかに、直木賞候補作『兄弟』(1998年/文藝春秋刊→文春文庫→新潮文庫、絶版)の下書きである。
『兄弟』は、なかにし礼が、実兄と自分をモデルにした一種のノンフィクション・ノヴェルであった。この特攻隊帰りの実兄が、たいへんな”問題人物”で、事業を起こしては失敗し、弟(なかにし礼)にたかり、カネを借りて、そしてまた失敗する(TVドラマでは、兄をビートたけしが、弟を豊川悦司が演じた)。
かくして弟は未曽有の借金を背負うこととなり、その返済のために、ひたすらヒット曲を量産しなければならなくなる。最後には「兄さん、死んでくれてありがとう」との思いが湧くのだから、すさまじい。それでも、これを読むと、たとえば、なぜ《石狩挽歌》のような、暗い怨念を感じさせる詩が生まれたのか、よくわかる。兄を憎み、借金返済のために壮絶な量の仕事をこなせばこなすほど、ヒット作が生まれる、その皮肉……。
だが、この小説が引き金となり、なかにしは、翌年に『長崎ぶらぶら節』(1999年/文藝春秋刊→文春文庫→新潮文庫)を発表、見事に直木賞を受賞するのである。
そんな小説の下書きらしき草稿が、『血の歌』である。
ここでも、実兄の問題ぶりが描かれるのだが、唯一、『兄弟』とちがうのは、兄「中西正一」の娘「中西美納子」が描かれている点である。
ある日、「中西正一」は、作詞家の弟「中西礼三」(なかにし礼)に呼び出される。場所は飯倉のイタリア料理店「バロッコ」。おそらく「キャンティ」のことだろう。
そこには、なかにし礼を売り出した敏腕女性ディレクター「お貞さん」も同席していた。これもいうまでもなく、モデルはポリドールの名ディレクター、松村慶子(お慶さん)である。
「礼三」と「お貞さん」は、「正一」の娘「美納子」を、シンガー・ソング・ライターとして売り出したいという。父「正一」は、まさかそんなことになっているとは夢にも思わない。驚く父親を尻目に、2人は、すでにレコーディングされているというデモ・テープを、その場で聴かせる。それは《ぼくの失敗》なる曲で、ヘッドフォンで聴いた父「正一」は、
〈………か細い歌声が伝わってくる。まぎれもなく、わが娘美納子の声であった。/しかし暗い。なんという暗くせつない歌だ。いつから美納子は、こんな暗礁のようなものを心中に育ててきたのだろう〉
と感じる。礼三は、こう言う。
〈「名前は、森谷王子って、決めたんだ」(略)/「王子なんて、男の名前じゃないか」/「そこがいいのさ、男か女かわからなくて。女なのに、男名前で”ぼく”っていう。独特の世界があって、いいと思うよ」〉
そして「お貞さん」は、
〈「森谷王子がなかにし礼の姪ってことを当分伏せておきたいの。なかにし礼は売れ過ぎちゃって、どこか体制的な匂いがするじゃない。ちょっと反体制的というか、非体制的な姿勢で、森谷王子をやってみたいのよ」〉
「礼三」も、
〈「叔父さんの七光りで世に出たくないっていう美納子の希望もあるけど、そういう俗っぽいところじゃなくて、もっとアングラでマイナーなところから出発させたいんだ」/「しかし、この情報化時代に、そんなことできるのかね?」(略)「そこを乗り切るのが、このお貞さんの人徳と腕前さ。マスコミにも徹底的に協力してもらう」〉
こうして「森谷王子」(森田童子)は、デビューする(実際には、1975年10月に、ポリドールから、シングル《さよなら ぼくの ともだち》でメジャー・デビュー)。
その後(「森谷王子」の引退後)、《ぼくの失敗》がTVドラマ「教師の恋」の主題歌になる。これも、ご存じ、《ぼくたちの失敗》で、ドラマは「高校教師」である。
曲は100万枚近い大ヒットとなる。父「正一」は、娘にお祝いの電話をかける。すると、さっそくカネをたかりにきたと思われ「まだ印税入ってないわよ」「私、パパのこと、嫌いよ」と冷たく言い放される(このシーンが、小説の冒頭である)。
なにぶん「草稿」レベルの原稿なので、「森谷王子」と、父「正一」、叔父「礼三」との間に、どんなやりとりがあったのか、これ以上、詳しくは書かれていない。
しかし、以上の記述だけでも、少なくとも、森田童子のデビューに、なかにし礼がかなりからんでいた、いや、実質、プロデューサー的な存在だったらしいことが、うかがわれる。
そのことは、1974年の「風吹ジュン誘拐事件」を振り返ることで、あとになって、いっそう明らかになるのである。
〈この項つづく/敬称略〉
□ユニバーサル・ミュージック、森田童子CDは、こちら。
□毎日新聞出版、なかにし礼『血の歌』は、こちら。
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