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2022.03.24 (Thu)

第352回 第二の「バビ・ヤール」

babiya-ru gattai
▲(左)交響曲第13番《バビ・ヤール》、初演指揮者コンドラシン。
 (右)映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 ※ともに文末にリンクあり。


 ショスタコーヴィチの交響曲第13番には、副題として《バビ・ヤール》と付されている。
 これは、ウクライナ、キエフ近郊にある渓谷の名前で、1941年9月29・30日の2日間にわたって、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺がおこなわれた地である。

 この年、ソ連・ウクライナに侵攻したナチス・ドイツは45日間にわたってキエフを包囲。だが徹底抗戦もむなしく、キエフは占領される。
 ナチスはキエフの全ユダヤ人に出頭を命じ、バビ・ヤール渓谷に移送した。てっきり、そこから収容所に移されるものと思いきや、その場で次々と射殺。渓谷は遺体の山で埋まった。その数、2日間で約3万4000人。一か所で同時におこなわれた民族虐殺としては、最大数の犠牲者となった。
 その後も虐殺はつづき、最終的にキエフ周辺で10万人のユダヤ人が虐殺されたともいわれている。

 この悲劇を連作詩集『バビ・ヤール』(1961)として描いたのが、ソ連の詩人、エフトゥシェンコ(1933~2017)である。「バビ・ヤールに墓碑銘はない」ではじまる有名な詩だ。ショスタコーヴィチは、この詩集をもとに、男声バス独唱+男声バス合唱+管弦楽で悲劇を音楽化した。
 この編成から想像できるように、なんとも異様で壮絶な音楽である。

 初演は1962年。すでにスターリン書記長は亡くなってフルシチョフの時代になっていたが、ソ連当局は徹底的に初演を妨害した。これは現代音楽史上、まれに見る混乱初演だった。指揮者や独唱者が直前になって何度もかわり、最終的に警官隊が包囲監視するなかで初演されたのだ(もちろん、客席からは大喝采がおくられた)。

 しかし、たしかにエフトゥシェンコは反体制派詩人だったが、それにしたって、「バビ・ヤールの悲劇」を引き起こしたのは、ナチス・ドイツである。そのことを描いた音楽を、なぜ、”被害者”のはずのソ連当局が妨害しなければならなかったのか。

 実は、この交響曲(詩)は、単にナチスの蛮行を非難しているのではなく、人間の誰にも反ユダヤ的な感情があることの恐ろしさや、無知を描いていたのだ。
 それどころか、帝政ロシア時代、自国にも反ユダヤ人組織があった事実を盛り込んでいた。いわば、自分たちソ連(ロシア)人にも、ナチス・ドイツとおなじような精神が流れていることを描いていたのである。
 現に、スターリン書記長は、ナチス・ドイツほど露骨ではなかったものの、明らかに反ユダヤ主義だった。映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019)で描かれたように、スターリンは、1930年代に、ユダヤ人が多いウクライナから食糧を徹底的に搾取し、壮絶な飢餓をもたらしている。この映画を観ると、ソ連当局=スターリンは、ウクライナを、まるで奴隷か属国のようにしか思っていなかったことがわかる。
 もし1953年にスターリンが死去せず、政権がつづいていたら、ユダヤ民族の東方強制移住が実施されていたとの説さえある。

 つづくフルシチョフも大同小異で、たしかにスターリン批判や、雪どけをもたらしたりはした。だが、たとえば、『ドクトル・ジバゴ』で知られるユダヤ系作家・詩人のパステルナークが迫害され、当局がノーベル文学賞の受賞を妨害したのは、まさしくフルシチョフ時代のことである。
 よって、この曲の初演は、フルシチョフ政権にとっては、自らの行為を暴かれているような気がしたにちがいない。

 いま、おなじウクライナ、キエフの地で、またも悲劇が繰り返されようとしている。
 これが、ユダヤ人迫害であるとは、表立っては、いわれていない。
 だが、ショスタコーヴィチの交響曲第13番《バビ・ヤール》を聴き、エフトゥシェンコの詩を知ると、ほんとうにそうなのか、疑問を抱くのは、わたしだけではないはずだ。
〈敬称略〉

□初演指揮者、キリル・コンドラシンによる交響曲第13番《バビ・ヤール》・・・ナクソス・ミュージック・ライブラリー(非会員は冒頭30秒のみ聴取できます)。
□映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』公式サイトは、こちら

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