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2022.04.01 (Fri)

第354回 『動物農場』ウクライナ語版

動物農場
▲(左)ハヤカワepi文庫の新訳版、(右)石ノ森章太郎による漫画版(ちくま文庫)、傑作!
  ※ともにリンクは文末にあり。


 ジョージ・オーウェル(1903~1950)の寓話小説『動物農場』は、1945年にイギリスで刊行された。
 農場で、動物たちが「革命」を起こし、農場主のジョーンズ氏を「追放」、動物社会を樹立する。リーダーはブタのスノーボールとナポレオンだった。
 動物たちは、リーダーの指導の下、「平等」社会を目指し、日々、労働に励むが、どうもおかしい。収穫した食糧がきちんと分配されている気配がない。猛犬たちが「秘密警察」のように監視している。リーダーたちは陰で贅沢かつ安穏とした生活をおくっているようだ。やがてリーダー間で「抗争」が発生し、スノーボールは「追放」され、ナポレオンの「独裁政治」が確立する。

 要するに、ロシア革命による帝政崩壊~ソ連成立~スターリンの恐怖政治……を、農場に仮託して描いているのである。いうまでもなく、「ジョーンズ氏」がニコライ二世、「スノーボール」がトロツキー、「ナポレオン」がスターリンである。

 いまでは寓話小説の傑作として知られているが、1945年の刊行当初は、それほどの評価は得られなかった。ほかの国でも、すぐには翻訳刊行されなかった。
 ところが、なぜか「ウクライナ語版」なるヴァージョンがあって、早くも1947年11月に出ている。そしてオーウェルは、この「ウクライナ語版」だけに、かなり長い序文を寄せているのだ。
 しかし当時、ソ連の構成国だったウクライナで、このような本が刊行できたのだろうか。

 実はこの版は、ウクライナ国内で刊行されたものではない。
 当時、ドイツ国内にあった英米管理下の「ウクライナ難民キャンプ」で頒布された。版元は「ウクライナ難民協会」。翻訳し、オーウェルに序文を依頼したのは、ハーバード大学のイホル・シュヴェチェンコ教授(1922~2009)である(ポーランド生まれのウクライナ人言語学者)。
 ここでいう「ウクライナ難民」とは、スターリンの独裁や、ウクライナ人に対する搾取に耐えられなくなり、国を脱出したひとたちだった。「ウクライナ難民」は、すでにこのころから存在していたのだ。『動物農場』ウクライナ語版は、彼らのために刊行されたのである。

 ところが、オーウェルによる「ウクライナ語版」序文の内容は、詳細な自己紹介と経歴、ソ連の政治体制に対する批判的な立場の表明に尽くされている。特にウクライナや、同国の難民にかんする記述はない。
 これは少々不思議な話で、せっかく、「反スターリン」派のウクライナ難民たちに向けて出すのだから、もうすこし、ウクライナに対する思いのような記述があっても、よかったような気がする。

 だが、『動物農場』を読んだ方は、もうご存じだろう。
 この小説のなかには、十二分に、ウクライナに対するオーウェルの思いが、描かれているのだ。

「そんなにたくさんのミルクをどうするんだい?」とだれかが言いました。
「ジョーンズさんは、ときどきミルクを混ぜてくれたけど」とメンドリが言いました。
「ミルクのことは気にするな、同志諸君!」とナポレオンが叫び、バケツの前に立ちはだかりました。「それは対応しておくから。収穫のほうがもっと重要だ。同志スノーボールが先導してくれる。私もすぐに続こう。同志たちよ、前進だ! 干し草が待っている」

(ハヤカワepi文庫版/山形浩生訳より。以下同)

 作中、多くの動物たちが、指導者(ブタ)に搾取され、ひどい目にあうのだが、そのなかで印象に残るのが、この「メンドリ」である。
 リーダーのナポレオンは、乳牛から絞ったミルクを分配せず、どこかへ持っていく。以前は、農場主がメンドリのエサに混ぜて、いい卵を産む栄養源にしてくれていたのに。
 やがて、指導者たちの思惑が判明する。彼らは、こっそり人間と通じており、卵を売り渡して財を貯えていたのだ。

 ある日曜の朝、スクウィーラーは、ちょうどまた産卵期に入ったメンドリたちに卵を引き渡せと通達しました。ナポレオンはウィンパーを通じ、週に卵四百個を引き渡す契約を受け入れたというのです。(略)メンドリたちはこれを聞いて、絶叫して抗議しました。
(「スクウィーラー」とは、ナポレオンの腰巾着のブタで、モデルはスターリンの片腕だったモロトフ外相。「ウィンパー」は人間の仲介人)

 メンドリは、はじめて反乱らしき行動に出る。すると、

 ナポレオンは即座に容赦なく行動しました。メンドリたちへのエサの配給を止めるよう命じ、穀物一粒でもメンドリに与える動物はすべて死刑に処すと宣言したのです。(略)メンドリたちは五日にわたりがんばりましたが、ついに降参して産卵箱に戻りました。それまでにメンドリ九羽が死にました。その死体は果樹園に埋められ、死因はコクジウム症だと発表されたのでした。
 
 この「メンドリ」が、ウクライナ国民である。「卵」は、穀物。
 これは、1930年代にウクライナで発生した大飢餓「ホロドモール」を描いているのだ(ウクライナ語で「ホロド」=飢餓、「モール」=疫病)。この時期、ソ連当局は、外貨を獲得するため、また、モスクワ要人たちの腹を満たすため、ウクライナから、徹底的に穀物を供出させた。逆らうものは次々に粛清・処刑された。その結果、空前の飢餓が発生し、人肉食が横行した。死者数は、正確な統計がないそうだが、1,000万人は下らないといわれている。
 現在、この悲劇はウクライナ議会をはじめ、世界の主要国で「ジェノサイド」(民族虐殺)と認定されている。

 この悲劇を素材にした小説が、ベストセラーとなったトム・ロブ・スミスのミステリ『チャイルド44』だ(新潮文庫=絶版/映画化名『チャイルド44 森に消えた子供たち』)。
 また、第352回(リンク文末)で紹介した映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』では、イギリス人記者、ガレス・ジョーンズが、命がけでウクライナに潜入し、「ホロドモール」をスクープする実話が描かれている。さらに、この記事がきっかけで、オーウェルが『動物農場』を書く設定になっているのだ(追放される農場主の名前も「ジョーンズ」なのは、“どちらも追われた”皮肉かもしれない)。

 スターリンから逃れてきたウクライナ難民なら、「メンドリ」が自分たちのことだと、すぐにわかっただろう。オーウェルもそれを承知していたから、いまさら序文に付け焼刃をする必要は、なかったのだ。オーウェルは、ウクライナ語版の印税も要求しなかった。
 しかし、『動物農場』の悲劇が、スターリンもソ連もなきいまになって、形をかえてウクライナで発生していると知ったら、天上のオーウェルは、どんな気分だろうか。
〈以上〉

※文中のウクライナ語版にかんする記述は、主として、ハヤカワepi文庫版(山形浩生訳)、岩波文庫版(川端康雄訳)などの解説を参考にしました。

【余談】『動物農場』で、忘れてはいけないのは、石ノ森章太郎による漫画版『アニマル・ファーム』だ(現ちくま文庫)。1970年に「週刊少年マガジン」に連載された。構成、構図、絵、ユーモア感覚、批評精神など、実に見事で、これは漫画史に残る傑作だと思う。こんな漫画が、少年誌に堂々と連載されていたのも驚きだ(試し読みリンク下記)。

□今回と関連する既出コラム……【第352回】第二の「バビ・ヤール」
□『動物農場』新訳版(ハヤカワepi文庫)は、こちら
□『動物農場 おとぎばなし』(岩波文庫)は、こちら
□石ノ森章太郎『アニマル・ファーム』(ちくま文庫)は、こちら=試し読みあり
□映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』 は、こちら
□映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 は、こちら


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