2022.04.14 (Thu)
第356回 高昌帥〔コウ・チャンス〕、そして洪蘭坡〔ホン・ナンパ〕

▲(左)シオン、(右)シエナ ともに高昌帥の”個展”
※リンクは文末に。
高昌帥〔コウ・チャンス〕(1970~)のコンサートが、大阪と東京でつづけて開催される。
高昌帥は、いうまでもなく、主として吹奏楽の分野で活躍している大人気作編曲家、指揮者だ。大阪音楽大学教授もつとめている。全日本吹奏楽コンクール課題曲も、《吹奏楽のためのラメント》(2001年度/公募)、《吹奏楽のための「ワルツ」》(2018年度/委嘱)の2曲を書いている。
コンサートは、まずは4月24日(日)に大阪で、Osaka Shion Wind Orchestraの第142回定期演奏会。
1週間後の5月1日(日)に東京で、シエナ・ウインド・オーケストラの第52回定期演奏会。
どちらも、当人の指揮で、曲目も自作が中心なので、一種の“個展”といってもいい。まったくの偶然らしいが、このようなコンサートが、東西で連続して開催されるのは、きわめて珍しい。高昌帥は主に関西で活躍しているひとなので、特に東京でのコンサートは、貴重な機会である。
近年、全国の吹奏楽コンクールだけで600回以上も演奏されている大ヒット曲《吹奏楽のためのマインドスケープ》や、全5楽章の超大作《吹奏楽のための協奏曲》なども、東西双方で演奏される(もちろん原曲ノーカットで)。
曲目の詳細は各楽団のサイト(文末にリンクあり)でご確認いただきたいが、ちょっと目を引く曲が、東京(シエナWO)の曲目にある。
それが、《故郷(ふるさと)の春》(高昌帥編曲)である。韓国を代表する童謡で、”第二の国歌”と呼ぶひともいる。北朝鮮でも歌われているらしいので、”朝鮮半島を代表する童謡”といってもいいかもしれない。「わたしの故郷は花の里……あのこどもの日々が懐かしい」と、生まれ故郷を懐旧する曲で、日本の唱歌《故郷》のような、素朴で美しい曲である。
まさか、この曲が、日本のプロ吹奏楽団の定期演奏会で取り上げられるとは、夢にも思わなかった。実は、わたしは、当日のシエナWO定期演奏会のプログラム解説を執筆したのだが(当日、簡単な解説トークも予定)、紙幅の都合で、概要しか書けなかった。ここでもう少し詳しく、この曲と作曲者をご紹介しておきたい。
作曲したのは、洪蘭坡〔ホン・ナンパ〕(1897~1941)。
大正から昭和にかけて、日本と朝鮮で活躍した作曲家。さらには朝鮮で最初のヴァイオリン奏者。小説家でもあった。とにかく”発信力”の旺盛なひとだったようだ。
彼は、YMCA中学部で声楽やヴァイオリンを学び、幼少期より音楽を愛好した。だが中学入学直前の1909(明治43)年に、安重根による伊藤博文暗殺事件が発生、翌年に日韓併合が正式に発布される。多感な少年は、必然的に独立運動に心を寄せるようになった。
1918(大正7)年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の予科に入学。翌年に通称「三・一運動」が発生し、宗教指導者や知識人たちが、日本からの自主独立を宣言する。これは全国規模の運動となり、日本官憲が大々的な弾圧に乗りだして多大な犠牲者が出た。洪蘭坡もすぐに帰国し、運動に参加する。これ以降、彼は、日本官憲に目をつけられ、何回となく逮捕・拘禁・拷問され、次第に健康を害するのである(東京音楽学校の本科からも進学を拒否された)。
このときに生まれた彼の代表作が、有名な歌曲《鳳仙花》である(金享俊作詞)。これは、以前に書いていたヴァイオリン曲《哀愁》に、学友が詩をつけたものだ。「垣根に咲く鳳仙花 哀しいその姿」と、雨風に耐えて咲く花をうたった曲で、自然と、独立運動の象徴歌のようになった。
この曲は、日本でも加藤登紀子がうたっているので、ご存じの方も多いと思う。
やがて東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)に入学。その一方で、新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)でもヴァイオリンを弾いた。アメリカのシンシナティやシカゴにも留学した。帰国後は、ヴァイオリン3丁による「蘭坡トリオ」を結成し、様々な曲をピアノ伴奏で演奏した。ジャズにも早くから取り組んでいる。
その間、保育学校の教員時代に、童謡をたくさん作曲した。それらは、1929~31年に刊行された、彼の『朝鮮童謡百曲集』にまとめられている。そのなかの1曲が、今回演奏される《故郷の春》である(李元壽作詞)。それまで、朝鮮半島には、子どものためにつくられた「童謡」は、まだ少なかったという。
この曲を、高昌帥が、“クラリネット・ソロと吹奏楽による協奏曲”スタイルで編曲した。冒頭、《故郷の春》の美しい旋律がクラリネット・ソロによってシンプルに奏でられる。やがて超絶技巧の変奏となり、カデンツァ~クライマックスになだれこむ。
初演は、京都市交響楽団のクラリネット奏者・玄宗哲のソロ、編曲者自身が指揮する大阪朝鮮吹奏楽団だった。今回は、シエナWOのコンサートマスター・佐藤拓馬がソロをつとめる。素朴な響きが、壮大に発展変容する編曲の面白さを、ぜひ、多くの方々に味わっていただきたい。
ちなみに、《鳳仙花》も《故郷の春》も、ともに日本のカラオケに入っている。
ところで、洪蘭坡は、音楽活動をつづけながらも、その間、独立運動から離れることはなかった。そのため、1937年に拘留され、2カ月以上におよぶ拘留、取り調べ、拷問を受けた。釈放されたときには、かつて患った肋膜炎が再発。以後、回復の見込みもなく、療養、入院生活をおくるが、1941年8月、44歳の若さで亡くなるのである。
そんな洪蘭坡だが、つい最近まで、韓国では演奏禁止だった。盧武鉉〔ノ・ムヒョン〕大統領が、在任中の2003~08年に、日本統治下時代の“親日派”と、その子孫を徹底的に排除する“親日派狩り”をおこなった。洪蘭坡は、その“親日派”名簿に名前が載っていた。かつて日本で活動し、軍歌や天皇を讃える歌をつくっていたことが問題視されたようだ。
そのため、一時期、《鳳仙花》も《故郷の春》もうたえなかった。洪蘭坡の生まれ故郷では、毎年「蘭坡音楽祭」が開催されていたが、名称変更を余儀なくされた。
その後、子孫の訴えにより、洪蘭坡の名は、“親日派”名簿からは除外されたようだが。
今度のコンサートでは、そのような背景に関係なく、純粋に音楽として楽しんでいただければいいのだが、それでも、作曲家も楽曲も、尋常ではない歴史の荒波をくぐりぬけてきたことは、ほんの少しでいいので、脳裏の隅においておきたい。
〈敬称略〉
【参考資料】
『禁じられた歌 朝鮮半島音楽百年史』(田月仙/中公新書ラクレ)
『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』(遠藤喜美子/文芸社)
□Osaka Shion Wind Orchestra公式サイトは、こちら。
□シエナ・ウインド・オーケストラ公式サイトは、こちら。
□加藤登紀子のうたう《鳳仙花》は、こちら。
□《故郷の春》は、こちら。
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