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2022.08.09 (Tue)

第360回 石田民三と地唄《雪》

むかしの歌+石田民三
▲【左】映画『むかしの歌』~〈左より〉山根寿子、花井蘭子
  【右】映画監督・石田民三
(出典:ともにWikimedia Commons)


 先月、東京・京橋の国立フィルム・センター(NFAJ)で、小特集上映「没後50年 映画監督 石田民三」があった。
 石田民三(1901~1972)とは、戦前の映画監督。
 特に昭和初期(1930年代)、東宝京都を中心に、「花街・芸妓映画」の傑作を続々生んだ鬼才で、市川崑の師匠でもある。
 世情や男社会の犠牲となった女性の悲哀を描くのが得意だった。
 幕末~維新を舞台にした作品では、薩長軍が京都や江戸に迫るなか、運命を翻弄される芸妓たちの姿を、愛情込めて描いた。
 なかでも、『花ちりぬ』(昭和13年)、『むかしの歌』『花つみ日記』(昭和14年)の「花街三部作」は、わたしが熱愛する作品群で、名画座での上映には必ず駆けつけている(もちろん、今回も上映された)。

 いまなら、これらを「元祖フェミニズム映画」などと呼ぶのだろうが、石田の場合は、”芸妓フェミぶり”が尋常ではなかった。
 今回の上映にあわせ、「NFAJニューズレター」2022年7~9月号に、映画研究者の佐藤圭一郎氏が、「石田民三小伝」を寄稿している。
 それによれば、石田は、かねてより京都花街の上七軒に入り浸り、「上七軒の主」として有名だった。
 学生時代から江戸文学を愛好し、「女の子に小唄を唄わせ偶には自分も唸ったり」した。
 やがて上七軒の芸妓と結婚し、妻の営むお茶屋から撮影所に通ったという。
 花街は、石田にとって人生そのものだったのだ。

 そのことが如実にわかるのが、名ラスト・シーンで知られる、『むかしの歌』(昭和14年)である。
 舞台は、維新直後の、大阪の老舗廻船問屋。
 ここの一人娘、お澪(花井蘭子)は、何不自由なく育ち、三味線や地歌などの芸事を身につけた、なかなか気の強い娘だ。
 だが実は、父親が妾に産ませた娘で、いまの母とは生さぬ仲である。
 あるとき、街中で没落士族の娘と知り合うが、その母が自分の実母であるとわかって……。
 いままで何の悩みもなく育った娘が、実母と異父妹を知り、愛憎入り混じりながら、なんとか彼女たちとの絆を取り戻そうとする。
 そんな難役を、当時21歳の花井蘭子が見事に演じている。
(妹を演じた山根寿子は当時18歳。この2人は、わたしが溺愛する昭和の名女優で、その若き日の共演とあって、本作はわたしのベスト級邦画となっている)

 廻船問屋を経営する父親は、全財産を西郷隆盛関連株への投機にまわしていた。
 それゆえ、西南戦争で西郷が討たれるや、一夜にして破産してしまう。
 結果、お澪は芸妓として身を売ることになる。
 幼馴染みの許嫁とも破談となった。
 ここで涙を誘うかと思いきや、もともと気丈な性格のせいか、お澪は意外とあっさり振る舞っている(ここが石田演出のうまいところ)。
 ラスト・シーン、家財が競売にかけられているなか、家族の見送りも断り、たったひとり、裏の勝手口から、お茶屋の迎えの人力に乗り込むお澪。
 外は、雪が降りはじめている。
 そのとき、そばの物陰から、実母がじっと見ているのに気づく。
 しばらく見つめるお澪だが、にっこりと笑みを返す。
 時代は変わった。
 自分は芸妓として第二の人生を歩む。
 かつて自分を生んで捨てた実母を、ようやく彼女は許したのだ。
 そして人力に乗り込むと、まっすぐ前を見て、表情を変える。
 ここでお澪が口ずさむのが、地唄《雪》だ(時々「小唄」と書かれるが、そうではない)。
   〽花も雪も 払へば清き 袂かな
    ほんに むかしの むかしのことよ

 この瞬間、観客は、題名『むかしの歌』の意味を初めて知るのである。
 カメラは、無表情で《雪》をうたうお澪の顔を、ずっと追っている。
 人力のガラガラいう音だけが響き、BGMなども一切ない。
 ただひたすら、花井蘭子の顔と《雪》だけで、そのまま「完」となる。
 あまりに見事な幕切れである。
 石田民三は、「新時代」が、古き良き「むかし」を葬り去ってしまう不条理を、地唄《雪》を用いて描いた。
 こんなすごい”音楽映画”が、太平洋戦争前の昭和14年につくられていたのだ。

むかしの歌+地唄舞
▲【左】映画『むかしの歌』~〈左より〉藤尾純(お澪の許嫁役)、花井蘭子(お澪役)
※藤尾純は戦前~戦後にかけて活躍した俳優で、女優・中原早苗の父(つまり、映画監督・深作欣二の義父)
  【右】地唄舞《雪》(国立劇場公演より。注=武原はんではありません)
(出典:ともにWikimedia Commons)


 地唄《雪》は、天明時代(18世紀後半)に生まれた上方地唄の名曲で、かつて芸妓だった女性が、年老いて盲目の尼僧となり、昔日をしのぶ唄である(どこか『卒都婆小町』を思わせる)。
 後年、名舞踏家、武原はん(1903~1998)の地唄舞によって、有名になった。
 白装束に傘で、ゆっくりと舞う演出は、彼女が創始したといわれている(その姿を描いた小倉遊亀の日本画『雪』も有名だ)。
 彼女の随筆・句集『武原はん一代』(求龍堂、1996)によると、宗右衛門町の芸妓学校時代、11歳のころ(大正3年ころ)、見よう見まねで《雪》を舞っていたのを師匠が見て、山村流の上方舞を教わるようになったのだという。
 本格的に舞うようになったのは、東京に出てきてからの昭和7年以降のようで、谷崎潤一郎が好評を寄せた。
 谷崎は、『細雪』で、山村流を習っている四女・妙子が、《雪》を舞う場面を書いているばかりか、《雪》にまつわる随筆も発表しており、かなり愛好していたフシがある。
 それらのルーツは、武原はんにあったような気もする。
 もしかしたら、石田民三も、武原はんが舞う《雪》を見ていたかもしれない。

 先の「小伝」によれば、石田民三は、戦後、映画界を引退し、花街・上七軒の復興に尽力した。
 1946年に上七軒芸妓組合を結成、1952年に「北野をどり」を創始、1972年に亡くなるまで、座付作者・演出家として活躍したとある。
 現在の北野天満宮前、上七軒歌舞練場が、春の「北野をどり」や、夏のビアガーデンで知られる名所となっていることは、いうまでもない。
 その陰に、花街を愛した元映画監督がいたのだ。
      
   雪降れば嵯峨野如何にと尼思ふ  武原はん
〈一部敬称略〉

映画『むかしの歌』 (YOUTUBE:約1時間17分)
全編を視聴できますが、画質・音質は低劣です。
本文で紹介したラスト・シーンは、1:14:00あたりから。

武原はん 地唄舞《雪》(YOUTUBE:30分)
NHKの映像で、昭和37年、武原はん59歳のときの《雪》が観られます。


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