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2022.10.13 (Thu)

第364回 新刊紹介『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』


カーザ・ヴェルディ (2)
▲藤田彩歌『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』
 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)


 もう20年以上前のことになるが、イタリア・ミラノにある「カーザ・ヴェルディ」に行ったことがある。オペラCDブック全集の解説原稿のための取材だった。
 いまは亡き、オペラ研究家の永竹由幸さんのガイドで、約2週間かけて、イタリア国内の、ヴェルディとプッチーニゆかりの場所のほとんどを、大特急でまわった。
 
 「カーザ・ヴェルディ」(ヴェルディの家)は、大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが建てた、引退した音楽家のための養老院で、正式名称は「音楽家憩いの家」という(ヴェルディは自分の名を冠することを許さなかった)。
 取材の主目的は、館内にある、ヴェルディのお墓だった。

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※そのお墓は、教会内にあった。ヴェルディ自身は、若くして死別した最初の夫人マルゲリータと一緒の棺に眠っており(写真)、横に二番目の夫人ジュゼッピーナの棺が並んでいる。さらに、墓参者の足許には最期を看取った愛人で大歌手のテレサ・シュトルツ(《アイーダ》イタリア初演歌手)が眠っている(ただし、墓参者には見えないので、ほとんどのひとが気づかない)。2人の夫人どころか、愛人までも一緒にしてあげる、イタリア人のヴェルディに対する思いに感動した。【写真:Wikimedia Commons】

 「養老院」というから、てっきり郊外の人里はなれた場所にあるのかと思ったら、市の中心部近くにあった。地下鉄駅も目の前だし、「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会や、スカラ座にも、歩いて行ける距離だった。
 館内は、建物も庭も実に美しく、清潔感に包まれて、ひっそりと静まりかえっている。ここにひとが住んでいるのだろうかと思わされる静けさだった。日本の高齢者施設は、必ず、食堂の調理の匂いか、病院特有の薬品の匂いが漂っているものだが、それもいっさい、感じられなかった。

 ところが、庭に入ると、建物の向こうから、チェロと思しき弦楽器とピアノの響きが聴こえてきた。「引退した」音楽家のための養老院で、ナマ演奏が聴こえる…いったい、誰が演奏しているのだろう…入居者だろうか…それにしてはしっかりした響きだった…一瞬、建物の奥へ行きたくなったが、入居者の生活圏内にまでは入れない(ヴェルディのお墓は、自由に墓参見学できる)。
 3人の女性と共に眠るヴェルディのお墓をあとに、不思議な気分のまま、施設をあとにしたのを覚えている。

 そんな「不思議な気分」が、本書によって30年ぶりに解決した。
 これは、イタリアに留学し、2015年から「カーザ・ヴェルディ」で暮らした日本人声楽家(メゾ・ソプラノ)、藤田彩歌さんによる、日記スタイルのエッセイである。
 なんと、この「養老院」は、たしかに「引退した元音楽家」のための施設だったが、16名までの「若手音楽家」の入居が認められているのだという。具体的には、スカラ座アカデミー、ヴェルディ音楽院、ミラノ市立音楽院の学生に権利があり、著者の場合は、ヴェルディ音楽院大学院オペラ科に在籍していることで、入居できることになった。
 費用は、バス・トイレ付き個室、食費・光熱費込み、練習室使用など含めて600ユーロの安さだ(いまだったら85,000円くらいか)。
 かくして著者は、大学院に通いながら、元音楽家の老人たち70数名(「元一流音楽家」としての審査を通過した、77~106歳!)とともに「カーザ・ヴェルディ」で暮らすことになった。

 わたしは、父と、2人の伯母の計3人が高齢者施設に入っていたのでよくわかるのだが、ここで紹介される「カーザ・ヴェルディ」の、日本の施設とのちがいには、呆然とさせられた。
 ここは、一種の自立型施設で、最低限、自分で生活できる老人が入居しており、職員もすべて通いである(介助付きの「隔離ゾーン」だけは別で、動けなくなると、そこへ入る。誰もがそこへ送られたくなくて、懸命に「ひとり」で生活している)
 室内清掃は専門の掃除人がやってくれるが、しばしば、掃除のたびに室内からモノがなくなっていく。だが施設側は関知しない。すべて入居者の責任で対応するしかない。

 館内にはピアノ付きの音楽練習室がたくさんある。いまでもここでレッスン教室を開いている入居者がおり、予約の取り合いで、よく揉める。しかも防音設備が皆無なので、音を出すと、館内中に聴こえてしまう(だから私の耳にも入ってきたのだ)。よって、あまり恥ずかしい演奏をすることはできない。
 パーキンソン病の元ホルン奏者が、毎日練習して病気と闘っている姿には感動させられる(わたしの父も同じ病気だった)。
 ただし、入居者が逝去した場合は、葬儀終了まで、館内で音を出すことはできない。

 食堂にはシャンデリアが下がり、高級レストランそのもの。入居者は、ここで三食を、毎回ほぼ「正装」で楽しんでいる。ただし、席次が決まっているため、気に食わないひととおなじテーブルになるのが嫌で、文句をいっている入居者もいる。料理もすべてが入居者の口に合うものではないようで、「料理人を変えろ」と訴えているひともいる。

 そして…なんと2階には「コンサート・ホール」がある! 入居者のコンサートもあれば、外部から演奏家が来ることもある。
 以前、ここで学生の声楽マスタークラスの発表会があった際には、元ベテラン・ソプラノ歌手の入居者が「ブーイング」をぶちかましたという。おそろしい養老院だ! 学生だからといって容赦しないということか。それだけプライドがある、現役音楽家の意識でいる入居者が多いのだろう。

 ここでは、運営側の押しつけはほとんどなく、入居者が好きなように、自分の考えで暮らしている。施設側が広報冊子を発行しているが、発行者(施設長)が気に食わなくて、独自で冊子をつくっている入居者もいる。趣味に徹し、アクセサリーやニットづくりに精を出し、自室で教えているひともいる。
 ちなみに著者も、元ベテラン歌手の入居者に特別レッスンを受けたりしている。そして、入居者仲間で指揮者・作曲家のメキシコ人男性と結婚する(その過程があまり詳しく書かれていないのが残念!)。「カーザ・ヴェルディ」は、老人仲間だけでなく、伴侶までをも与えてくれたのだ。

 以上でおわかりのように、「カーザ・ヴェルディ」は、決して理想郷ではない。運営側の指示に従い、おとなしく暮らしている入居者は少ない。
 だが、人間は、何歳になってもトラブルへの対応によって鍛えられ、エネルギーにつなげてしまう生き物であることがわかる。だから、読んでいると元気が出てくる。この歳までがんばってきた、だから残りの人生は、わがままに生きていいのだ。無理してまわりに合わせたり、若者の言うことを聞く必要もない。
 そんなことを、多くの写真とユーモアで教えてくれる本である。

◇藤田彩歌『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』
 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)はこちら。一部立ち読みあり。


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