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2022.12.06 (Tue)

第370回 【新刊紹介】「まじめ」に生きることが、新しい時代を生む――朝ドラのごとく気持ちのいい音楽本!

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▲『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団~』


今年度(2022年度)前期のNHK朝ドラ『ちむどんどん』は、世評どおりのドラマだった。あまりのひどさに、最後は観るのをやめてしまった。
それに対し、現在放映中の後期作品『舞いあがれ!』は、とても気持ちのいい内容で、何度か涙ぐむ場面もあった。
このちがいは、何なのか。
ひとことでいうと、劇中人物が「まじめ」に生きているかどうか、だと思う。

前者は、誰もが生き方が場当たりで、「ふまじめ」だった。作者は面白くしたつもりだろうが、倉本聰のことばを借りれば「快感はあるが、感動はない」ドラマだった。
だが後者は、誰もが「まじめ」に生きている。小さな町工場を経営する家族、人力飛行機に奮闘する学生たち。
結局、わたしたちは、「まじめ」に生きている人間の姿に、感動をおぼえるのである。

本書は、クラシック音楽界における女性の活躍が歓迎されない時代に、多くの困難をぶち破って女性だけの交響楽団を組織した「女性指揮者」エセル・スタークの、「まじめ」な生涯を描いた、まさに朝ドラのようなノンフィクションである。

1910年、モントリオールに生まれたユダヤ系カナダ人、エセル・スタークは、幼時からヴァイオリンに素晴らしい才能を示し、17歳でカーティス音楽院に入学する。だが、交響楽団は、男の世界であった。
この学校でエセルは、「専制君主」「暴君」と呼ばれていた指揮者、フリッツ・ライナーの指揮法の授業に興味をもつ(冷酷無比な挿話だけで1冊の本になりそうな、超個性派指揮者である)。
だが、ライナーは「男性のオーケストラを率いる女性リーダーに将来性などあるはずがない」と、受講させない。
ところがエセルは、平然と教室に入り込む。

〈ライナーは彼女の姿を目にしてたいそう驚き、なぜここにいるのかと問いただして退席を求めたが、エセルは動じなかった。男子学生に囲まれたまま、自分の椅子から動かなかった。(略)ライナーはエセルのしぶとさをおもしろがって聴講を認めたが、(略)どうせ実際に「女性指揮者」になるつもりなどないだろう、と考えたからにすぎない。(略)こうして、エセル・スタークはカーティス音楽院で指揮法の受講を認められたはじめての女性となった〉

このシーンなどは、もし映画化されたら、最初の山場となって、必ず予告編に使用されるだろう。あのフリッツ・ライナーに18歳の娘が立ち向かったのだ! なんとも痛快なエピソードである。

その後、エセルは、ニューヨークに出て、女性だけの小オーケストラに入団するが、ここは軽音楽をやるポップス楽団で、しかも、相変わらず「女性」を売り物にしていた。
女性だけで、クラシックを本格的に演奏するフル編成の交響楽団をつくりたい——やがて、エセルは、強力なマネージメント役の女性と知り合い、「モントリオール女性交響楽団」(MWSO)を結成する。

そのために、カナダ各地から入団希望者が集まってくるシーンは、前半の読みどころで、壮観である(映画『七人の侍』で、個性豊かな侍たちが一人ずつ集まってくる、あの感じに近い)。
当時、女性弦楽器奏者はいくらでもいたが、問題は、木管・金管・打楽器奏者だった。トロンボーンやティンパニを演奏できる女性は、皆無だった。
しかし好奇心旺盛な女性たちは、続々とそれらの楽器を志望し、指導を受けるようになる。

そのなかで、もっとも感動させられるのは、黒人でピアノが好きなヴァイオレット・ルイーズのエピソードだ。彼女は、クラリネットを担当した(それがいちばん安い楽器だからだった)。当時は、女性管楽器奏者というだけで眉をひそめられた時代で、しかもモントリオールには黒人差別が残っていた。ヴァイオレットもこどものころから白人に「黒んぼ!」と罵られる毎日だった。
だが、エセルは、人種も肌の色も気にしなかった。音楽を愛する気持ちさえあれば、どんな女性でも受け入れた。楽団員にも、誰一人、そんなことをあれこれ言うものはいなかった。
本書には、多くの写真図版が掲載されているが、ヴァイオレットがクラリネットを演奏しているアップ写真もある。ほかにも、ステージで全楽団員が演奏している写真をよく見ると、中央ひな壇の木管楽器セクションで、ひとりだけ、肌の黒い女性がクラリネットを演奏している。
彼女こそは、〈カナダの交響楽団で正規団員として演奏した最初のカナダ黒人〉だった(最終章で、取材時87歳で健在だったヴァイオレット本人が登場する)。

1940年7月、MWSOデビュー・コンサートが開催された。エセルが協力者と会って結成を決意してから、わずか半年後のことだった。会場には5,000人もが詰めかけ、2,000人が入れなかった
曲目に驚くなかれ。ベートーヴェン:《コリオラン》序曲、バッハ:弦楽組曲(管弦楽組曲第3番?)、モーツァルト:交響曲第31番《パリ》、サン=サーンス:組曲《動物の謝肉祭》全曲……!

指揮はもちろんエセル・スタークである。
本書は、書名(原題の直訳)も装幀も、品があって落ち着いているので、おそらく、カバーのエセルの写真を見て、優雅なお嬢様指揮者を想像するかもしれないが、それは大まちがいである。
本書のP160~161に、鬼の形相で指揮するエセルの写真が載っている。おそらく、これが真の姿だろうと思う。その表情は、どう見ても、プロのベテラン指揮者を思わせる凄まじさだ(この写真をカバーに使ったら、ちがった雰囲気の本になって面白かったかもしれない)。

本書後半の白眉は、ニューヨークのカーネギー・ホールにおけるコンサートだろう。
途中、挫折しかけるが、1947年10月、このクラシックの殿堂で、夜行列車でやってきた80人の女性が、ウェーバー:《オイリアンテ》序曲、現代作曲家の新作初演、リヒャルト・シュトラウス:《死と変容》、チャイコフスキー:交響曲第4番などを演奏したのだ。クラシック・ファンだったら、この曲構成には感嘆するはずだ。
翌日の新聞評は、どこも大絶賛だった。

やがて、MWSOは、次第に活動を縮小していく。
その過程は、残念でもあるが、読んでいて、決して寂しさはおぼえない。なぜなら、もう後年には、どこのオーケストラも、女性を雇用するようになったからだ。エセルの役割は、終わったのである。
しかも、MWSOの奏者たちは、各地のプロ・オーケストラに招かれて、見事に花を咲かせていた(ボストン交響楽団で初の女性首席フルート奏者は、MWSO出身だった!)。

MWSOの評価が高まったころ、あのフリッツ・ライナーが、エセルを、ピッツバーグ交響楽団のコンサート・マスター(ミストレス)に誘ってきた。もし実現していたら、アメリカ音楽史上初のコンミスが誕生していたのだが、彼女はMWSOのほうが大切だと、断っている。
ちなみに、エセル自身は、生涯、独身を通し、音楽活動に従事しながら、2012年に「101歳」で亡くなったという。

読んでいると、「まじめ」に生きることが、新しい時代をつくるのだと、よくわかる。これほど気持ちのいい音楽本は、ひさびさだった。
ただひとつ残念なのは、なにぶん、よその国の実話なので、この物語を日本で朝ドラにできないことである。

【本稿は、「本が好き!」に投稿した書評を転載したものです】

『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団~』マリア・ノリエガ・ラクウォル/藤村 奈緒美訳(ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス)

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。

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