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2023.02.09 (Thu)

第379回 ある洋食店の閉店

★外見とあいさつ
▲閉店した「イコブ」三崎町店

あたしが会社に入社したのは、1981(昭和56)年4月のことだった。入社してすぐ、先輩から「夕食に行くぞ」と誘われ、近所の洋食屋に連れていかれた。
それが、レストラン「IKOBU」(イコブ)天神町店だった(地下鉄東西線「神楽坂」駅のすぐそば)。安くてうまいだけあり、毎晩、「夜の社員食堂」と化していた。

会社で打ち合せ後、作家とここで食事をする編集者も多かった。
あたしが担当していた演出家の故・和田勉さんも大のお気に入りで、よく夕刻に来社されていたが、実は、そのあとの「イコブ」のほうが目的だったフシがある。焼酎のお湯割りと「カレー味の洋風揚げ餃子」が大好きで、「ガハハおじさん」だけあって、酔うにつれて大音声となり、さすがに店長に「もう少し、お声を低く…」と諭されたことがある(一緒に新幹線に乗ったときも、車掌に同じことをいわれた)。
また、あえて名前はあげないが、ある大ベストセラー作家が、「イコブのビーフカツがおいしかった」とエッセイに書いて、一時、女性客が押しかけたこともあった。

★マッチ裏表合体
▲最大6支店あったころのマッチ

実は、初めてその店へ行ったとき、妙な「既視感」を感じたことを、いまでも覚えている。店内のつくりや、店名ロゴデザイン、料理の味(特にカツカレー)……前から知っているような気がした。
そこで、マッチの函を裏返してみると、いくつかの支店名が書かれていて、いちばん上に「三崎町店」とあるではないか!
実はあたしの通った大学は三崎町(水道橋)にあり、学生時代、「イコブ」三崎町店には、何度か行ったことがあった(ただし、学生には贅沢な店だったので、そう何度も行けたわけではない)。
「イコブ」天神町店は、そことおなじ系列の店だったのだ(正確には暖簾分けのような別経営)。
かくしてあたしは、学生時代からひきつづき、今度は「イコブ」天神町店で呑み、食べ、出前の弁当をとり、大晦日には「イコブ謹製洋食おせち」を受け取りに行く、そんな食生活が続いた。

だが残念ながら、天神町店は2011年夏に閉店してしまった。しかし、その間、三崎町店にもふたたび通い出していたので、結局、その後は三崎町店で、ほぼおなじ味の食事をいただきつづけることになった。
たまたまその三崎町店マスターのご自宅が、あたしの家のすぐそばだとわかると、娘も親近感をおぼえて一緒に行くようになり、なんだか家族食堂のような気になっていた。

★田酒とトマトカルパッチョ
▲名酒「田酒」と、トマトのカルパッチョ

マスターの親族に青森の方がおり、そのルートで、青森のいい日本酒が恒常的に入るとあって、あたしのような呑兵衛にもたまらない店だった。お燗はちゃんと「湯灌」で人肌につけてくれるし、いまではどこでも手に入る屋久島の焼酎「三岳」など、東京では珍しかったころから置いていた。
そのほか、サントリーの「角」ハイボールはもちろん、「白州」「山崎」などもあって、洋食屋なのか居酒屋なのかバーなのか、わからなくなることも、しばしばだった。

冬には、わがままをいって、メニューにない「洋風ねぎま鍋」をやってもらった。かつて天神町店で人気があった「カレー鍋」を再現してもらったこともある。あたしは、これまたメニューにない、「おつまみ風豚バラ肉の生姜焼き」をよくやってもらった。酒の最高のツマミだった。
おそらく、水道橋周辺に長くいる方だったら、このお店のランチ(特にスタミナサラダ定食)や、マスターが原付バイクで配達してくれる「洋食弁当」「イコブ弁当」を知らないひとは、いないだろう。

そんな「イコブ」三崎町店が、1月半ば、予告もなく突如閉店してしまった。
シェフのUさんが突然の病で急死されたのだった。小さな店なので、シェフはUさんひとりで、フロアと弁当配達をマスターとアルバイト数名でこなしていた。そのシェフが急死してしまったのだ。

Uさんは、あたしと同年の65歳。以前より腰を痛めたり、胃を病んだりしてはいたが、それにしても、いつも陽気で、まだまだ大丈夫だと思っていたのだが。
Uさんは、天神町店にもいたことがあるので、あたしは、彼の料理を40年以上にわたって、食べてきたことになる。しっかりした味つけなのに、決してしつこくなく、いかにも「昭和の洋食」だった。
だがマスターはいつも「デミグラスソースの焦がし方が足りないんだよね。もっと焦がして苦みを出せと言ってるのに」と文句を言っていた。
普通、デミグラスソースのレシピでは「焦がしすぎると苦みが強くなってまずくなる」と書かれている。なのに「もっと焦がせ」という。おそらくマスターは、むかしの「昭和の味」を求めていたのだろう。
だがUさんは、その中庸をうまく切り抜けて、おいしい料理をつくってくれていた。

★カツカレーとスタミナサラダ
▲(左)カツカレー(これは小ライス)、(右)スタミナサラダ定食(たっぷりの生野菜+豚バラ焼きで、女性に大人気だった)

外見に似合わず(失礼!)、Uさんはイージー・リスニングの巨匠、マントヴァーニ・オーケストラの大ファンだった。おそらく国内盤CDは、すべて持っていたのではないか。一度、「マントヴァーニ・ベスト10」を挙げてもらったことがあるが、あれなど、キチンとメモをとっておくべきだったと、音楽ライターとしては後悔しきりである。

都内の老舗洋食店では、近年、有楽町「レバンテ」が閉店している。松本清張『点と線』に登場したレストランである。
神保町では、餃子の老舗「スヰートポーヅ」や、映画・ドラマのロケで有名な居酒屋「酔の助」も閉店した。
神楽坂では、巨人・松井ファンで有名な居酒屋「もー吉」、終戦直後からつづく甘味処「紀の善」が閉店した。
飲食店だけではない。東急百貨店本店の閉店で「MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店」も閉店し、3月には「八重洲ブックセンター本店」も閉店する。
日本最古の週刊誌「週刊朝日」は5月で休刊となる。

理由は、みなそれぞれだが、「昭和」がどんどん遠くなる。むかしを懐かしがってばかりいてもどうしようもないのだが、江戸・東京で代々暮らしてきた家の人間としては、正直いって、哀しくて、つらい。
あたしにとって、「イコブ」三崎町店は、その最後の砦だったのだが。
52年間、ありがとうございました。
Uさんのご冥福をお祈りします。


※「イコブ」は、現在、飯田橋店が、最後の一店として営業しています。
ここも、とてもおいしい人気店ですので、ぜひ行ってください。
(メニューやお味は三崎町店とおなじではありませんが、共通する「何か」は十分感じられます)。

◇オンライン講座「新潮社 本の学校」で、エッセイ教室の講師なんぞをやっております。
冒頭(第1回)約15分が無料視聴できますので、よろしかったら、ご笑覧ください。

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