2016.03.15 (Tue)
第157回 さようなら、女川さいがいFM

▲かつて、ここは住宅街だった。宮城県名取市閖上地区(2011年4月末、筆者撮影)
私は、子どものころからのラジオ好きが高じて、いまではコミュニティFMの音楽番組にかかわっている。
それだけに、「ラジオ局」がなくなるとのニュースには、身を切られるような思いがする。
この3月末、東北から、いくつかのFMラジオ局が消えようとしている。
◆ ◆ ◆
2011年3月11日の東日本大震災後、岩手・宮城・福島の3県を中心に、多くの「臨時災害放送局」(通称「災害FM」)が開局した。
地元密着の、被災・復興・安否情報などを放送するミニFM局である。
1995年の阪神淡路大震災を機に、放送法が改正され、大災害時、「臨時かつ一時」で、「被害の軽減に役立つ放送」であれば、「災害対策が進展し、被災者の日常生活が安定する」までの限定で、ミニFMを開局できることになった。
手続きは、災害時に口頭申請すると(電話でも可)、その場で周波数が割り当てられ、即日開局できる(ただし、後日、正式手続きが必要だが、電波利用料や音楽著作権使用料は、一定期間、免除される)。
出力も、コミュニティFMが20W上限なのに対し、「他局の放送に支障を及ぼさない範囲内」であれば、制限はない(実際は20~50W前後が多いようだ)。
そんな「災害FM」が、東日本大震災では「26局」に達した。
災害FMの放送免許は、市町村などの「自治体」に対して交付される。
交付後、局を直営する自治体もあれば、地元有志やNPO法人などに運営を委託する自治体もある。
(既存のコミュニティFMが、自治体と組み、出力をアップして一時的に災害FMに移行するケースも多かった)。
(ちなみに、「コミュニティFM」は、民間企業のほか、第三セクターやNPO法人による運営が多く、細かい審査が必要。要するに小規模な「民放ラジオ局」である。現在、北海道から沖縄まで、約300局が開局している)
◆ ◆ ◆
災害FMの運営には、自治体の補助、地元企業のスポンサー提供などのほか、日本財団、赤い羽根共同募金、大手民間企業(資生堂、パナソニックなど)の支援があった。
たとえば日本財団からは、開局から4か月限定ではあったが、新規開局に50万円、月上限150万円までの運営補助があった。
このほかに大きかったのは、政府による「緊急雇用創出事業」補助金である。
政府は、震災後5年間を「集中復興期間」と定め、上記補助金を交付してきた。
その一部を、災害FMの運営補助にあてる自治体が多かった。
しかし、その補助金も、この3月末で終了する。
つまり、震災後5年目となる2016年3月末は、災害FMにとって、大きな節目なのだ。
補助金がストップする4月以降、十分な運営資金が確保できていない局は、実質、運営不可能だ。
実は、震災で開局した26局のうち、すでに多くが閉局となっている。
中には、以前のコミュニティFMに戻った局もあれば、「役割を終えた」とする局もあった。
新聞報道や、サイマル・ラジオのウェブサイト(コミュニティ・サイマル・ラジオ・アライアンス運営)などによれば、現在開局しているのは、おおむね下記の「10局」のようである(サイマル・ラジオに参加していない局もあるようなので、正確ではない)。
かまいしさいがいFM(岩手県釜石市)
陸前高田災害FM(岩手県陸前高田市)
おおつちさいがいFM(岩手県大槌町)★
けせんぬまさいがいFM(宮城県気仙沼市)
けせんぬまもとよしさいがいFM(宮城県気仙沼市本吉地区)
女川さいがいFM(宮城県女川町)★
FMあおぞら(宮城県亘理町)★
りんごラジオ(宮城県山元町)
南相馬ひばりFM(福島県南相馬市)
おだがいさまFM(福島県富岡町)
上記のうち、私が見聞きしている限りでは、★印の3局が、3月末で閉局が決定しているようだ。
(ほかの局も、あくまで一時的な「暫定延長」がほとんど)
中には、コミュニティFMへの移行を模索した局もあったようだが、運営資金不足で、ほとんどが不可能だったようである。

▲2011年4月末、気仙沼港(筆者撮影)
◆ ◆ ◆
災害FMやコミュニティFMの多くは、地域外でもネットで聴ける。
私は、この中では「女川(おながわ)さいがいFM」をよく聴いている。
私自身、震災後1か月目に、取材で東北3県を回ったが、特に女川町には行っていない。
なのに、なぜ、この局を聴いてきたのかというと、番組づくりや、FM局としてのたたずまいが、とても好きだったからだ。
災害FMは、朝から夜までの、いわゆる通常生活時間内に、合間に音楽などを流しながら、自治体の広報をシンプルに伝えるスタイルが多い。
ところが「女川さいがいFM」は、週7日24時間放送で(もちろん、再放送が多い)、J-WAVEやNACK5といった、メジャーFM局に近い聴きごたえがあった。
地元情報「おながわ☆なう」や、元女川中学教員による「佐藤敏郎の大人のたまり場~牡鹿半島フォークジャンボリー」、地元の水産加工業者たちによる「産地直送!女川かこうけんラジオ」などはとても楽しかったし、音楽番組「MUSIC STREAM」はセンス抜群の選曲だった。
他局(コミュニティFM)の番組も、ラジオ3(仙台市青葉区)制作の「川柳575便」、ラジオ石巻制作の「民謡列島めぐりIN石巻」など、面白くてためになる番組が多く放送されていた。
もちろん「災害FM」の性質上、バラエティ系番組でも、必ず被災・復興情報がある。
音楽も、癒しや励ましにまつわる曲が多い。
そのバランス感覚が見事だった。
一度も行ったことのない女川町だが、私は、ここ数年、ラジオを通じて、たいへん身近に感じていた。
◆ ◆ ◆
「女川さいがいFM」は、どのようにして始まり、運営されてきたのだろうか。
すでに、多くのメディアで紹介されているほか、2013年にはNHKで「ラジオ」と題してドラマ化されたので、ご存じの方も多いと思う。
宮城県牡鹿郡女川町は、石巻市の隣りにある、人口約1万人(震災前)の、漁業の町だ。
NHKの復興支援ソング《花は咲く》の冒頭フレーズを歌っている中村雅俊の出身地である。
震災では、高さ20メートルの大津波に襲われ、宅地・商業地の8割がさらわれた。
死者・行方不明者は1,000人近くにおよび、震災後、3,000人が町を離れた。
東北電力の女川原子力発電所は高台にあったので、最悪の事態は免れたが、JR石巻線「女川駅」が再開したのは、昨年3月である。

▲2011年4月末、福島県浪江町(筆者撮影)
当時、東京で勤務していた女川町出身の松木達徳氏は、自らも実家を流失した。
被災した故郷で、情報不足を痛感した松木氏は、災害FMの存在を知り、放送作家トトロ大嶋氏らの協力を得て、女川町と相談の上、開局に至った。
運営や番組制作は、松木氏らが募集した地元スタッフによってまかなわれた。
当初は2か月程度で閉局する予定だったらしい。
しかし、ほぼ全町民が仮設住宅へ移り、町内コミュニティが分断されたため、いつしかラジオ局が、それらを補う、重要な存在となっていた。
さらに多くのメディアで紹介されたこともあり、同局は、災害FMの象徴のような存在になった。
そこで、放送延長を決定し、町の広報のほか、復興・生活情報、小学校の運動会やイベントの中継、さらに、音楽番組やバラエティ番組を放送するようになった。
(NHKのドラマ「ラジオ」では、局自体が高校生によって運営されているような印象の描かれ方だったが)
◆ ◆ ◆
この3月上旬、マスコミは、一斉に震災5周年にちなんだ企画を連発した。
特に全国放送のテレビは、海岸で涙する人々や、仮設住宅生活での苦労ぶりを流し、「忘れてはいけない」「復興はまだこれからだ」「いつまでも語り継ごう」と、センチメネタルに訴え続けた。
だが、普段、災害FMを聴いていた私は、ずいぶんちがう印象を覚えた。
確かに復興はまだまだだ。
先月、日本大学法学部新聞学研究所が「東日本大震災が地域メディアに問いかけたもの」と題するシンポジウムを開催した。
そこで、「石巻日日新聞」常務の武内宏之氏は「ようやく今年が復興元年という感じがする」と発言されていた。
また、私は、福島県南相馬市が主宰するジュニア吹奏楽団「ゆめはっとジュニア・ウインド・オーケストラ」を、創設からの数年、ほんの少し、お手伝いしたのだが、最寄駅の常磐線はまだ復旧していない(2016年3月現在)。
よって5年たったいまも、現地へ電車でストレートに行くことは、できない。
かように、「復興」は、まだまだなのである。
しかし、言うまでもなく、地元の人たちは、すべてが涙に暮れているわけでも、「5周年」だからといって何か特別な日を送ったわけでもないはずだ。
私が「女川さいがいFM」で知った曲に《虹を架けよう》がある。
小柴大造が作詞作曲した復興支援ソングで、アップテンポの、1970年代フォークソングを思わせる曲調だ。
東北出身のアーティスト(さとう宗幸や遊佐未森など)が参加するBikkisが歌っている。
「女川から自転車飛ばして/君が住む石巻へ/ピーナツバターのサンドイッチを鞄に詰め込んだなら/そこはもう青春の街」と歌いだされる。
私は、浮世離れしているせいか、それまで、復興支援ソングといえば、《花は咲く》や、《あすという日が》くらいしか知らなかった。
だが《虹を架けよう》も、とてもいい曲で、聴いていると元気が出る。
震災に関係なく、ひとびとを励ましてくれる、素直な曲だ。
全国区レベルの人気曲ではないかもしれないが、災害FMでは、毎日のように流れていた。
あの曲のムードが、いまの東北をもっともあらわしていると信じたい。
ところが、そういうムードを全国放送のテレビや、大マスコミは、あまり伝えない。
どうしても、お涙頂戴が多くなる。
しかし災害FMには、お涙頂戴をやってる暇はないようだ。
「花は咲く」のを待つのではなく、いますぐ「虹をかけよう」と呼びかけている。
今月に入ってからの「女川さいがいFM」は、最終日に向けて、なんとも言いがたい内容の番組が続いている(ただし、どの番組も実に明るい)。
4月以降、残った7局は、いつまで存続するのだろう。
東日本大震災を「忘れてはいけない」と思う方は、ぜひ、残り少ない災害FMを聴いてほしい。
そして、「女川さいがいFM」をはじめ、災害FMを運営してきた(これからも運営する)東北の方々には、ラジオ界の片隅にいる人間として、心からのお礼とねぎらいを送りたい。
どうもありがとう。
(一部敬称略)
※災害FMやコミュニティFMは、サイマル・ラジオ経由で、パソコンやスマホで聴けます。
※上記で紹介した佐藤敏郎氏の番組は、4月から東北放送(TBC)で放送が継続することになったようです。
◆このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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