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2023.03.02 (Thu)

第385回 【新刊紹介】古代ギリシャ人の「ワインダーク・シー」を説く、画期的論考!

ホメロスと色彩
▲西塔由貴子『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会) ※リンクは文末に。

近年の吹奏楽の人気曲に、ジョン・マッキー(1970~)作曲、吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》がある。2014年にテキサス大学ウインド・アンサンブルが初演し、翌年、ウィリアム・レベル作曲賞を受賞している。
日本では、2015年度の全日本吹奏楽コンクールで、名取交響吹奏楽団(宮城)が全国大会初演し、金賞を受賞したことで注目を集めた。以後、全国大会だけで計9回登場の人気曲となっているほか、東京佼成ウインドオーケストラやシエナ・ウインド・オーケストラなども定期で取り上げた。CDも、現在、国内外あわせて十種以上が出ている。

ワインダーク・シー
▲CDも多い。これは、シズオ・Z・クワハラ指揮、フィルハーモニック・ウインズ 大阪(オオサカン)のもの(Osakan Recordings)。

曲は、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を3楽章(Ⅰ傲慢/Ⅱ不滅の糸、とても脆く/Ⅲ霊魂たちの公現)、40分近くをかけてドラマティックに描く、最高難度の大曲である。

で、これほどの人気曲だけあって、あたしもコンサート・プログラムやCDライナーで、何度となく本曲の解説を書き、FM番組でも語ってきた。
そのたびに頭を悩ませたのが、この叙事詩に枕詞のように何度も登場し、かつ曲名にもなっている《Wine-Dark Sea》の解説だった。直訳すると「葡萄酒のような暗い色の海」で、戦前から、日本では「葡萄の酒の色湧かす大海」(土井晩翠訳)、「葡萄酒色の海」などと訳されてきた。英訳テキストを検索してみると、全24歌中、10数か所に登場している。

これはもちろん、「地中海」のことで、海の壮大さや荒々しさの描写と思われるのだが、なぜホメロスは、地中海を「ダークな葡萄酒色」などと表現したのだろうか。ふつうは、地中海ならば「青」系ではないだろうか。これを、どう説明すればいいのか。

なにぶん、あたしのふだんの解説原稿は、SNS上で「クソ・クオリティ」と評されているようなので、すこしは、こういうこともキチンと解説しなければと、いままでずいぶん調べてきた。だが、古代の地中海は(天候のせいか)いまより暗い海面だったとか、ホメロスは盲目だったので色彩表現が独特だったとか、諸説あって、どうも定まっていないようだった。

そうしたところ、最近、なんと、ホメロス叙事詩における「色彩表現」の研究論考が出たのを知り、心底から驚いてしまった。今回ご紹介する『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会)である。
著者・西塔由貴子氏は、京都精華大学の特別研究員で、研究分野は〈西洋古典における「光」と「輝き」の表象と色彩表現との相関性に関する研究〉だという。英リヴァプール大学の名誉フェローでもあるようだ。
浅学のあたしは、まさかこのような専門家がおられるとは夢にも思わず、さっそく鼻息荒く手に取った。ざっとめくると、たしかに「葡萄酒色の海」解説もあるようだ。やったぜ、これであの不思議な曲名について明快な解説が書けるかと、読み進めたのだが……。
結論からいうと、《Wine-Dark Sea》の意味そのものよりも、古代ギリシャ人の表現力の豊かさを知り、そのことに感動してしまった。

この部分のギリシャ語原典”oinopa ponton”は、英訳だけでも”the wine-dark sea”のほか、”the wine-faced deep”など数種類あるらしい。というのは、「葡萄酒色の」をあらわす”oinops”は、「ワイン」と「目/顔」の合成語だそうで、

「ワインの目をした」「ワインの顔をした」が本来の意味であり、したがって、注がれたワインの表面に似ている、もしくはその表面に映ってみえる色のことを示すと思われる。そうすると、海の色がワイン(色)のようにみえる、ということがoinopa pontonということか。


そして、この語句が、いかに激しい場面で使用されているかを例示したうえで、著者は、

海、そして葡萄酒色の海の表象は、正のイメージだけに限らない。果てしない海の向こうに航海するとき、期待とともに不安が募る。新たなことに挑戦するチャレンジ精神がある一方、危険も伴う。神々が葡萄酒色の海を航海中の人間たちを襲い、罰することもある。


と綴る。
まるで、上記の文章は、交響詩《ワインダーク・シー》の解説文のようである。曲を御存じの方だったら、特に第1楽章の激しい曲想を思い出すはずだ。
つまり、”wine-dark sea”とは、単純に地中海の海や波を描写した語句ではなかったのだ。あるときは神々に助けられ、あるときは妨害されながら、命をかけた航海に乗り出す、そのときの海面をワインにたとえたチャレンジ精神をあらわしているようなのだ。

海を眺めながら海と密着した生活を送った古代ギリシャ人の色彩感覚をoinopa pontonは見事に表す。グラデーションがある、言い換えれば区別などしない、という意識を集約した色彩表現の一つが「葡萄酒色の海」ではないか。


そして著者は、「葡萄酒色の海」解説の章を、こう結んでいる。

「〇色」と区別する必要はない。素直にワインの色のように感じ取れる海の色を、oinopa pontonと詩人は描写した。そして人生という旅において、困難に立ち向かうチャレンジ精神も時には必要というメッセージを、oinopa pontonという表現をとおしてホメロスは伝えている。


果たして作曲者、ジョン・マッキーがそこまでのイメージを見抜いて曲名を《Wine-Dark Sea》にしたのかは、定かでない。だが、本書を読むと、『オデュッセイア』がパワフルな吹奏楽曲になった理由がとても身近に感じられ、曲の印象も変わってくる。

本書は、そのほかにも、古代ギリシャ人のさまざまな色彩感覚を、多くの例をあげながら、わかりやすく説いている。
さらには、『万葉集』の時代にあった、たった一語に豊かな隠喩を込める感性を、なぜ、現代人は失ってしまったのか―—そんなことも考えさせられた。
今後、交響詩《ワインダーク・シー》を演奏する方は必読の一書である。

※本文中のギリシャ語表記は英語アルファベットに無理やり置き換えたもので、正確ではありません。

◇『ホメロスと色彩』は、こちら

◇ジョン・マッキー作曲 吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》全曲 動画映像
(小澤俊朗指揮、神奈川大学吹奏楽部)

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