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2023.03.24 (Fri)

第391回 名曲喫茶で聴く《レニングラード》(下)

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▲1942年7月19日のライヴ(CD化は数種類あるが、これはもっとも音質がいいといわれている「オーパス蔵」盤)。

前回からのつづき)

ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》は、誰もが、クーセヴィツキーがアメリカ初演をすると思っていた。

しかし、実はNBC放送局が、昨年1月、クイビシェフにおける初演時、リハーサルでも一音も耳にせず、どんな曲かもわからないうちに、モスクワ支局を通じて、西半球初演権の交渉を始めていたのだ。そして、すでに4月に、NBCは、アメリカ初演権を手中にしていたのである。


だが、問題は「誰に指揮をさせるか」だった。
NBC交響楽団といえば、トスカニーニのラジオ放送用に設立されたオーケストラだから、当然ながらトスカニーニが指揮するのがふつうである。ところがこの時期、トスカニーニは、NBC側と意見が合わず、同団を一時辞任し、離れていた(そもそも、もうトスカニーニは「定期演奏会」活動は引退していたのである。それを、NBCは、新しい交響楽団をつくって、「ラジオ放送だけですから」と、老体をむりやり引っ張り出させていたのだ)。
もう一人、ストコフスキーもNBC響と縁が深いとあって候補にあがったが、彼もトスカニーニも、ともに、来シーズンから、W常任指揮者としてカムバックすることになっており、この時期は、NBC響とは“無縁”状態だったのだ。

NBCは、交響曲第7番そのものと、演奏するオーケストラは手中にしたが、指揮者については、確定できなかった。トスカニーニもストコフスキーも、NBCとの共演は来年の契約であり、まだ先である。しかし、マエストロ・トスカニーニだったら、このスコアを見て気に入れば、この夏、指揮すると言い出すかもしれない(4年前に、彼はショスタコーヴィチ第5番の初演をオファーされ、断っていたのだが)。そこで、スコアがトスカニーニのもとへ届けられた。NBC側は息を呑んで反応を見守った。スコアを見るや、彼はこう言った。「非常に興味深い、これは効果抜群だ」。彼はもう一度スコアを見て、こう言った。「Magnificent!」(素晴らしいぞ!)。


このときトスカニーニは、15歳年下で還暦のストコフスキーに「わたしのような反ファシズムの老人が指揮してこそ、効果がある。キミはまだ若いのだから、ショスタコーヴィチを初演する機会は、いくらでもある」との手紙をおくったそうだ。
かくして、クーセヴィツキーもストコフスキーも、

実際は、ライバルである75歳のトスカニーニに先を越されていたのである。トスカニーニは、クーセヴィツキーより1カ月前の7月19日に第7番を指揮すると発表した。/(略)ストコフスキーはがっかりして西海岸に戻り、ロジンスキーは見向きもしなかった。NBCは、オーケストラの奏者を、この曲が必要とする大型編成に増員した。近視のマエストロ、トスカニーニは、毎晩、スコアに鼻を突っ込むようにして暗譜に励んでいた。

※トスカニーニは、基本的に暗譜で指揮した。極度の近眼で、スコアが見えにくかったためといわれている。

このころのクラシック指揮者たちの動向は、よくいえば“個性的”、悪くいえば“エゴのかたまり”で、昨今とのあまりにちがうド迫力に、驚くばかりである。

しかしとにかく、1942年7月19日、ニューヨークのNBCスタジオで、トスカニーニ指揮、NBC交響楽団によるアメリカ初演がおこなわれ、全米にナマ中継された(録音を聴くと、拍手が入っているので、スタジオ内に聴衆を入れたようだ)。

後年、この録音を聴いたショスタコーヴィチは「腹が立った。すべて間違っている。やっつけ仕事である」と語ったそうだ(ただし、偽書といわれているヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』内の記述)。たしかに、特に弦楽器の奏法が、現在とはちがっていたりして、違和感をおぼえるひとがいるだろう。
それにしたって、「初演」で、1時間強、ぶっつづけで圧倒的な演奏を繰り広げるトスカニーニは、まことに恐るべき老人だとしかいいようがない(何度も述べるが、このとき「75歳」である)。
この時期、問題のレニングラード包囲戦はまだつづいていた。そんな、いま現在起きている戦火のなかから生まれた抵抗の音楽を、同時進行のように演奏したのだから、熱が入ったことだろう。

そのラジオ放送録音を、約80年後の2023年2月、渋谷の名曲喫茶「ライオン」で聴いたわけだが、考えてみれば、《レニングラード》が初演された日も、「ライオン」は渋谷で営業していたはずである。
その日は、すでに太平洋戦争に入っており、1か月前のミッドウェイ海戦で、日本海軍の空母機動部隊は全滅していた。
また、ほぼ同じ日には、フランスで、ナチスドイツによる「ヴェル・ディヴ事件」が発生している。一挙に1万人以上のユダヤ人が検挙され、絶滅収容所へ送られたホロコーストだ。アラン・ドロン主演の映画『パリの灯は遠く』(1976)で描かれた事件である。
そして「ライオン」は、1945(昭和20)年の東京大空襲で、全焼する。戦後、1950(昭和25)年、往時とおなじ形で再建復活し、いまに至る。

ショスタコーヴィチは、この曲で、ナチスドイツへの抵抗だけでなく、ソ連当局の全体主義も批判しているとの解釈もあるらしい。
そんな音楽に、ウクライナ侵攻がつづく2023年2月、名曲喫茶「ライオン」でじっと耳を傾けているひとたちがいた。
ビリビリ震える「ライオン」のスピーカーに向かいながら、薄暗い店内で、あたしは、「名曲喫茶に消えないでほしい」と、心から願っていた。


【余談①】
前回冒頭で述べた中野の名曲喫茶「クラシック」は、創業店主の美作七朗氏が1989年に逝去、以後は娘さんが継いでいましたが、2005年に逝去され、閉店となりました。
しかし、”遺伝子”は残っています。阿佐ヶ谷「ヴィオロン」、高円寺「ルネッサンス」、国分寺「でんえん」の3店は、いずれも、中野「クラシック」の流れを汲む、正統派「名曲喫茶」です。

【余談②】
3月18日、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期で、本曲が演奏されました(高関健・指揮)。真摯で素晴らしい演奏でした。
4月15日にも、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が演奏します(沼尻竜典・指揮)。

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