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2023.04.09 (Sun)

第395回 原作を読んだら腰が抜けた! 名作映画『乳母車』後半「76分」の秘密

乳母車合成
▲(左)映画『乳母車』(昭和31、日活)、(右)神保町シアター、芦川いづみ特集のチラシ(4月14日で終了)

東京・千代田区の名画座「神保町シアター」で、芦川いづみ特集上映があった(4月14日まで)。すでに5回目。いまや神保町シアターは、芦川いづみの聖地なのである。

今回も代表作『陽のあたる坂道』『しろばんば』など、計20本が上映された。そのなかに『乳母車』(田坂具隆監督、日活、1956)もあった。
これはあたしの大好きな映画で、ひさびさに観なおしたが、そういえば、近年、石坂洋次郎の原作が新刊で復刻されていたことを思い出した。かつては国民作家だったが、いまは、まったく読まれていない。ひさびさの刊行である。
そこで帰りに、近くの東京堂書店で『乳母車・最後の女 石坂洋次郎傑作短編選』 (三浦雅士・編、講談社文芸文庫、2020年刊)を購入し、さっそく読んだ。そして、腰が抜けるほど驚いてしまった。

その前に、まず、映画の内容から。
   ***
女子大生のゆみ子(芦川いづみ、好演)は、会社重役の父(宇野重吉、熟演)に、愛人がいることを知る。
お嬢様育ちのひとり娘・ゆみ子は、腹を立てて母(山根壽子、怪演)に告げる。だが母はとっくに承知で「いまの生活をつづけたいから、ことを荒立てたくない」と平然としている。

ゆみ子は、「その女のひとは、きっと自堕落な性格ね」と決めつけ、九品仏にある愛人宅を訪ねてみる。
すると、出てきたのは、留守番中の弟・大学生の宗雄(石原裕次郎、快演)だった。家には赤ん坊もいた。ゆみ子の異母妹だ。
宗雄はしっかり者で明るい性格の青年だった。買い物に出た姉のかわりに、赤ん坊の面倒を見ていたという。同年代の2人は、なんとなく気が合ってしまう。

そこへ、愛人のとも子(新珠三千代、名演)が帰宅する。なんと「自堕落」どころか、たいへん上品で美しい女性だ。そして心底からうれしそうに「あなたがどなたか、当ててみましょうか? ゆみ子さんですわね?」と、正座して手をついてあいさつし、歓待してくれるのだ。
スイカを食べながら歓談し、妙な気分で愛人宅をあとにした、ゆみ子。

帰りに、九品仏浄真寺に寄ると、赤ん坊を乳母車に乗せて散歩に出た宗雄が、境内で昼寝をしている。
ゆみ子は、小さな異母妹に愛情を感じ、半ばいたずら心から赤ん坊を乳母車ごと“誘拐”して、家に帰してやる。
目が覚めた宗雄は、赤ん坊が誘拐されたと思ってパニック状態だ。
結局、ゆみ子のいたずらだったとわかり……。
   ***
ここまでで「34分」。この映画は110分の尺なので、ほぼ三分の一だ。
このあとの「76分」は、親しくなったゆみ子と宗雄が、どうすれば赤ん坊が幸せになれるかを若いなりに考え、悩みながら奔走するエピソードがつづく。関係者全員を招集した場で、宇野重吉の父が、ワンカット長回しで思いを吐露する場面は名場面である。

物語は、2人が夫婦を装って、赤ん坊を「赤ちゃんコンテスト」に出場させ、好成績をおさめ、エンドマークとなる。今後も愛人のとも子がシングル・マザーの身で育てていくのだろう。宗雄とゆみ子は(おそらく結婚して)、とも子母娘を助けながらたくましく生きていく――そんな未来を思わせるラストである。

で、あたしが「腰を抜かした」原作小説なのだが。

乳母車文庫枠
▲『乳母車・最後の女 石坂洋次郎傑作短編選』 (三浦雅士・編、講談社文芸文庫、2020年刊)

まず、これは「短編」である。文庫本で40頁余。小説を読みなれた方なら、1時間もかからず読了する。映画は、ほとんどこの小説をそのままシナリオ化している。
ところが、この原作小説は、映画でいうと冒頭34分、九品仏での赤ん坊“誘拐”騒動の直後で「終わり」なのである。
騒動後、宗雄は抗議の手紙を出す。ゆみ子は謝罪しながらも強気な返事を出す。
そして、宗雄に興味をおぼえ、

それに較べると、毎日学校で顔を合わせている八代清一や川又計介など、水彩で描いたように淡い印象だった。そして、若いゆみ子は、こんな形で、父の恋愛問題に娘の自分が介入していくことが、どんな重大な結果を齎〔もたら〕すかも知れないことを、冷静に計算する知恵を持ち合わせてはいなかった。


これが、原作小説の、ほぼ最終部分である。
つまり、この映画は冒頭34分が原作小説まるごとで、残り76分は映画オリジナルの「創作」だったのである。小説を映画化する際にアレンジが施されるのは常識だ。だがこれほど大掛かりな「創作」は、そうあるものではない。
そういえば、この小説には、不思議な副題が付いている。正式題は『乳母車――ある序章』なのである。
「序章」? ということは、「本章」があるのか。しかし石坂作品に、そのような小説は、ない。では、後半76分が「本章」なのか?

この「76分」部分について、本書の編者、文芸評論家の三浦雅士氏は、巻末解説でこう述べている。

(略)これを仮に監督と脚本家の立案とすれば驚くべきことが起こったことになる。
おそらく石坂が長編小説の腹案を監督と脚本家に語り聞かせたに違いないと私は思うが、(略)感嘆するのは、映画関係者を創作仲間として扱うというその姿勢である。度量の広さなどというものではない。物語の展開を生かそうとして外部をも巻き込んでしまうその手法がしたたかなのである。(略)
そういう雑多なものを取り込んでびくともしない語り部としての石坂洋次郎の膂力〔りょりょく〕に驚く。


上記はあくまでも三浦氏の推察だ。ご本人も〈映画化の経緯を語った文章は、管見を恥じるが、眼にしていない〉と書いている。だがおそらく、当たらずとも遠からずだろう。

短編小説『乳母車――ある序章』は、「オール讀物」1956年5月号に掲載された。映画公開は同年11月14日である。原作初出からほぼ半年で公開されている。いまでは考えられないスピードだ。撮影所システムが機能していた日本映画全盛期だからできたことだ。だがそれ以上に、すでに残り76分部分の「本章」が石坂の頭の中にあったからこそ、すぐに全編のシナリオも出来上がったのではないだろうか。
映画『乳母車』は、映画界と文壇が背中あわせで面白い作品を生み出していた、そんな幸福な時代の産物かもしれない。

ちなみに、上記・講談社文芸文庫には、ほかにも興趣あふれる石坂の名短編が多く収録されている。なかでも印象に残ったのは『女の道』だ。もし昭和30年代に日活で映画化されていたら、おそらく以下のような配役となったはずだ。

珠子=芦川いづみ
戦死した恋人(墓は、あの九品仏の寺)=葉山良二
珠子の両親=東野英治郎、菅井きん/珠子の叔母=轟夕起子
1人目の見合い相手=高原駿雄/2人目の見合い相手=金子信雄
3人目の見合い相手・岡崎=石原裕次郎
岡崎の上司=藤原釜足(東宝)

まるで、石坂が、具体的な俳優にあて書きをしたかのようだ。
しかし、それはありえない。『女の道』は、戦前の1942(昭和17)年発表なのだ。
だから、石坂洋次郎は、スゴイのである。
〈一部敬称略〉

◇映画『乳母車』Amazon Prime Videoは、こちら
◇映画『乳母車』場面写真・関係資料(石原裕次郎ファンサイト)は、こちら
◇原作本(講談社文芸文庫)は、こちら(冒頭試し読みあり)
◇神保町シアターは、こちら



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