2023.05.14 (Sun)
第401回 これが、話題の映画『TAR/ター』のネタ本?

▲『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』(ジョン・マウチェリ、松村哲哉訳/白水社刊)
映画『TAR/ター』が公開された。
ベルリン・フィルの女性首席指揮者役を、名優ケイト・ブランシェットが怪演・熱演し、米アカデミー賞で主演女優賞を含む6部門にノミネートされた注目作である。
ケイト自身が実際にオーケストラ(ドレスデン・フィルハーモニー)を指揮してマーラーの5番を演奏するほか、実在のアーティスト名やエピソードが続々登場し、いままでの音楽映画とは一線を画すド迫力である。
あたし自身、デイリー新潮の記事で解説したので、内容の詳細はそちらをご笑覧いただきたいが、トッド・フィールド監督のインタビューによれば、指揮者のジョン・マウチェリ(1945~)にブレーンとしてかかわってもらったらしい。映画スタッフとしても「music advisor to filmmakers」として、正式にクレジットされている。そして監督は「名高い指揮者であるジョン・マウチェリの本が、正しい方向へと導いてくれた」(プレス資料より)と語っている。
その「本」とは、なにか。
マウチェリは数冊の著書を上梓しているが、おそらくなかでも重要なインスピレーションを得たと思われるその本が、すでに2019年6月に、邦訳で出ている。
『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』(ジョン・マウチェリ、松村哲哉訳/白水社刊)である。原著は2017年刊で、原題は“Maestros and Their Music: The Art and Alchemy of Conducting”(マエストロたちと彼らの音楽:指揮の芸術と錬金術)。
あたしは不覚にもこの本で著者をはじめて知ったのだが、アメリカでは古くから活躍している指揮者らしい。バーンスタインと長く仕事をしてきたようで、ほかにハリウッド・ボウルの指揮をつとめたほか、ミュージカルや映画音楽の仕事も手がけている。
で、本書に何が書いてあるかというと、はっきりいって、全編が、クラシック界の指揮者職業にまつわる〈ゴシップ〉である。いわゆる〈裏話〉によって、指揮者なる職業を半ば戯画的に描く本だ。しかしよくまあ、これほどのゴシップを集めた(見て聞いている)ものだと感心する。
たとえば、不仲といわれたカラヤンとバーンスタイン。カラヤンのザルツブルクの自宅で2人がランチを共にしたとき、どんな会話が交わされたかを、この著者はバーンスタインから聞いている。「ヘルベルトは本を読んだことがあるとは思えないね」と言っていたそうだ。
また、バーンスタインは、マーラー9番の、細かい演奏指示を書き込んだ全パート譜を持っていた。初めて(そして生涯で唯一の)ベルリン・フィルを指揮したとき、そのパート譜を使った。ところが、
バーンスタインのニューヨーク事務所は、再三にわたり電話と手紙でパート譜を送り返すようベルリン側に要請した。数か月経っても楽譜は戻ってこなかった。その後まもなく、カラヤンはマーラーの交響曲第九番をベルリン・フィルと録音して英グラモフォン賞を受賞した。やっとパート譜がベルリンから返還されたとき、バーンスタインは、カラヤンが自分の書き込みを参考にして演奏と録音を行なったに違いないと確信した。そして、このような出来事を公にすべきだと思ったのである。
この2つのベルリン・フィルによるマーラー9番は、レコード録音史を語るうえで欠かせない名盤(いや、問題盤?)として知られている。
ほかに、音楽史のゴシップも大量に登場する。
本物の指揮者とは言いがたい作曲家が指揮する場合は、自作の複雑なリズムをうまく振り分けられない事態も起こりうる。ストラヴィンスキーは『春の祭典』の終曲「生贄の踊り」をうまく指揮できたためしがなかったので、拍子を正確に刻めるよう楽譜を書き換えてしまった。一九一三年に作曲したとき、どういう音楽を書きたいかはわかっていたが、その書き方がよくわからなかったというのである。
この〈改定版〉は、のちの校訂版で、もとにもどされたという。
余談だが、あたしは、中学・高校・大学時代の約10年間、黛敏郎が企画・司会をしていたTV番組『題名のない音楽会』の公開録画の大半に通った。なかでも上記と似たような内容の回があったのが忘れられない。全編変拍子で有名な《春の祭典》の楽譜を、単純な「4分の4拍子」に書き換えてオケ団員に配り、指揮者(岩城宏之だったと思う)は、ただ4拍子を振る。それで果たして演奏できるかどうか、本来の《春の祭典》に聴こえるかどうか——こういう、前代未聞の実験がおこなわれたのだ(なんとなく演奏はできたが、やはりヨレヨレしていて、本来の《春の祭典》とはほど遠かった記憶がある)。
かように本書は、(あたしを含む)ある種のひとびとにとっては、まことに垂涎のゴシップ集なのだが、一般の音楽ファンにはどうでもいい話で全編が埋まっているのである。
しかし、先述のように、映画『TAR/ター』のバックボーンの参考になった部分があると思うと、また読み方も変わる。
生涯、マーラー《復活》のみを指揮しつづけたアマチュア指揮者のエピソード。
(略)もうひとりの人物の追悼記事は、経済誌の創刊者として巨万の富を得た実業家で、楽譜の読み方などほとんど知らないギルバート・キャプランという人物に関するものである。(略)法律を学び、ニューヨーク証券取引所で働いた。一九六五年にレオポルド・ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団は演奏するマーラーの交響曲第二番『復活』を聴き、その虜になった。
そして自分の会社を売って同楽団に多額の寄付をして理事長になり、《復活》のマーラー自筆譜と指揮棒を入手して、数人のプロについて〈指揮のしかた〉を学び、
そして一九八二年、アメリカ交響楽団を雇い、リハーサルを行なったうえで、リンカーン・センターのエイヴリー・フィッシャー・ホール(現デヴィッド・ゲフィン・ホール)に招待客を集め、その前で『復活』を指揮したのだった。
(略)コンサートを聴いた招待客はその見事な演奏に感激したが、キャプランにとって、これは始まりにすぎなかった。さまざまなオーケストラとの『復活』の演奏回数は百回を数え、ロンドン交響楽団やウィーン・フィルとは録音も行なった。
映画をご覧になった方は、もうおわかりだろう。
最初の方で、リディア・ターが、レストランで実業家らしき男と会っているシーンがある。
本書で紹介された、ギルバート・キャプランがモデルと思われる。
かように、映画『TAR/ター』は、これらマウチェリの著書を参考にし、いままでの音楽映画にはない、リアルな設定を実現したようだ。
本書は〈ゴシップ〉集ではあるが、マウチェリ自身の仕事ぶりのアピールも大量に含まれている(よって、自己宣伝本のように感じる読者も多いかもしれない)。
彼は、最近大流行の「映画音楽コンサート」指揮者の先駆けで、開拓者でもあった。スクリーンの映像にあわせてナマ演奏をピッタリ合わせるには、それなりの技術が必要で、回を重ねるごとにデジタル新技術を積み重ねてきた、その過程が語られる。
この記述が、映画『TAR/ター』の、あの〈衝撃のラスト〉の参考になったような気もする。
なお、これはすでに報道でおおやけになっている事実だが、近年、ノースカロライナ大学芸術学部の元学生たちが、長年にわたって、複数の教員から性的虐待を受けたとして、告発する騒ぎが発生している。その被告のひとりに、このジョン・マウチェリもいるようである。
映画『TAR/ター』のなかでも、教え子がらみの〈告発〉シーンがあるが、まさかこれもマウチェリが元ネタなのだろうか。
<敬称略>
◆『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』(ジョン・マウチェリ、松村哲哉訳/白水社刊)は、こちら。
◆映画『TAR/ター』公式サイトは、こちら。
◆デイリー新潮「話題の映画『TAR/ター』を完全制覇するための5つのポイント」は、こちら。