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2023.06.30 (Fri)

第410回 【CD/映画紹介】 200年間”封印”されていた「黒いモーツァルト」とは何者か?(後編)

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▲映画『シュヴァリエ』~知られざる真実の物語にもとづく ※リンクは文末に

前編のつづき)
映画『シュヴァリエ』(スティーヴン・ウィリアムズ監督、2021年、アメリカ)は、ジョゼフ・サン=ジョルジュの、音楽家としての最盛期を描いている。

冒頭は、ジョゼフが、パリを訪れたモーツァルトとヴァイオリン合戦を演じ、見事に〈勝利〉するトンデモ場面からはじまる。
ジョゼフは、かなり傲慢な自信家で、気が強い設定になっている。「シュヴァリエ」(剣士)の爵位を授けるマリー・アントワネットも、彼の重要な擁護者として登場する。

その後、前半は、パリ・オペラ座芸術監督の座を、ウィーンから招かれた「オペラ改革者」グルックと争って負ける話を中心に進む。

後半では、ジョゼフが貴族体制と人種差別に失望し、共和主義に心を寄せるようになる。そして民衆のための慈善演奏会を強行しようとする。演奏会場に詰めかける民衆と、阻止しようとする軍隊が、一触即発の状態に…。

かように細部は創作だが、「あってもおかしくない」場面の連続で、その意味では、たいへんよくできたフィクションといえる。
ジョゼフは女性に大人気で、男娼的な扱われ方に、まんざらではなさそうな場面もある。
衣裳や美術、セット、ロケ(プラハでおこなわれた)、時代考証なども本格的である。ジョゼフの曲もふんだんに登場する。失敗作といわれている彼のオペラ《エルネスティーヌ》のアリアなど、なかなかの佳曲だ。
演奏には『TAR/ター』のスコア演奏に参加していた、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラの名もある。本格的歴史音楽映画といっていいと思う。

Rotten Tomatoesでは批評家の76%が「positive」(肯定的)、平均評価は 6.5/10 となっている。一般観客評はもっと高くて、97%、4.6/5だ。

だが日本では、この映画は劇場で観ることはできない。製作はサーチライト・ピクチャーズだが、同社は昨年、4本の作品をトロント国際映画祭に出品した。そのうちの3本はとっくに日本でも劇場公開されたのに、本作だけがディズニープラスほかでの「配信」公開となった。諸事情はあるだろうが、少なくとも配給元は、日本での劇場公開を見おくったのである。
※日本で劇場公開されたほかの3本とは、『ザ・メニュー』『エンパイア・オブ・ライト』『イニシェリン島の精霊』。

   *****

映画アマデウス
▲映画『アマデウス』ディレクターズ・カット版

ここで思い出される映画は、やはり『アマデウス』(ミロシュ・フォアマン監督、1984年、アメリカ)だ。
製作陣は多かれ少なかれ、このアカデミー賞8部門独占の名作を意識したはずだ(冒頭など、まるで『アマデウス』への“宣戦布告”である)。

ウィーン音楽界を描いた『アマデウス』に対し、『シュヴァリエ』は、ほぼ同時代のパリ音楽界が舞台だ。主人公も“本家”モーツァルトに対し、こちらは“黒い”モーツァルト。どちらも野心満々の自信家だ。

だが、決定的にちがう点がある。おなじフィクションでも、『シュヴァリエ』が「あってもおかしくない」話なのに対し、『アマデウス』は「絶対にありえない」話なのだ。
なのに、前者は劇場公開されず、「絶対にありえない」後者は映画史に残る傑作となった。
なぜか。

少し脱線する。
『アマデウス』のフィクション度は尋常ではなかった。モーツァルト《レクイエム》の絶筆部分をサリエリが聞き書きしたなど、どう転んでも「似たようなことがあった」わけがない。よくまあ、こんなインチキ話を思いついたものだと頭が下がった。
だが、そのインチキ話を、サラリーマン社会における報われない一般人のように描いているところがうまかった。
原作は、劇作家ピーター・シェファーによる「舞台劇」だ(映画脚本も彼が書いている)。

舞台劇には、観客と演者の間に〈暗黙の了解〉がある。だから、ありえないことが平然と進行する。
『ハムレット』で父親の亡霊が舞台上にあらわれて「復讐してくれ」と懇願する。三島由紀夫『サド侯爵夫人』で全員が日本語で会話している。歌舞伎で、高齢の男優が生娘を演じている。これらを観て「ありえないだろう」と嗤う観客はいない。なぜなら〈暗黙の了解〉があるからだ(嗤うひとは、芝居は無理)。
シェファーはその点をうまく利用して、話をでっち上げた。

   *****

ふたたび脱線する。
この戯曲『アマデウス』に、日本で最初に目を付けたのが文学座の江守徹さんだった。1979年のロンドン初演の評判を聞きつけた江守さんは、関係者から台本を入手して読んだ。そして、あまりの面白さに魅せられて文学座で上演しようと考える。それには劇団の会議を通さなければならない。粗くても翻訳してみんなに読んでもらう必要がある。

アマデウス日生劇場
▲日本初演は1982年(左:モーツァルト役の江守徹さん)

英語が達者な江守さん、さっそく翻訳をはじめた。だが、その間に松竹が日本での上演権を獲得してしまう。ただし江守さんにも声がかかり、九代目松本幸四郎〔現二代目松本白鸚〕(サリエリ)、江守徹(モーツァルト)のコンビで初演。大ヒットして再演がつづいた。

この戯曲で江守さんが注目した点が、〈暗黙の了解〉だった。
「いまにも死にそうなサリエリ老人が、サッと被り物をとると、若き日のサリエリになるでしょう。それを観て、バカバカしいと思う観客はひとりもいない。この芝居は、全編が、舞台でしかできないウソで構成されている。そこが面白いんです」
と語っていたのを思い出す。
だから、サリエリがモーツァルトの臨終の場にいても、嗤う観客はいない。
映画版は、その仕掛けをさらに拡大して面白く見せていた。

amadeus NTLポスター
▲2016年のロンドン版。サリエリ役のルシアン・サマルディ。

2016~18年にかけて、ロンドン・ナショナル・シアターが『アマデウス』を新演出で再演した(舞台上にナマ・オーケストラが登場して芝居に参加する)。日本では「ナショナル・シアター・ライブ」で上映された。
このときサリエリを演じたのはタンザニア系の黒人、ルシアン・サマルディだった。いうまでもなく〈暗黙の了解〉のキャスティングだ。「サリエリが黒人のわけないだろう」なんて、誰もいわなかった。
しかもこの再演では、凡人としての苦悩だけでなく、人種差別を生んだ神を呪うような姿も感じられ、新たな感動を生み出していた。

   *****

話が遠回りになったが、『シュヴァリエ』には、その〈暗黙の了解〉がない。
よくできた映画や芝居は不思議なもので、作者や演者が、こっそり自分だけに話しかけてくれているような気になる。
〈これから、ありえない話をお見せしますが、あなただったら、わかってくれますよね〉と。
そのとき、私たちは感動と満足感をおぼえるのだ。

『アマデウス』には、それが明確にあった。冒頭から、サリエリが「聞いてください、私とモーツァルトの間に何があったのかを…」と語りかける。その瞬間、舞台(スクリーン)と観客の間に〈暗黙の了解〉が成立した。以後、延々とインチキ話がつづいた。

だが『シュヴァリエ』は、それをすっ飛ばして、勝手に話を進めている。話しかけてくれない。よって私たちは、彼の苦悩にいまひとつ心を寄せにくい。
冒頭、モーツァルトにヴァイオリンで勝つ場面は一見面白いが、実は単なる曲芸を見せられているだけだ。もしここを、第三者の衝撃の目撃談として〈暗黙の了解〉ではじめていたらどうだろう。たとえばマリー・アントワネットの回想告白だったら…。

エンド・ロールに流れる、ジョゼフ・サン=ジョルジュのヴァイオリン協奏曲Op.8~No.2など見事な曲で、これぞ〈隠れた名曲〉だと感動した。たしかにモーツァルトに通じるものがあるが、決して模倣に終わっていない。こんな作曲家をいままで知らなかったなんて!

この感動を、本編のなかで〈暗黙の了解〉で描いてほしかった。劇場公開しにくかった理由は、このあたりにもあったのではないだろうか。

□映画『シュヴァリエ』予告編は、こちら
□映画『シュヴァリエ』の動画検索は、こちら。AppleTV+、U-NEXT、Huluなどでも配信されています。

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