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2023.07.05 (Wed)

第411回 「レコード芸術」最終号を飾った、「最後の1枚」とは

レコ芸最終号
▲「レコード芸術」7月最終号 ※即日完売につき入手不可(電子版はあり)

あたしの子供のころ、実家にいた伯父がたいへんなクラシック・マニアで、LPレコードと「レコード芸術」バックナンバーが山ほどあった。そのため、「レコ芸」は小学生のころから眺めていた(「読んでいた」のではなく、パラパラと「眺めていた」だけ)。
本格的に読むようになったのは、中学生になってからだった。

初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは中1のときで、それは、ヨゼフ・カイルベルト指揮、バンベルク交響楽団のモーツァルト交響曲集だった(第38番《プラハ》を含む数曲)。新宿の「コタニ楽器」で買った。もちろん旧録音の再発売で、1,000円の廉価盤LPだった。
そういうレコードがあることも、伯父の「レコ芸」で知った。

   *****

社会人になると、「レコ芸」を自分のカネで買うようになった。あるとき、隣席の同僚が、あたしの机上にあった「レコ芸」をめくりながら、こう言った。
「この雑誌、なんでこんなに同じ人が何度も出てくるんだ?」
最初、なにを言っているのかわからなかったが、たしかに読みなれないひとには、不思議かもしれない。普通、週刊誌でも月刊誌でも、一人の筆者が一冊のあちこちに何度も登場することは、まずない。だが「レコ芸」は、さまざまな欄に、同一筆者が重複して登場するのだ。
同僚は「書き手の少ない、狭い世界みたいだなあ」と言った。あたしは「そんなもんだよ」などと答えて、あまり気にしなかった。

だが後年、自分自身がクラシックCD情報誌に携わることになったとき、この言葉の重さを思い知った。ほんとうに、書き手が少ないのだ。なかには「レコ芸で書いている以上、おたくでは無理」というひとがけっこういて、驚いた。
なるほど、老舗の威力とは、すごいものだと恐れ入った。

あまりに書き手が確保できないので、仕方なく、自分でも書きまくった。なるべくたくさんの筆者がいるように見せかけようと、3つほどのいいかげんなペンネームを使い分けた。
すると、後年、そのなかの一つの筆名に声がかかるようになり、いつの間にか、ライターもどきの仕事をするようになった。
だが案の定、その情報誌はうまくいかず、数年で終わってしまった。

   *****

結局「レコード芸術」は、もっとも長く買い続けた雑誌になった。本格的に読み始めた中学時代から数えると、50数年になる。
読者が独自にベスト10を選ぶ「リーダーズ・チョイス」に応募し、掲載されたこともあった。

いまはなき池袋のとんかつ名店「寿々屋」のカウンターで、「レコ芸」を読みながら熱燗をやっていたら、店主がのぞき込んで「お客さん、クラシック、お好きなんですか」と聞いてきたことがある。
「ええ。よくわかりますね」、「『レコ芸』読んでらっしゃるから」、「ご主人もクラシック、お好きなんですか?」、「僕の主食ですよ」
以後、ここのご主人とは、半ば公私を超えるお付き合いとなった。「レコ芸」のおかげだった。

その「レコ芸」が、7月号で休刊となった。即日完売だったが増刷はしないようで、すぐに中古市場で高値で取り引きされていた(電子書籍版はあり)。

休刊の理由はあたしごときにはなんともいえない。
最近は、タワーレコードのメルマガや、ナクソス・ミュージック・ライブラリー、あるいはいくつかの通販サイトから、ものすごい量の情報が届く。タワレコ店頭のリコメンド・カードも参考になる。
年齢を重ねるにつれ、レビュワーの評価(特選盤とか、推薦盤とか)も、どうでもよくなっていた。

だが、クラシック音盤の新発「全容」が一挙にわかるメディアは、もう他にない。いくら上記のような情報入手法があるとはいえ、もれている音盤もあるだろう。
その点では、少々不安をおぼえる。

   *****
キースジャレット
▲俵さんの記事と、最後の1枚(以下参照)

クラシック音盤通で知られる、政治ジャーナリスト・俵孝太郎さんは、「レコ芸」を創刊号(1952年3月号)から買いつづけてきた。
タワレコのフリーマガジン「intoxicate」vol.164の連載コラム《クラシックな人々》第160回で、俵さんはこう書いている。

「(略)筆者は創刊当時は大学の最終学年になるころ。それから92歳の今日まで、居場所を転々としながら欠かさず書店で買い続けてきた。創刊から廃刊まで買った雑誌は、他の分野でもたぶん他になかったのではないか」


そして俵さんは、こう嘆く。

「スマホだ、パソコンだ、ネットだ、というデジタル世界とはトンと縁のない老人にとって、どんなCDがいつ出るのか、輸入盤情報を含めて五里霧中なのは甚だ困る」



あたしが週刊誌記者時代、締め切りの日曜深夜にお電話を入れて、俵さんに辛口コメントをいただくことが何回もあった。するといつも、電話の向こうで、荘重なクラシック音楽が流れていたのを思い出す。

   *****

最終号でもっとも感動した記事は、ジャズ評論家・寺島靖国さんの連載コラム《クラシック・ファンのための音のいいJAZZ CD》だった。寺島さんは、吉祥寺にあったジャズ喫茶「meg」の元オーナーである。

その最終回は〈私の連載はここまで。最後に編集者に一言〉と題されていた。詳述は避けるが、担当編集者への感謝を、ユーモアたっぷりに綴った名文だ(あたしは、シニア向けエッセイ教室の講師を長年やっていたのだが、ぜひお手本テキストにしたい!)。

この連載で寺島さんが最後に紹介したCDが、キース・ジャレットの『ブダペスト・コンサート』(ECM)だった(上の写真)。2016年7月に、ハンガリー・ブダペストの国立バルトーク・ホールで開催したコンサートのライヴだ。

ジャレットは、クラシックとジャズの二刀流で、バッハやショスタコーヴィチなどもリリースしている。このCDは彼本流のアドリブ・ピアノ・ソロで、あたしも持っていた。ジャズは詳しくないのだが、「史上もっとも売れたピアノ・アルバム」といわれる『ケルン・コンサート』(ECM/1975年録音)が大好きなので、これもときどき聴いていた。

寺島さんは、連載終了にあたって、この盤の最後にアンコールで収録されている《It‘s A Lonesome Old Town》を担当編集者に薦めている。その反応が、どういうものだったかは、当のコラムをお読みいただきたい。休刊に際して、執筆者と編集者との間に、こんなやりとりがあったと知れて、なんだかうれしくなってしまった。

さっそくあたしも、そのCDを引っぱりだして、ひさしぶりに聴いた。当然ながらキース・ジャレットの演奏はピアノ・ソロなので、歌唱はない。だが、この曲はフランク・シナトラやナット・キング・コールによって歌われたスタンダード歌曲で、本来「歌詞」がある。おおむね、こんな内容だ。

「ここは寂しい田舎町。あなたがいないので、寂しくてたまらない。どれほど恋しかったか、いまとなってはよくわかる。お願いだから、もどってきて」

「レコード芸術」の最後を飾るCDは、この1枚に尽きる。残念ながら「クラシックCD」ではなかったが。


□「レコード芸術」最終号は、こちら
□キース・ジャレット『ブダペスト・コンサート』は、こちら。 
※《It‘s A Lonesome Old Town》をiTunesで購入、一部試聴できます。
□寺島靖国さんの「ジャズ喫茶メグ記念館」は、こちら


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