2023.07.19 (Wed)
第416回 【追悼】「拍手をしないでください」と”説教”した、外山雄三さん

▲これが外山雄三さん、最後のステージだった
作曲家・指揮者の外山雄三さん(1931〜2023)が、7月11日に亡くなられた。享年92。いうまでもなく、日本で現役最長老のマエストロだった。
最後のステージは、5月27日、パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の第156回定期演奏会だった(東京芸術劇場)。プログラムはシューベルトの交響曲第5番と第9番《ザ・グレイト》。
あたしは、最近、縁あってPPTの定期に行っているのだが、この日は都合でどうしても行けなかった。そこで、知人(60歳代、男性)が行っていたので話を聞いたら、ある意味、壮絶なステージだったようだ。
「開演前に楽団長のあいさつがあり、“外山さんがゲネプロで体調を崩した、よって前半の5番は指揮者なしで演奏し、後半の9番で登壇していただく”——とのことでした。
5番は小編成で、コンサート・マスターを中心に、とてもきれいな演奏でした。後半の9番になり、いよいよ外山さんが登壇しました。しかし、スタッフに支えられてようやく指揮台に上がったような感じで、ほんとうに大丈夫かなと不安を覚えました。
演奏は始まりましたが、後ろ姿を見ているかぎり、なんとなくつらそうで、私は音楽にあまり集中できませんでした。
それでもなんとか第3楽章が終わり、最終楽章に入る直前、なにやらコンサート・マスターに話しかけていました。『(自分は)これから何をやればいいのか』と訊ねているような感じでした。
いよいよ最終楽章がはじまりましたが、しばらくすると、嘔吐されたのか、あるいは咽〔むせ〕たのか、口をおさえて指揮できなくなりました。すぐにスタッフが車椅子で外山さんを下がらせました。たいへん素早い対応で、おそらく舞台裏では、この事態を想定していたような気がします。
その間、演奏は、コンサート・マスターを中心にストップすることなく、つづいていました。ひとの生死にかかわる事態が起きているのに、それでも演奏しなければならないのか……と少々複雑な思いでした。仮に途中終演になっても、誰も払い戻しせよなんて、いわなかったと思います。
しかし、これもきっと想定内だったのでしょう。おそらく外山さんの希望でもあったと思います。ボロボロになっても指揮台に立った外山さんと、あんな状態でも最後まで見事に演奏をつづけたPPTの姿に、演奏家の宿命みたいなものを感じ、最後には感動を覚えました」
終演後、鳴りやまぬ拍手のなか、車椅子で外山さんがカーテン・コールに登場し、客席に頭を下げたという。ちゃんと意識もあって、意外としっかりした様子に、みんな安堵していたそうだ。
伝聞なので正確ではないかもしれないが、以上が外山雄三さんの生涯最後のステージ姿である。引退を口にすることもなく、最後まで現役だったのだ。
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あたしの高校時代、親がNHK交響楽団の定期会員だという同級生がいた。2席持っているのだが、しばしば親が行けなくなると誘ってくれて、よく2人でオープン間もないNHKホールへ行った。するとかなりの確率で、指揮が外山雄三さんだった(定期だけでなく、いわゆる名曲コンサートも多かった)。
その外山さんが指揮すると、これまたかなりの確率で、アンコールが《管弦楽のためのラプソディ》だった(聴衆は、そっちを期待しているフシが感じられた)。
この曲は、1960年、N響世界一周ツアーのアンコール用に外山さんが作曲した、約7分の小品だ。本来、20分ほどの曲だったが、リハーサルで岩城宏之さんが「長すぎる」とカットした。ところが、それが吉と出てアンコール・ピースとして定着した。《あんたがたどこさ》《ソーラン節》《炭坑節》《串本節》《信濃追分》《八木節》などが次々登場する、熱狂の狂詩曲(ラプソディ)である(もしかしたら、この数年前に朝比奈隆がウィーン・トーンキュンストラーとベルリン・フィルで初演した、大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》が脳裏にあったかもしれない)。

▲聴くたびに、感動で涙が出る。
このときの世界ツアーのライヴ録音がCD8枚組セットになっている。《ラプソディ》は、ワルシャワ、ローマ、ロンドンでの演奏が収録されている。指揮の岩城さんは当時28歳。ローマでは当時29歳の外山さん自身が指揮しており、聴衆が熱狂興奮している様子がおさめられている。
この世界ツアーには18歳の堤剛vc、16歳(高校生!)の中村紘子pも同行した。最年長が32歳の園田高弘p、31歳の松浦豊明pである。
戦後15年、復興なった敗戦国日本の姿を世界に発信するべく、外山さんと岩城さんをはじめとする青年たちと少年少女が、かつて自分たちを「イエロー・モンキー」と嘲笑した国へ乗り込み、全身全霊で演奏している。若き日の外山さんの大仕事だ。この感動的な録音を聴くたびに、あたしは涙を禁じえない。
ちなみに《ラプソディ》は、のちに藤田玄播氏の編曲で吹奏楽版になっており、いまでは《吹奏楽のためのラプソディ》として、日本吹奏楽界の重要レパートリーになっている。
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あたしは、外山さんとは、何度か立ち話で雑談した程度の面識だが、なんとなく、町内会長の江戸っ子オヤジのような印象があった。その印象を生前の岩城宏之さんに話したら、「そりゃそうですよ、あのひとは指揮者としては、徹底的な現場たたき上げだもん」といっていた。
外山さんは東京藝術大学の作曲科を卒業後、1952年にNHK交響楽団に「打楽器練習員」として入団する。それから「指揮研究員」となり、現場でアシスタントや副指揮者として、実地で勉強しながら指揮を身につけていったのだ。岩城さんが「現場たたき上げ」と称した所以である。
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外山さんでは、わすれられない“説教”がある。外山さんは、歴史ある東京国際音楽コンクール〈指揮〉の審査委員長を長くつとめていた(3年ごと開催)。その第18回(2018年)の「入賞者デビュー・コンサート」(2019年5月、東京オペラシティ)で、外山さんが、開演前にあいさつに立った。てっきり、選評を話されるのかと思ったら、意外なことをいい出した。録音していたわけではないので、正確ではないが、おおむね、こんなスピーチだった。
「海外のコンクールの聴衆は、日本よりずっと厳しい。聴いてよくなければ、平気で席を立ち、出て行ってしまいます。本日、これから、上位入賞した若者たちが指揮をします。しかしどうかみなさん、お聴きになって、よくなければ、無理に拍手などしないでください。気に入らなかったら、音を立てて出て行ってかまいません。それがかえって、彼らを育てることになるのです」
客席からは笑いがもれたが、いかにも外山さんらしい、ユーモアと厳しさが同居したスピーチだった。おそらく外山さんは、何でも拍手してほめる日本の聴衆のアマちゃんぶりに、イライラしていたのではないだろうか(岩城宏之さんも、むかし、本番中に似たようなことを客席に向かって話して物議を醸したことがある)。
なお、このとき外山さんが「無理に拍手をしないでください」とまでいった入賞者は誰だったか、みなさんご存知ですか。1位が、いまや日本クラシック界で人気絶頂の、沖浦のどかさん。2位が、この4月に東京佼成ウインドオーケストラ定期で《コッツウォルド・シンフォニー》の名演を披露した、横山奏さんですよ。

▲ロストロポーヴィチ(チェロ)と共演する外山さん。おそらく、彼の委嘱で作曲した《チェロ協奏曲 第1番》の演奏風景。
(出典:WikimediaCommons)
□パシフィックフィルハーモニア東京のお悔やみメッセージ。
□外山さん指揮、N響による《管弦楽のためのラプソディ》(1983年の映像)
※オールドファンにはたまらない、懐かしい顔ぶれが勢ぞろいしています。
□《管弦楽のためのラプソディ》1960年N響世界ツアー、ワルシャワでの録音(岩城宏之指揮)は、こちら。
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(非会員は冒頭30秒のみ)