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2023.09.07 (Thu)

第422回 現国立劇場、最後の文楽の「伏線」

菅原徹底解説チラシ
▲現国立劇場、最後の文楽公演

現在の国立劇場における最後の文楽公演『菅原伝授手習鑑』、その「完全」通し上演を観た。

いままで、「寺子屋」のような有名な段や、抜粋による半通し上演は何度も観た。だが、さすがに初段から五段目まで、すべての段を通しで観たのは初めてであった。

もちろん、今の時代に、これほどの長尺狂言をいっぺんに上演することは不可能で、まず5月公演の第1部で〈初段〉が、第2部で〈二段目〉が上演された。

そしてこの8~9月公演の第1部で〈三段目〉~〈四段目〉前半を、第2部で〈四段目〉後半~〈五段目〉を上演。つまり4回通って、ようやく全編観劇となる、なんとも大がかりな公演であった。江戸時代は、これを明け方から1日で上演していたらしい。

前回の完全通しは1972(昭和47)年だったそうで、実に51年ぶりだという。さすがにあたしは当時、中学生だったので観ていない。まだ国立文楽劇場(大阪)の開場前であり、話題の興行だったようだ。すでに開演前から新聞記事になっている(当時の全国紙で、このような文楽に関する記事は珍しい)。

《原作全五段の完全通し上演。これは百六十年ぶりのことになる》《すでに前売りを始めているが、ふだんの倍近くも売れており、文楽公演の前売り新記録が出そうだという》(毎日新聞1972年5月8日付夕刊)

当時の国立劇場は、江戸時代同様、なんと1日で上演していた。

《昼の部と夜の部を合計したえんえん十一時間で(略)見せる》《これだけ上演時間をぜいたくに使ったので従来カットされていた端場(はば)が復活し、おかげで中堅級ないしそれ以下の人たちの持ち場が増えたのはいいことだった》(同5月24日付夕刊)

と書いたのは、大阪毎日新聞出身の劇評家で、国立劇場や文楽協会の運営委員などもつとめた、山口廣一氏(1902~1979)である。さすがに専門分野だけあり、当の中堅以下に対する評は、《語尾の音量に力が抜けるのがよくない》《声の使い方が一本調子》《もっと発声を内攻的にかすめるべき》と容赦ない。昨今の、紹介と大差ない劇評とは一線を画している。

しかしともかく、生きているうちにこんな機会はもう二度とないだろうと思い、あたしも鼻息荒く4回通った。そして、芝居(戯曲)の面白さを心底から味わうことができた。

 *****

道楽者に講釈する資格などないが、簡単に説明を。

『菅原伝授手習鑑』は、朝廷の権力争いが背景。菅原道真(菅丞相)の大宰府左遷を縦糸にし、横糸に三つ子兄弟の物語をからめて構成されている。

三つ子の長男・梅王丸は右大臣・菅丞相の部下。次男・松王丸は左大臣・藤原時平の部下。菅丞相と時平は対立関係にあるので、この兄弟も当然、不仲になる。一方、三男・桜丸は、天皇の弟君の部下なので、そのどちらにも与することができず、ある悲劇に巻き込まれていく。

全体の物語は、四段目の切〈寺子屋の段〉における空前の悲劇に向けて突き進むのだが、そこに至るまでのエピソードが、すべてクライマックスの「伏線」となっている。竹田出雲ら江戸時代の作者たちの見事な作劇術に舌を巻く。市井の一般家庭を襲う悲劇が、実は朝廷内の争いに起因していたとは! こんな芝居は、シェイクスピアもチェーホフも書いていない。

   *****

近年、SNSや新聞雑誌の映画評で、「伏線が見事に回収される」といった文言が目につく。つまり、前半の詳細不明なエピソード(伏線)が、実はクライマックスに関与していることが最後に明かされる(回収される)、それが見事だというのだ。

だが、最近の「伏線」は、いささか、ずるいよ。

たとえば、本年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞した映画『怪物』(是枝裕和監督)が典型で、この映画は、なかなか全部を見せてくれない。前半をある特定の視点で描き、後半を別視点で描くものだから、「ええ? そういうことだったの?」と、何やら衝撃の「伏線回収」を見せられたような錯覚に陥る。

または韓国映画『告白、あるいは完璧な弁護』(ユン・ジョンソク監督)。いわゆる密室殺人ミステリだが、これまたちがった視点が伏線になるどころか、“妄想”までもが、いかにも伏線回収のように描かれる。よってたしかにハラハラするが、最後はカタルシス以前に疲労感に襲われる(本作はスペイン映画のリメイク)。

もっとすごいのが、例の宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』だ。勘弁してほしい。全編が伏線だらけで、回収されたのかどうかもよくわからないまま、それでも、どうやら大団円らしいラストになっている。そのため、いつまでも「あれは何の伏線だったのか」との論議がやまないことになる。

 *****

これらに比べると『菅原伝授手習鑑』の伏線は、潔くて美しい。劇中、菅原道真が詠んだ実在の和歌がいくつか登場する。たとえば《梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん》は、そのまま三兄弟の行く末の伏線となっている。

そのほか、〈北嵯峨の段〉で菅丞相の御台所を拉致する山伏。〈寺入りの段〉では、息子・小太郎を寺入りさせた母親が「あとで迎えに来る」といいつつ、なぜか名残り惜しそうに去る。どれも平然と描かれながら、あとですべてラストへの伏線だったことがわかる。視点を変えるなんて、一切ない。ひたすら正攻法だ。

今回は「完全」通し上演なので、最終五段目〈大内天変の段〉も上演された。先述のように51年ぶりなので、おそらく多くの見物が初観劇だったと思う。

ほとんどの狂言は四段目で物語は収束する。五段目は付け足しで、あってもなくてもいいような場面が多い(なぜ、そんな不要な場面がわざわざ付くのかは、今公演のプログラムで、大阪公立大学大学院の久堀裕朗教授が解説している)。

本作の五段目も、タイトル通り、天変地異のオカルト・ホラーで、いささか余分の感は否めない。だがそれでもなお、実は以前の段の、あの場面が伏線だったのかと気づかされる。最後の最後まで正統派の伏線回収がつづき、とことん見物を楽しませてくれる。作者たちのエンタメ精神が、270年余の時を超えて迫ってくるようであった。

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▲舞台稽古を取材した公演レポート(ステージ・ナタリー)


【余談】長年、国立劇場小劇場で文楽を楽しませてもらいました。しかし報道によれば、再開発事業の入札は6月の2回目も不落札だったとか。この調子では、2029年予定の再開場も心もとなく、いつになるか不明ですが、生きていればまた行きますので。

国立劇場は、9〜10月の大劇場、歌舞伎《妹背山婦女庭訓》通し上演が最終公演です。また、閉場中、文楽は別会場で公演されます。

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