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2023.09.13 (Wed)

第423回 「うた」になっていた、『福田村事件』

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▲映画『福田村事件』

この残暑のなか、連日、中高年で満席となっている映画がある。『福田村事件』(森達也監督)だ。あまりの人気に、今月後半からの全国拡大公開が決定した。

ご存じの方も多いと思うが、素材となった実在事件の概要から。

1923(大正12)年9月の関東大震災後、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言蜚語が飛び交い、混乱に拍車がかかった。政府は一種の戒厳令を発令し、自警団の結成などを呼びかけた。関東全域に4,000余の“俄か自警団”が生まれ、過剰なまでの警備が展開する。その結果、多くの朝鮮人や中国人が暴行を受けたり、虐殺されたりした。

余談だが、あたしの祖母は「町内会の自警団が、一晩中、朝鮮人を探して怒鳴りながら走り回っていた。地震より、あの人たちのほうが怖かった」とよく言っていた。

千葉県の福田村(現在の野田市)でも自警団が結成されていた。ちょうど、香川県から来た薬の行商人一行15名が、村へ入るところだった。

自警団は、この一行を朝鮮人だと思い込み、取り囲んだ。行商人は鑑札(行商販売の許可証)を示し、日本人であると主張した。だが、聞きなれない香川弁でうまく意思疎通ができず、自警団は不信感を募らせ、次第に興奮状態に陥った。警官が鑑札を受け取って、警察署へ確認に行った、その間に虐殺行為がはじまってしまう。15名中、妊婦や3人の幼児をふくむ9名(胎児を含めれば10名)が惨殺され、遺体は利根川に捨てられた。

生き残った6人は地元へ帰って抗議しようとするが、実は彼らは被差別部落民だった。そのせいか、二次被害を恐れて沈黙する。かくして福田村事件は、半ば語られざる出来事となって封印されてしまった。

  *****

この事件が劇映画になって、上述のように大ヒットしている。監督は、ドキュメンタリ映画『A』『FAKE』などの森達也。これが初の劇映画だという。

これは凄まじい映画である。前半、かなりじっくりしたテンポで物語が進むので、これで最後までもつのか、少々不安を覚える。だが、後半に至ると、このようなことが、100年前の日本で起きていたことに驚愕し、戦慄をおぼえる。ひとによってはトラウマになりかねない。前半の緩徐テンポは、このためだったのかと目が覚めるだろう。

よくぞこのような題材を商業映画にして公開したものだと感動した。もちろん「劇映画」なので、創作もあると思う。だとしても、参加したすべての役者とスタッフに敬意を表したい思いだ。

キャスティングもすごい。不倫騒動で非難を浴びた東出昌大が“不倫”する船頭役で、また、違法薬物で逮捕されたピエール瀧が体制側の新聞社幹部役で、さらには、うつ病で参議院議員を3カ月で辞職した水道橋博士が加害者役で出演するなど、強烈な配役である。

この事件は、上述のように、半ばタブーのように扱われ、強く語られてこなかった。しかし、ちゃんと伝えてきたひとたちもいた。

そのひとりが今回の森達也監督で、著書『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(2003年、晶文社刊)のなかですでに触れていた。ある新聞記事でこの事件を知った森監督は、企画書をつくってTV局の報道番組担当者のもとをまわる。だが、どこも二の足を踏んで実現しない。

その後、地域誌編集者で千葉県流山市在住の作家、辻野弥生さん(1941~)が、『福田村事件―関東大震災知られざる悲劇』(2013年、崙書房刊)で、初めて事件の全貌を活字に定着させた。これは、映画『福田村事件』のほぼ原作といってもいい内容である(本年6月に五月書房新社から新版として復刻)。

そしてもうひとつ、この事件を「うた」で伝えてきたひとがいる。

  *****

それは、フォーク・シンガー/翻訳家の中川五郎氏(1949~)である。あたしの世代にとっては、ほとんど神様のような存在だ。

中川氏は高校3年生のときに《受験生ブルース》を作詞(作曲は高石友也)、デビューは六文銭とのコラボ・アルバムだったが、1970年に歌手廃業を宣言。以後は、編集者・翻訳者として活躍する(それでも音楽活動はつづけていた)。編集した雑誌がわいせつ文書で摘発されたこともあった。いまでは、ボブ・ディラン全作品の訳詞、チャールズ・ブコウスキー(主に河出書房新社版)の翻訳でも知られている。

その中川氏が2016年7月25日、下北沢のライヴハウスで67歳の誕生日に行なったライヴで披露されたうたが、《1923年福田村の虐殺》である。現在は、ライヴCD『どうぞ裸になって下さい』(コスモスレコーズ)に収録されている。

中川五郎CD

この曲、歌詞は全23連、演奏時間24分余におよぶ、長いうたである。長いといえば、なんといっても三波春夫の長編歌謡浪曲が有名だ。《俵星玄蕃》や《あゝ松の廊下》などがそうだが、それでもせいぜい1曲は10分程度である(2時間半におよぶ《平家物語》のような「連作歌謡組曲」は別)。

ポップスではBOROの《大阪で生まれた女18》が、歌詞が18連まである34分の曲だが、これに次ぐ長さかもしれない。

内容は、事件前の村や行商人の描写からはじまり、悲惨な虐殺の模様が如実にうたわれる。かつて日本の「うた」で、このような内容が堂々とうたわれたことがあっただろうか。これを聴いてから映画を観ると、まるで、このうたが、映画の原作のように思える(実際、森監督もこの曲からインスパイアされた部分があったと思われ、企画協力者に中川五郎氏の名前を入れている)。

ところが、このうたのすごいところは、映画でも描かれなかった「その後」をきちんと描いていることだ。香川に帰ってからの行商人たち、さらには、なぜ彼らが故郷をあとにして行商に出なければならなかったのか、その悲劇が封印されていく過程、さらには、80年後の2003年9月に、虐殺現場で慰霊碑の除幕式がひらかれるまでがうたわれるのだ。

そして最後に歌詞は、こう結ばれる。《信じることから始めよう 人はみんな同じ(略)/朝鮮人だとか部落だとか 小さな人間よ》

   *****

中川氏自身のライナーノーツによると、事件のことは、上述、森監督の著書で知ったという。その後、これも上述、辻野さんの著書ほかを読んで、歌詞をまとめたそうだ。

旋律は、アメリカ民謡《ポンチャートレインの湖》である。ルイジアナ州にある湖の畔、ニューオリンズでの出来事をうたった民謡だ。ある男がクレオール女性(フランス領ルイジアナ時代の混血の子孫)に結婚を申し込むが、すでに彼がいて、その帰りを待っているのだと断られる、失恋のうたである。

この民謡は、多くの歌手がうたっているが、中川氏が敬愛するボブ・ディランも、かつてとりあげて同曲名アルバムをリリースしていた。

実はそのディランにも、長いうたがある。吉田拓郎のデビュー曲《イメージの詩》の元ネタ曲、《廃墟の街》(1965年)は11分半ある。タイタニック号沈没の悲劇を描く《テンペスト》(2012年)は14分。もしかしたら、中川氏が福田村事件をうたにするにあたっては、これらをイメージしていたような気もする。

その後、ディランは、ケネディ暗殺を題材にした《最も卑劣な殺人》をリリースするが、これも17分におよぶ大作である(2020年)。

そして、中川氏の《1923年福田村の虐殺》を聴いていると、長年わすれていた音楽ジャンルに「フォークソング」があったことに、あらためて気づかされる。この長いうたは、ボブ・ディランもうたいつづけてきた「フォークソング」にほかならない。

2016年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したとき、中川五郎氏は「WIRED」のインタビューで、彼がフォークソングをうたう理由を、こう述べていた。

《フォークソングには、人々が世の中の出来事を伝える役割もありましたし、綿を積んだり石炭を掘ったりしながら歌われた労働歌、あるいは船乗りが歌ったもの、奴隷たちが生み出したものもありました。そうした物語性、世の中の出来事や人の気持ちを伝える「言霊」みたいなものが、フォークソングにはあるとディランは思ったのでしょう》

そして、

《ディランを50年聴き続けてきてぼくが思うのは、「自分の生き方をすること」の尊さです。彼は自分の歌いたいことしか歌わないし、やりたいことしかやらない人だと思うんです。(略)「そんなことをやっていたってどうしようもない」と周りに言われても、同じようなことをしている人が誰もいなくても、自分のしたいことをする。人に流されるな、と。自分のことをやれ、と。それが、いちばんディランに教えられたことかもしれないですね。》

森達也監督の映画『福田村事件』も、中川五郎氏のフォークソング《1923年福田村の虐殺》も、その精神から生まれたように思えた。

◆映画『福田村事件』予告編は、こちら
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