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2023.11.29 (Wed)

第435回【新刊紹介】 汽車にひかれて足の指を失った93歳による、『鉄道愛唱歌事典』

鉄道書影
▲長田暁二『鉄道愛唱歌事典』

書き出しが有名な作品といえば、川端康成『雪国』や、夏目漱石『吾輩は猫である』、カミュ『異邦人』などがよくあがる。しかし、これらはすべて「小説」である。ノンフィクションや実用書、研究書で有名な書き出しは、あまり聞いたことがない。

だが、どうにも忘れられない書き出しの音楽本がある。仕事でお世話になり、あたしが勝手に“音楽解説の師匠”と呼んでいた、オペラ研究家、故・永竹由幸さんの『オペラと歌舞伎』だ(1993年、丸善ライブラリー刊/2012年、新版=水曜社刊)。この本が、

《第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった》

ではじまるのだ。つまり、オペラ/歌舞伎を持つイタリア・ドイツ・日本に対し、《オペラを持たない鬼畜米英》は、《これ以上大きな文化的格差をつけられることは国民的屈辱である》として、《オペラを持たぬオランダ、オペラを半分しか持たぬフランス、ソ連等とかたらって、日独伊の三国同盟に対し、戦争を起こさせ、それを叩こうという陰謀を抱いた》というのである。

もちろんこれは永竹さんお得意のパロディというか、お遊び文章なのだが、それにしても、これほど「目からウロコが落ちた」書き出しは、後にも先にもなかった(この本は、その後も驚天動地の解説がつづくのだが、今回の主旨ではないので省く)。

   *****

先日、これに匹敵する驚愕の書き出しに出会った。しかも、これまた音楽本だ。『鉄道愛唱歌事典』(長田暁二、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊)である。その書き出し(まえがき)は——

《筆者は3歳のとき、汽車にひかれて左足指3本を切断、右足はズタズタになって歩くことができませんでした。今まで出版された本の奥付の著者紹介では、岡山県笹岡市生まれと記されています。でもこれは違います。》

いきなり1行目から、おどろくべき2つの“告白”が、何の脈絡もなく登場する。少々、妙な文章だ。だが、このあと、この2つを見事につなげる説明につづくのだ。

長田暁二さんは音楽文化研究家。日本コロムビア、キング、ポリドール、徳間音工、テイチクなどでディレクターとして活躍。多くのヒット曲や、童謡・唱歌の名盤を生んできた。NHKラジオの歌番組の解説でもおなじみだ。1930(昭和5)年生まれで、執筆時93歳! 膝が悪いそうだが、それでも《家から303歩にある家庭料理の店「円満」には日曜祭日をのぞいて〔毎日通い?〕、夕食とビール一本を飲んで済ませています。》とのことだ。

そんな93歳の長田さんが、かつて自分の足指を奪った「鉄道」にまつわる歌謡曲、童謡、唱歌など71曲について、その成立過程や時代背景、裏話を、興趣あふれるタッチでつづったのが、本書である。

そう聞いて、「《鉄道唱歌》など、むかしの唱歌の解説集だろう」と思うのは早計。たしかに、それらもある。だが、たとえば本書中でもっとも紙幅が割かれている曲が(6頁!)、イルカの《なごり雪》だと聞けば、すこしイメージが変わるだろう。

三階建の詩
▲《なごり雪》が収録された名盤『三階建の詩』(かぐや姫)。右端が伊勢正三。

《なごり雪》は、伊勢正三が作詞作曲し、1974年に「かぐや姫」の名アルバム『三階建の詩』に収録された名曲だ。〈汽車を待つ君の横で僕は〉〈君が去ったホームに残り〉とは、どこの駅なのか。そしてこの曲が、どのような過程を経てイルカの持ち歌となったのか。なぜイルカで大ヒットしたのか——まるで ドラマのような物語が紹介される。

池上線
▲当初は東急電鉄に拒否された《池上線》

1976年、西島三重子の名曲《池上線》の作詞者・佐藤順英は、なぜ池上線を選んだのか。発売後、東急電鉄にプロモーション協力を呼びかけたら、〈古い電車〉〈すきま風に震えて〉などの歌詞がイメージアップにつながらないと、断られた。それが、2017年「池上線全線開通80周年」イベントでは、西島三重子自身が車内コンサートに呼ばれて《池上線》をうたったという。

もちろん、井沢八郎《あゝ上野駅》、春日八郎《赤いランプの終列車》、三橋美智也《哀愁列車》、狩人《あずさ2号》、野口五郎《私鉄沿線》、中島みゆき《ホームにて》なども出てくる。

1918(大正7)年、添田啞蟬坊の大衆演歌《あゝ踏切番》なんて曲、本書で初めて知った。だが、その歌詞と、素材となった鉄道事故の実話は、衝撃以外のなにものでもない。

二葉あきこ
▲なみのクラシック歌曲よりむずかしい、《夜のプラットホーム》

また、これはすでに有名だが、1947(昭和22)年発売、二葉あき子の名曲《夜のプラットホーム》の逸話にも、あらためて胸を打たれる。服部良一作曲の、ほとんどクラシック歌曲のような高度な楽曲である。

この曲は、すでに1939(昭和14)年に完成していた。〈プラットホームの 別れのベルよ/さよなら さよなら/君 いつ帰る〉。これは、作詞家・奥野椰子夫が、《東京駅頭で秋風が身に沁む夜更けに中国戦線に出征して行く兵士を見おくる人波の影で、ひとりの若妻が涙をこらえている悲痛な表情を見て、胸を搔きむしられるみたいに心を打たれ》て書いた詞だった。

さっそくコロムビアの服部良一が作曲して淡谷のり子がうたうが、厭戦的だと発売中止に。楽曲に絶対の自信をもっていた服部良一は、歌詞を英訳し、コロムビアの外国人スタッフに歌わせて洋盤に見せかけて売り出す。終戦後は、淡谷がテイチクに移籍していたので、二葉あき子に大急ぎで再録音させた。そして戦後は、戦争で身内を亡くしたひとたちの慰めの歌となって、長く聴かれる名曲になった。

   *****

歌詞に「鉄道」がまったく出てこない曲も登場する。

たとえば山下達郎の《クリスマス・イブ》。これはもう誰もがご存じだろう。JR東海の新幹線、クリスマス・エクスプレスのCMに使用されたことでロングセラーとなったが、曲自体は鉄道とは無関係である。

だが、小学唱歌《紅葉》が載っているのは、なぜだろう。〈秋の夕日に 照る山もみじ〉……これまた、線路の「せ」の字も出てこない。実はこの詞の舞台は、《碓氷峠のあった信越本線熊ノ平駅(昭和41年廃駅)周辺の錦繍風景》だそうで、《この付近は列車が軽井沢に向かってのんびり上り、なすこともなく車窓から風景を見れば、燃えるような紅葉が秋の日に照らされて、その見事さは飽きることがありません》。作詞者・高野辰之は、《郷里の長野県下水内豊田村(現・中野市)に墓参などで帰郷するたび、この場所を通っています》とのことで、なんとこの曲も「鉄道愛唱歌」だったのだ。

   *****

この調子で、実にバラエティに富んだ71曲が次々と解説される。原則として、すべての曲には、コード付きの楽譜と歌詞が載っている(JASRACへ支払う使用料はたいへんな額になっただろう。そのせいか、240頁で税込3,520円と、高めの価格である)。

「全歌詞収録」につき、《鉄道唱歌》(東海道篇)は、〈汽笛一声 新橋を〉から〈明けなば 更に乗り換えて/山陽道を 進ままし〉の66連まで、すべて載っている。

東京に市電(東京電車鉄道=のちの都電)が走り始めたのは1903(明治36)年で、すぐに東京市街鉄道(街鉄)、東京電気鉄道(電鉄)の3社線になった。《電車唱歌》は、その3社線界隈を歌詞に織り込んだ“東京名所案内”曲だ。〈玉の宮居は 丸の内〉と皇居前からはじまり、〈靖国神社に 詣ずれば〉で終わる52連の歌詞も、全部載っている。31連に〈新宿行は 更になお/衛戍病院 前をすぎ/半蔵門の 前よりぞ/左に折れて 麹町〉とある。「衛戍」〔えいじゅ〕とは軍用地のことで、「衛戍病院」は陸軍病院。いまの国立劇場のあたりにあった。現在、新宿区戸山にある「国立国際医療センター」の前身である。

《僕は特急の機関士で》も、〈東海道の巻〉から〈九州巡りの巻〉〈東北巡りの巻〉〈北海道巡りの巻〉と全歌詞を読める。三木鶏郎の天才的な博識ダジャレは、捧腹絶倒、唖然呆然である。〈岩木山から 見下ろせば/春は桜の 弘前に/チリリンチリリンと 自転車で/石中先生と 若い人〉——この歌詞の意味と奥深さが、わかるだろうか。楽譜のおかげで、本曲は、歌詞だけでなく音楽面でも《鉄道唱歌》のパロディになっていることがわかる(《鉄道唱歌》のフシで替え歌になる)。

   *****

フランク永井
▲いかすじゃないか、《西銀座駅前》

本書中、あたしがもっとも感慨を覚えた曲は、1958(昭和33)年発売、フランク永井の《西銀座駅前》である。地下鉄丸ノ内線の西銀座~霞ヶ関間の開業にあわせてつくられた曲だ。歌詞の最後が〈いかすじゃないか 西銀座駅前〉で、「いかす」は流行語となった(いまは「いかす」なんて、誰もいわないだろうが)。1965年公開、エルビス・プレスリー主演の映画『Tickle Me』(ムズムズさせて)の邦題が『いかすぜ! この恋』になったのは、本曲の影響だろう。

いまの若い方はご存じないかもしれないが、丸ノ内線「銀座」駅は、かつて「西銀座」駅だったのだ。いまでも真上に「西銀座デパート」「西銀座チャンスセンター」(宝くじ売場)などの名称があるのは、その名残りである。東京オリンピック直前、1964(昭和39)年8月に日比谷線「銀座」駅が開業したので、それにあわせて、丸ノ内線「西銀座」駅は、銀座線・日比谷線「銀座」駅に統合された。

だがこれはかなり無茶な統合で、いまでも銀座線~丸ノ内線の乗り換え時、中途半端な階段を上り下りさせられ、「なんでこんなに遠いんだ。これがおなじ駅とはインチキじゃないか」とぼやいている老人は、あたしだけではないはずだ。

   *****

で、さすがにこの話は長田さんも書いていないが、実はこの曲が映画になっているのである。

西銀座駅前
▲監督・脚本は、のちに世界的巨匠となる今村昌平!

それが同年公開の日活映画『西銀座駅前』で、当時はじまったばかりの2本立て興行用のSP映画(シスター・ピクチャー=2本立ての添え物で、1時間弱の小編)である。もちろん主題歌はフランク永井。ご本人が随所に登場して、不思議なナビゲーター役をつとめている。西銀座の薬局の主人(柳澤真一)が浮気に走るドタバタ・コメディだが、なんともゆるい、眠気を誘う映画である。

ところが、監督・脚本は、驚くなかれ、今村昌平!(そういわれると、なるほどと思える内容なのだが)。日活に入社直後の2作目で、若きイマヘイは、まだ会社指定の企画しか手がけられなかった。どう観てもイマヘイ向きの題材ではない。不貞腐れて演出している様子が目に見えるようだ。

だが、これをこなしたおかげで、直後にブラック・コメディの佳作『果しなき欲望』をつくり、続いて『にあんちゃん』『豚と軍艦』『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』といった映画史に残る名作が連続して生まれるのである。後年、カンヌ映画祭最高賞を2回受賞して世界的巨匠になるイマヘイだが、その第一歩に『西銀座駅前』があったのだ。

長田暁二さんが足指3本を切断してから幾星霜、93歳にしてこのような労作を上梓したのと、どこか似たような——人間、若いうちは、そう好きなことばかりはできないのだと、本書と《西銀座駅前》が教えてくれたような、そんな気がした一書でありました。
(一部敬称略)

◇『鉄道愛唱歌事典』HPは、こちら
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