2016.08.03 (Wed)
第170回 劇団昴『グリークス』

▲劇団昴ザ・サード・ステージ公演『グリークス』(ジョン・バートン編訳/吉田美枝・日本語訳/上村聡史・演出)
『グリークス』(ギリシャ人たち)は、英ロイヤル・シェイクスピア劇団の演出家、ジョン・バートンが中心となり、トロイ戦争にまつわるギリシャ悲劇10本を、物語の時間軸に沿って抜粋再構成した芝居である。
3部構成で、正味約7時間。
その間、17年間の時間が経過する設定になっている。
第1部【戦争】
①プロローグ+アウリスのイピゲネイア(エウリピデス)
②アキレウス(ホメロス)
③トロイアの女たち(エウリピデス)
第2部【殺人】
④へカベ(エウリピデス)
⑤アガメムノン(アイスキュロス)
⑥エレクトラ(ソポクレス)
第3部【神々】
⑦ヘレネ(エウリピデス)
⑧オレステス(エウリピデス)
⑨アンドロマケ(エウリピデス)
⑩タウリケのイピゲネイア(エウリピデス)
英国初演は1980年。
日本では1990年に文学座がアトリエの会40周年記念として、また2000年にはBunkamuraシアターコクーンで蜷川幸雄演出による上演があり、今回の劇団昴で3回目になるようだ。
わたしは、3部通し上演で観たのだが、正午に開演し、途中、休憩や入れ替えを挟みながら、終演は午後9時半。
だが、疲れなどまったく感じない、ジェットコースタのような9時間半だった(7月30日、東武東上線「大山」駅前、Pit 昴にて)。
このように、ちがった作家が書いた芝居をつなげて1本にすると、当然ながら、いくつかの「齟齬」が発生する。
編訳者バートンは、演出家や役者に、その解決を委ねている。
そこが、この芝居の見どころでもある。
紙幅もあるので、2点だけ挙げると、まず、アガメムノン(ギリシャ軍の総大将)の妻、クリュタイメストラのキャラ設定が問題となる(バートン自身が出版台本=邦訳・劇書房版の解説でも指摘している)。
彼女は、エウリピデス作の①では、愛する娘を生贄に差しだす母親として、無垢な苦悩を見せる。
それが、アイスキュロス作の⑤では不倫と情欲にまみれた殺人鬼に変貌している。
ソポクレス作の⑥になると、過去の罪に苦しみ、苛まれている。
同一人物なのにこれだけ変容するキャラを、1本の芝居で演じる場合、どう都合をつけるか。
特に①→⑤のちがいは、現代の観客を戸惑わせるに十分だ(そこにデジタル的な面白さもあるのだが)。
かつて蜷川版で白石加代子が演じたといえば、尋常な役ではないことが想像できよう。
今回、見事に演じたのは、服部幸子である。
彼女は、①で、少々ケバケバしい(港町のスナックのママのような)、勝ち気で雑駁な雰囲気の女性として登場する。
娘イピゲネイアを引き連れ、赤ん坊のオレステスを抱いて、殊勝な母親を演じてはいるが、陰にまわれば愛人もいて、実は何を考えているかわからない女を予感させる。
だから、⑤で血まみれとなって斧を振り回しても、説得力がある(ここはたいへんな熱演だった)。
もう一つの大きな「齟齬」は、第3部になると、突如として「神々」が登場し、地上の人間たちと平然と言葉を交わす点である。
それまでシリアスな「現代感覚」で物語が進行していたのに、アポロンやアテナが「降臨」し、デウス・エクス・マキナよろしく事態を収拾に導いてしまうのでは、21世紀の我々はしらけるばかりである。
実は、第1部・第2部の原典にも、神々が登場する作品はある。
たとえば『トロイアの女たち』では、冒頭、ポセイドンとアテナが長々と会話を交わすし、『へカベ』は「亡霊」による解説で幕が開く。
しかしバートンは、それらをカットし、第3部のみに神々を出した。
ということは、第3部で「齟齬」が起きることを、バートンは十分予想していたはずである。
どうも、そのあたりをどう処理するか、バートンは楽しんでいるフシさえ、感じられる。
蜷川版では、この神々は、ホームレス老人風だった。
今回、演出家がとった手法は、神々を「コミック」化してしまうことだった。
ここでの神々は、ほとんど「お笑い芸人」である。
「お笑い」は、我々の日常に当たり前にあるものだから、変でもなんでもない。
舞台上の英雄たちも、神々が「お笑い」であることを承知で接しているので、観客は、そういう世界観の話なのだと、瞬時に理解できる(そこが舞台劇の面白さでもある)。
ほかに、へカベを演じた小沢寿美恵は、さすがの貫録。
滑舌も見事で、セリフまわしも美しい。
彼女の主演で、あらためて『トロイアの女たち』を観たいと思わされた(その際、アンドロマケは服部幸子で!)。
歴史の目撃者として、要所にアクセントをそえるコロスの女優陣が素晴らしかった。
黒いボロ服をまとい、荷物を抱えた彼女たちは、ラストで英雄たちの名前を呼びながら舞台上を彷徨する。
明らかに「難民」のイメージである。
(わたしはエレニ・カラインドゥルーの劇伴CDの解説写真でしか見ていないが、2001年、ギリシャのエピダウロス遺跡劇場における、アントニス・アンティパス演出版を思わせる)
舞台上には、難民を導く英雄も、神々も、いない。
もうエクソダスは訪れないのだ。
故郷を失った彼女たちは、永遠に彷徨するしかない。
それは、ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスが生涯をかけて追ったモチーフでもあった。
そんな重大事を、演出の上村聡史(文学座)は、板橋の商店街のはずれにある地下のミニ・シアターで、軽やかに見せてくれた。
そのことに驚き、感動した9時間半でもあった。
<敬称略>
◆このCDのライナー解説を書きました。
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