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2016.11.25 (Fri)

第174回 《イギリス民謡組曲》

 11月23日の、東京佼成ウインドオーケストラ、第131回定期演奏会(藤岡幸夫指揮、東京芸術劇場。翌24日には同一内容で第1回大阪定期演奏会)のプログラムに楽曲解説を書かせていただいた。
 その中で、ヴォーン・ウィリアムズの《イギリス民謡組曲》の第2楽章について、こう書いた。

第2楽章 間奏曲<私の素敵な人> 表題曲と<グリーン・ブッシュ>の2曲で構成されている。前半のソロは、スコアでは「コルネットかオーボエで」と記されており、自由に選択できるようになっている(フェネルはオーボエを使用した。本日は?)。

 これについて、「選択ではなく、2本のユニゾンではないのか」とのご指摘をいただいた。
 なぜこんな解説を書いたかというと、フレデリック・フェネルの著書『ベーシック・バンド・レパートリー フレデリック・フェネルの実践的アナリューゼ』(フレデリック・フェネル著、秋山紀夫訳/佼成出版社、1985年9月初版)の中に、こういう記述があったからだ。

そして、[2](小節目)のところで指揮者は、ソロをオーボエにするかコルネットにするか選択しなくてはならない。おそらくどちらか安定して、卓越した技術をもっていて、美しい音色を出す、音楽的に優れた奏者が選ばれることになるだろう。こういうふうに選べないときには、私だったら、たいていオーボエの哀調を帯びた表現豊かな特性を生かすだろう。コルネットは、モチーフが大々的にはじまるのに備えて休ませるほうがよいと思う([16]および[17]の最初の音は除く)。ここのオーボエの音色は、暗い感じの調に合っているはずで、愛の別離を描いている表情豊かな歌詩のこころを浮きぼりにするのに向いている。(後略)

 この本は、ホルストの第1・第2組曲、《ハンマースミス》、ヴォーン・ウィリアムズ《イギリス民謡組曲》《トッカータ・マルツィアーレ》、ジェイコブ《ウィリアム・バード組曲》の6曲について、かなり細かく分析した、指揮者・演奏者向けの解説本である。
 原著は1980年刊行で(初出は1970年代の雑誌連載)、1985年の邦訳初刊以来、約30年、わたしが参考にしてきたものだ。
 その中で、フェネルは「コルネットを休ませてオーボエ・ソロにしたほうがいい」と言っているのだ。

 確かにわたしが若いころに聴いた演奏・録音は、どれもオーボエ・ソロだった(それが、本書による、あるいはフェネルの演奏・録音による影響かどうかは、わからない)。
 かつて、ある高校吹奏楽部のお手伝いをしていたころ、本曲にかかわったことがある。
 その際にフルスコアを見ているのだが、上記フェネルの記述が記憶にこびりついていたので、最初から「選択」するものだと思い込んでしまい、気にせずにいた(今回、あらためて、昔のブージー&ホークスのフルスコアを引っ張り出して見直したが、「選択」指定など、ない)
 フェネルは、ヴォーン・ウィリアムズに直接会って、本曲について、いろいろ聞いているようだ。

私は光栄なことに、1954年11月、コーネル大学で、ボーン・ウィリアムズが講義していたとき、そのほとんどに出席していた。そしてあるとき、私はこのスコアをもっていって、一緒に議論したことがある。私がこの解釈はどうでしょうか、と尋ねたところ、彼は「気に入ったよ、使ったらどうだね」といってくれた。この『イギリス民謡組曲』は、「バンド奏者にとって願ってもない、ためになる経験」を与えてくれたし、指揮者にも与えてくれた。
(前掲同書より。ただしここでフェネルがいう「議論」「解釈」とは、第3楽章エンディングについてのことと思われる)

 こんな記述まであったものだから、フェネルは作曲者本人から第2楽章についても「選択」のアドバイスを受けたのでは……そんな気にさえ、なっていた。

 しかしもちろん、以上はわたしの思い込みで、ここはコルネットとオーボエのユニゾンでなければいけないのである(実際、今回の東京佼成ウインドオーケストラもユニゾンで、素晴らしい演奏を聴かせてくれた)。
 今回、もしかしたら、昔の何かの資料か、作曲者の手稿譜に「選択」指定があるのではとも考えたが、どうも、その可能性もなさそうだ(本書によれば、この曲は1950年代半ばまではフル・スコアはなく、コンデンス・スコアだった。フル・スコアは、のちにパート譜からつくられたという。そのせいか、楽譜には転記・校正ミスが多かったようで、フェネルは本書で、それらを細かく調べて「訂正」を記載している。だが、第2楽章については、特に書かれていなかった)。

 というわけで、結果として、間違った解説を書いてしまったわけで、関係各位、プログラムをお読みくださったすべての方々に、衷心よりおわびを申し上げます。
 古い資料を参考にする場合は再検討しなければならないことも、あらためて痛感しました。
 その一方で、いったい、フェネルは、何を根拠に、あれほどはっきりと「選択しなければならない」と言い切ったのか、それもたいへん気になります。
 もし、「単なる好み」以外の、資料的な手がかりをご存知の方がおられたら、ご教示ください。
<敬称略>
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