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2017.03.05 (Sun)

第181回 <古本書評②>『悉皆屋康吉』舟橋聖一

悉皆屋康吉 表紙
▲『悉皆屋康吉』舟橋聖一(創元社)
 (左)戦前初版/昭和20年5月初版、(右)戦後初版/昭和20年12月初版
 古書価:ともに3000円前後(かなり以前の購入)
 ※(右)の戦後初版の装幀は、(左)の戦前初版を複写したものと思われ、かすかに印刷が太めになっているように見える。


 書評といえば普通は新刊が対象で、古書の書評なんて、あまり聞いたことがない。
 だが、初めて読むのであれば、絶版古書だって、読み手にとっては新刊である。
 近年、「アマゾン・マーケットプレイス」や「日本の古本屋」の充実で、目的の古書を入手しやすくなった。
 だったら、古書の書評があってもいいのではないか。



 まず、内容よりも、本書の成り立ちからご紹介したい。

 これは8章構成の連作小説である。
 舟橋聖一(1904~1976)は、昭和16(1941)年から、ほぼ1年に1章ずつ、複数の文芸誌を舞台に本シリーズを書き継いできた。
 だが昭和16年といえば太平洋戦争が始まった年である。
 次第に「文芸」どころではなくなり、昭和19年1月、前半部(「巻の四」まで)を発表したところで一時中断、残りは「書下ろし」で単行本化の際に加えることにした。
 (このあたり、『細雪』の成立過程に似ている)

 全編は昭和20年初頭に完成し、統制団体に申請して3,000部分の用紙を配給された。
 さっそくゲラになり、著者校も終え、5月下旬、印刷・製本が始まった。
 ところが、5月24~25日、東京は、山の手大空襲に見舞われる。
 版元の創元社も、印刷所も製本所も全焼した。
 しかし、最初に製本を終えていた1,000部が、取次の日本出版配給(現在の日版)に運び込まれていて、無事だった。
 これが店頭に並んだ――はずなのだが、なにしろたった1,000部だし、時期が時期だけに、まともにひとの目に触れることはなかったようだ。

 そして8月15日、終戦。
 舟橋聖一と創元社は、もう一度『悉皆屋康吉』を世に出すため、初版をつくり直すことにした。
 といっても紙型も消失しているから、ゼロから組み直しである。
 佐野繁次郎による装幀は、5月初版を複写した(と思われる)ので、外見は同じだったが、字詰め、行立て、総頁数などは5月初版とはちがうものになった(本文テキストは同一)。 
 
 こうして「2回目の初版」10,000部が、終戦4か月後の12月に出た。
 よって『悉皆屋康吉』は、たった7か月の間に、戦前版(昭和20年5月初版)と、戦後版(昭和20年12月初版)の2種類の初版が出た、珍しい本となった。
 舟橋は、なぜ、そこまでして本書を復活させたのだろうか。 

悉皆や康吉 奥付
▲ (左)戦前初版の奥付、(右)戦後初版の奥付

 物語の舞台は大正時代。
 主人公・康吉は、下町の小さな悉皆屋「稲川」の手代だったが、ひょんなことから、最大手「梅川」で働くこととなる。
 「悉皆屋」(しっかいや)とは、着物のデザインや洗い張りなどを「悉」(ことごと)く、「皆」(みな)請け負う、和装の総合プロデュース業である。
 そこへ関東大震災が発生し、店は壊滅する。
 康吉は、主人・市兵衛と、密かに憧れていた主人の娘・お喜多を連れ、水戸へ避難し、悉皆屋を再開させる。
 やがて昭和となり、康吉も自分の店を持つようになり、主人の娘・お喜多と結婚し……。
 ここまでが雑誌に発表された前半部である。

 この間、様々な事態が康吉を襲うが、持ち前の真面目な性格で、ひとつひとつ、乗り越えて行く。
 当時30歳代半ばの舟橋の筆致は、すでに熟達の域に入っており、読み出すととまらない。
 まるでNHKの朝ドラだ。

 ところが、書下ろしになる後半部では、ニュアンスが少々変わってくる。
 昭和に入り、軍部が台頭してくると、あの素朴な康吉が、こんなことを言い出すのだ。
「ほんとの技巧は、あれじゃアない。どうしたら自分の真実が、世の中の人の胸に伝わっていくかということで、散々悩んだあげ句に、作り出していくのが、お前、ほんとの技巧だよ。自分というものが何もなくって、ただ、世の中に阿っていくのに必要なのは、技巧というより、遊泳術だ」
 時代が変わっても、康吉は、昔ながらの、ていねいで真摯な染物に対する情熱を失わない。
 近代化してゆく業界に背を向け、昔ながらの商売を貫こうとする。
 また、以前に世話になったひとへの恩も決して忘れない。
 かつて自分を裏切った主人の行く末を案じて京都まで会いに行くばかりか、正気を失った番頭を自宅に引き取って面倒を見ようとさえ、する。

 舟橋は、戦後初版のあとがきで、こう書いている。
「巻の七と巻の八を書く頃は、B29の攻撃力は増大し、執筆中、屢々、燈火管制をうけて、折角、のつてきた筆を擱いた。そのうちに、来襲の声に戦きつつ、書きかけの原稿紙をかゝへて、待避豪に急ぐやうな始末も演じた」
「人の家を覗くやうにして、電気を消せと怒鳴つて歩いた馬鹿らしい警防団や隣組の人達の督戦振りにも、腹が立つて仕様がなかつた」
「いよいよ東京にゐたたまれなくなつてからは、熱海に逃げ出して、そこで書いた。然し、そこでも、警防団には虐められた。(略)私が警報下に物を書いたりしてゐることが、非常に気に入らぬのであるらしかつた」

 これが、後半部で康吉が変わった原因だった。
 時代の波に抗う康吉の姿は、舟橋自身の投影だったのだ。

「戦時色は、ただ一色のカーキ色に染上げられ、どこを見ても、戦闘帽にゲートル巻の没趣味には、つくづく気が滅入つた。私は、せめての負け惜しみに、自ら戦闘帽を冠らず、国民服を着けないのを以て、辛じて残された自由を守ろうとするほかはなかつた。そして私は、この作中に於て、しきりに、緞子や市楽や、結城や縮緬について語り、或は写し、ひそかに、全体主義風俗に対する鬱憤をはらしたのであつたかも知れぬ」
 舟橋が書きたかったのは、これだった。
 一見、昔の呉服屋ものがたりに見せかけて、時流(軍国主義)に対抗して生きる男を描いていたのだった。
 そんな本が、戦争真っ盛りの昭和20年5月に堂々と出ていた、それを証明するために、舟橋は、戦後、復刊を(いや、2回目の初版を)行なったのではないだろうか。
 現に、舟橋は、戦後初版のあとがきで、こう書いている。
「頃日、シカゴ・トリビューンの従軍記者と会談した時、空襲中に出たものが、戦後一字の修正もなく再版できるだのと、云つたら、それは特別の不思議であり、何かの間違ひではないかと、首を傾げていた。/然し、絶対に間違ひではない。戦時下の日本にも、かういふ小説を支持してくれる善意の人々は、黙々として存在しつゞけてゐたのである」


悉皆や康吉 文庫
▲(左から)角川文庫(1954年)、新潮文庫(1957年)、文春文庫(1998年)、講談社文芸文庫(2008年)

 本作は、その後、わたしが知る限り、角川文庫(1954年)、新潮文庫(1957年)、新潮社版「舟橋聖一選集」所収(1969年)、文春文庫(1998年)、講談社文芸文庫(2008年)と、計5回復刊されている。
 だが、上記「戦後版あとがき」は、最初の文庫版(角川文庫)に収録されただけで、その後はすべて削除されている。
 こればかりは、最初期の古書でしか読めないのだ。
<敬称略>


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