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2018.02.13 (Tue)

第191回 映画『貴族の階段』

貴族の階段
▲原作『貴族の階段』(武田泰淳)は、「中央公論」連載。
中公文庫、角川文庫、新潮文庫などを転々とし、
この岩波現代文庫版(2000年)が最後だが、
すでに品切重版未定。


 かねてから観たかった、映画『貴族の階段』(1959年、大映)をやっと観た(2月7日、池袋・新文芸坐にて)。
 原作・武田泰淳、脚本・新藤兼人、音楽・黛敏郎、監督・吉村公三郎。
 武田泰淳の魅力のひとつは、妙にとりとめのない展開にあるが(埴谷雄高は「悪文の名文」と呼んだ)、ここでは、その「とりとめのなさ」が、面白く物語化されていて、さすがは新藤兼人の脚本だと感心した。冒頭も、原作の有名な書き出し「今日は、陸軍大臣が、おとうさまのお部屋を出てから階段をころげおちた。あの階段はゆるやかで幅もひろいのに、よく人の落ちる階段である」そのままの場面から始まる。

 昭和初期。貴族院議長・西の丸英彦(森雅之)の娘・氷見子(金田一敦子)の視点で二・二六事件が描かれる。モデルは、近衛文麿家、西園寺公望家、牧野伸顕家あたりと思われる。
 氷見子は女子修学院(女子学習院がモデル。原作では女子学芸院)のお嬢様で、同級生の猛田節子(叶順子)とは、同性愛寸前の親友関係だ(原作では、かなりはっきりした同性愛関係)。この節子は、陸軍大臣(滝田修)の娘である。
 ちなみに叶順子は、このころ23歳くらいのはずだが、セーラー服にお下げ髪で登場し、たまらんヴィジュアルを披露する。
 彼女は、西の丸英彦に犯され、以後、関係をもってしまう。実は西の丸は稀代の色魔で、女中にも手を付けている。節子は、そんな関係に悩んでいるのだが、抜け出せない。
 氷見子には、兄・義人(本郷功次郎)がいる。近衛連隊の見習士官である。だが華族の身分とあって、連隊内では浮いている。節子に好意をもっている。
 母・多美子(細川ちか子)は、奇妙な新興宗教に入れ込んでいる。口を開けば「悪魔が憑りついている」と、わけのわかないことを言う。
 このとんでもない一家が、軍部のクーデターに巻き込まれていく様子が、華族の衰退と並行して描かれる。反乱軍に加わった兄・義人は、自分の家に突入して、父を暗殺する役目を負わされる。
 まるでヴィスコンティだ。三島由紀夫の戯曲『朱雀家の滅亡』に通じる面もある(現に、三島は、この映画を絶賛したらしい)。
 黛敏郎の音楽も、品格があってよかった。お嬢様方の茶話会シーンで、不思議なワルツがピアノで演奏されるのだが、おそらく黛のオリジナルだと思う。

 わたしはこの映画を、新文芸坐(池袋)の「大映女優祭」で観た。
 この日は叶順子をフィチャーしており、同時上映が、これも叶順子主演の『女の教室』(1959年、大映)だった。
 こちらは、女子医大のインターン生7人の青春群像を描くガールズ・ムービーなのだが、脚本も演出もゆるくて、せっかくの楽しい物語が、妙にどんよりしたものになってしまっていた。
 こういう題材は、東宝あたりで、脚本・井手俊郎、監督・佐伯幸三で観たかった。大映がやっても、あまりうまくいかないように思う。
 大映には、「影」のある映画が多い。「眠狂四郎」「座頭市」「大魔神」「陸軍中野学校」、そのほか増村保蔵作品の数々……大映の美術のレベルの高さは驚異的で、「ロケとセットの区別がつかない」とまでいわれた。そこへもってきて、フィルムがアグファ・カラーだったので、こってりした独特の画面となる。大映映画はどれも、暗さの中から美がジワジワ沁み出してくる、マーラーの交響曲みたいだ。
 だが『女の教室』はモーツァルトである。大映マーラーには、合わない。
 もちろん、大映にだってコメディはある。1961年の『婚期』などは、わたしが偏愛する傑作コメディだが、東宝や日活の明るさとは、やはりちがう。
 うまくいかなかったのは、女子学生をめぐるキー・マンを川崎敬三が演じていたせいもある。彼が出てきた時点で、役は「邪悪」か「ボンクラ」と決まっている。明朗青春映画には無茶なキャスティングだ(ちなみにこの映画、原作は吉屋信子で、すでに戦前に映画化されているほか、1968年に『花の恋人たち』と題して、日活でリメイクされている。こちらは吉永小百合・十朱幸代・和泉雅子主演で、日活お得意の明るい青春映画になっていた)。

 ところで叶順子だが、彼女はまさに大映を絵に描いたような、どこか影のある美人である。だから、『女の教室』のような明朗青春映画の中では、輝くことができない。
 だが『貴族の階段』では、まったくちがう。親友の父に抱かれながら、それを拒めず、時代の波にさらわれていく女子学生を、見事に演じていた。彼女は、もともと、そんな人生を歩んできたような顔をしているので、そのままでいけたのだ。
 問題なのは主役の氷見子を演じた金田一敦子で、確かにお嬢様役が得意な大映ニューフェイス美人なのだが(叶順子の同期)、物語を推進させるほどの演技力がない。大半は、彼女の行動とモノローグで展開する脚本なのに。
 実は、『女の教室』のほうでは、叶順子と野添ひとみがダブル主演で、同期生のライバルを演じていた。どんよりした映画だが、2人の場面は、光っていた。この組みあわせが、そのまま『貴族の階段』で実現していたら……つまり、氷見子を野添ひとみが演じていたら……映画史に残る傑作になっていたような気がする。
 あの日、新文芸坐でそう感じたのは、わたしだけではなかったと思う。
<敬称略>

※『貴族の階段』は、1984年に、栗原小巻主演で、俳優座が舞台化している。1991年には、斉藤由貴主演で、TBSがTVドラマ化した。


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