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2018.04.10 (Tue)

第196回 TVアニメ『赤毛のアン』

赤毛のアン
▲アニメブック『赤毛のアン』(演出:高畑勲、1992年、新潮社刊)


 1980年代末から90年代前半にかけて、アニメ関係の仕事に携わっていた時期がある。その中に、TVアニメ『赤毛のアン』(1979年放映)のアニメブック編集があった。アニメの画面をコマの中にはめこんでネーム(フキダシ)を加え、マンガとして楽しむ本である。フィルムコミックなどとも呼ばれた。
 いまのようなパソコンやデジタル技術のない時代だったから、たいへんな作業だった。製作会社に全回のプリントを焼いてもらい、VHSビデオと台本と原作本を照らし合わせながら、コマ割り構成を組み立て、必要なカットをハサミで切り出し、版下に指定し、ネーム(セリフ)を写植で貼りつけていった(この煩雑な現場を見事に統括してくださったのが、ホラー漫画の巨匠、日野日出志さんだった)。
 わたしは、このとき、初めて、アニメ『赤毛のアン』を観たのだが、その構成や演出に、驚いてしまった(初回放映時は、わたしは大学生で、さすがに観ていなかった)。
 脚本・演出は、さきごろ逝去された、高畑勲監督である。回によっては、共同脚本・演出だが、ほぼすべての回に高畑監督がかかわっていた。ちなみにシリーズ前半の場面設定は宮崎駿監督である。

 ご存知のかたも多いと思うが、モンゴメリの『赤毛のアン』は、全部で38章だての連作風の小説である。それを、TVアニメは、1年間、全50回(1回が正味25分弱)をかけて、ストーリーもセリフも、ほぼ原作どおりに描いている。しかもいくつかの箇所は、原作以上にじっくりと描かれており、この「じっくり」が素晴らしかった。
 たとえば、第1回で、アンが、馬車でグリーンゲイブルズへ向かいながら、途中、「りんごの並木道」で、その美しさに感動する有名なシーンがある。原作でわずか十数行のこのシーンを、アニメでは、ものすごい枚数を使って、絢爛豪華なファンタジー・シーンに仕立てていた。初回放映時、TVの前の少女たちは、このシーンに心を奪われたことだろう(この第1回は、製作会社の日本アニメーションが公式にYOUTUBEで公開しているので、ぜひご覧いただきたい)。
 また、第3回のラスト、アンがマリラに連れられ、(孤児院へ送り返されるために)馬車でスペンサー夫人のもとへ出発するシーン。アンは、もうこれで二度と戻ってこられないと思い、泣きながら「さようなら、ボニー!」「さようなら、雪の女王様!」「さようなら、おじさん!」と叫ぶ。残されたマシューは、言葉もなく、あとを追おうとして駆け出し、つまずく。早くも第3回で視聴者を泣かせた名シーンである。
 だが、原作に、こんなシーンは、ない。ただ、マリラが振り返ると「しゃくにさわるマシュウが門によりかかって、うらさびしげに二人を見送っているのが目に映った」(村岡花子訳=新潮文庫版)とあるだけで、マシューは追いかけないし、アンも泣き叫んだりしていない。これは「創作」なのだ。

 実は、小説『赤毛のアン』は、少女が主人公なので、ジュニア向け小説だと思われているが、かなりの部分が、育ての親であるマシューとマリラ兄妹を中心とした、おとなの視点で描かれている。また、集英社文庫版(松本侑子訳)で強調されているように、全編に、聖書や、あらゆる西洋文学の名文、詩文がちりばめられている。『赤毛のアン』は、「おとなの文学」でもあるのだ。
 この点は、高畑監督も見抜いていて、「もし女の子の立場から書いたら、それは少女マンガの原作になったか、いわゆる少女小説にしかならなかったと思うんですね。ところがモンゴメリという人はですね、そこに終わらせていない。批判に耐え得る人物を創っているということでしょう」と述べている(高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』文春文庫より)
 そんな「おとなの文学」を、毎週日曜日の19時半にアニメにして全国放映するとなれば、視聴者はこども(少女)が多いだろうから、それなりに脚色しなければならない。そのため、原作では少ない、「アンの視点」が多く盛り込まれることになった。先に挙げた2つの例は、まさに、「アンの視点」である。
 わたしは、アニメブックを編集しながら、なるほど、「脚色」とは、こういうことなのかと、感動したものだった。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』で、もうひとつ驚いたのは、主題歌である。
 オープニング曲《きこえるかしら》、エンディング曲《さめない夢》、さらに、劇中に時折ながれるうた……あまりにレベルが高く、唖然となった。普通、アニメ主題歌といえば、みんなで一緒に口ずさめる曲調が多いものだが、これはとても無理だった。ほとんど「歌曲」であった。旋律の途中で、バックの「管弦楽」が主役になる部分もあった。よく聴くと、たいへん込み入ったスコアリングだ。公式アップされた映像でご確認いただきたい。
 作曲は、三善晃(1933~2013)である(岸田衿子作詞、大和田りつこ歌)。たしかこれが、三善晃唯一のTVアニメ主題歌だったのではないか(ちなみに作詞の岸田衿子=1921~2011=は、詩人・童話作家。劇作家・岸田國士の長女、女優の故・岸田今日子の姉で、戦後の2大詩人、谷川俊太郎・田村隆一の、それぞれ妻だった時期がある。ほかに『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などの主題歌も彼女の作詞)。

 アニメブック編集のころ、高畑監督にお会いして、「よく、あんな難しい曲を主題歌にされましたね」と、うっかり聞いてしまったことがある。
 高畑監督は、「ことば」に対する解釈や認識が厳格で、生半可な物言いによる会話を拒むようなところがあった。だから、何回かお会いしているが、おっかなくて、突っ込んだ会話ができなかった。
 このときも、具体的な口調は忘れたが、半ば困惑した表情で、「なにをもって《難しい》というんだか、わかりませんが……」といった意味の返答をされた。
 ただ、そのあと、「あのころ、『翼は心につけて』という教育映画があって、その主題歌が三善晃さんだったんですよ。それがとてもよかったので、お願いしたんです」と教えてくれた(吉原幸子作詞、横井久美子歌)。
 高畑監督については、ほかに直接・間接の思い出がいくつかあり、綴り出せばきりがないが、わたしごときが明かすことでもないので、この程度にしておく。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』最終回のラストは、アンが手紙を書くシーンだ。
「わたしはいま、何の後悔もなく、安らぎに満ちて、この世の素晴らしさをほめたたえることができます。ブラウニングのあの一節のように……《神は天にいまし、すべて世はこともなし》」
 原作のファンだったら、ご存知だろう。この最後の詩文が「ブラウニング」の一節だなんて、訳注にはあっても、モンゴメリは原作のどこにも書いていない。
 高畑勲演出の『赤毛のアン』とは、そういう作品だった。
<敬称略>

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